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身延街道・甲駿国境から身延 その2

 身延街道・甲駿国境から身延
 その2 万沢宿






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 とりあえず、今回のコースを地図で確認。まだスタートしたばっかりだ。

 東海道の興津宿から分岐した、身延街道興津筋を北上する旅人は、駿州北端の宿場である宍原宿を出て、山間の難道「長峯三里」において越境、そして甲斐国南端の宿場である万沢宿を目指すことになる。




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 白鳥山への寄り道から、国道52号へ戻る。今度は、身延街道の旧道を探さなければならない。




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 国道を少し北へ行くと、左折レーンが現れるので、そこを左へ。




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 眼下にちいさな街が広がる。これが、万沢の街である。まずは街の南端を目指す。宍原宿から、幾つかの山と国境を越えて、旧街道がこの万沢に辿り着く、その場所を探すのである。




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 すぐにみつかった。写真奥が南、すなわち駿河の宍原宿方向である。どうやら、「長峯三里」を越えてきた身延街道は、この谷間を抜けて、万沢の集落に辿り着く、ということのようだ。




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 その谷間から、北方向を向いたところ。カブは右を向いているが、旧街道は写真左方向へ続いていく。




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 しばらく進むと、




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 集落がみえてくる。




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 別れ道。ここは右へ。




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 しばらく行くと、道の右側に、丸石を祀る「道祖神」と、




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 道標。ただ「丸いだけの石」を祀る、こうした類いの信仰について、かの碩学ミルチャ・エリアーデはこう書いている。ちょっと長いが、とても興味深い内容なので、引用してしまおう。


 近代西洋人は聖なるもののいろいろな顕現様式に直面して或る不安を感ずる。すなわち或る種の人間にとって聖なるものが石や木の中に顕われ得る、ということが理解し難いのである。しかしわれわれはまもなく、それが石そのものの崇拝、あるいは樹木そのものの信仰を意味するのではないことを知るであろう。聖なる石、聖なる木は石としてあるいは木として崇拝されるのではない――それらが崇拝されるのは、それが聖体示現であるからであり、もはや石や木ではなく、かの聖なるもの、<全く別なもの>である何かを示しているからである。
 どんなに原始的なものでも聖体示現はすべて背理を示すということは、いかほど強調してもしすぎることはない。聖なるものを啓示することによって、事物は或る<全く別のもの>となるが、しかしその後も依然としてその事物であることに変わりはない。というもの、それはその後も宇宙的環境世界に関与しているからである。聖なる石といえども依然として一個の石である。つまり見かけは(精確に言えば、世俗の観点からは)それを他のすべての石から区別する何物もない。しかし石が聖なるものとして啓示される人びとにとっては、眼前の石の現実が超自然な現実に変わる。言い換えれば、宗教的経験をもつ人間にとっては、全自然が宇宙的神聖性として啓示され得る。そのとき、宇宙は全体が聖体示現となるのである。

 (『聖と俗 宗教的なるものの本質について』 ミルチャ・エリアーデ著
   風間敏夫訳    叢書・ウニベルシタス14)


 ここで気をつけるべきなのは、現代の日本人である我々は、かつて路傍に丸石を祀った日本人よりは、ここで言われているところの「現代西洋人」のほうに近しい、ということである。我々は最早、ここに祀られたのが、なぜ「この石」であって他の石ではないのか、なぜあの神社の御神木はあの木であって他の木ではないのか、その理由を知らない。我々は自ら思うよりもはるかに、西洋的価値観に染められている。否、価値観に留まらず、思考方法や、精神、心の構造といった、根本的な部分から。

 しかし一方において、その不可侵性だけは慣習的あるいは無意識的に尊重し、未だこうして祀られた石をそのまま残し、祀り続けているのもまた我々日本人である。この合理性と非合理性との奇妙な共存こそは、私は日本人の強みであり、ある観点からは弱点であり、すなわち我々の特色であると思っている。それをこの先我々が生かすのか殺すのかは、わからないけれども。




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 川沿いで、広い道にぶつかる。




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 川を渡った先に、ガソリンスタンドがあるが、




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 ここが「万沢の口留番所」のあった場所。現地の説明文を転載。

 町史跡 
 万沢口留番所跡
  昭和四十九年六月十日指定

 甲斐の国ニ十四関の一つで、甲駿二州の咽喉として重要な位置にあった。天正十年三月には徳川家康がこの番所を通過している。
 吉田家代々関守を勤め、下役は村役であった。
 番所は、桁行四間、梁間ニ間、関門両袖一丈ニ尺、高さ一丈四尺、桁行一丈七尺、明九尺であったが、明治五年五月、全く取り払われるに至った。



 つまり、ここからが、かつて万沢宿のあった辺り、ということになろうか。甲斐国南端、駿河国に向けて突き出した形の万沢宿であるから、国境警備、という観点からは極めて重要な場所であったことだろう。

 静岡県教育委員会文化課編集『身延街道』の、万沢宿の箇所を転載。


 甲斐国南端の宿。天正八年(一五八〇)の穴山信君伝馬手形に「……内房、萬沢、南部……」とあって、中世から栄えた宿である。南部宿から三里、本馬一七一文、軽尻一一七文、人足八三文。ここから駿州宍原へ継ぐが(『国史』)、古時は前述のように内房へと継いでいた。小規模なために本陣はなかったが、身延山参りの旅人で賑わった。当時を偲ばせる屋号に、身延屋・鍛冶屋・万屋・油屋・紺屋・駿河屋・大坂屋・東酒屋・西酒屋等がある。昭和初期の身延鉄道が開通するまでは賑わいをみせたが、以後急速にさびれてしまった。




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 万沢の街の中を進む。史跡らしきものはみつけられず。




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 やがてみえてくる標識。まさにこんな形に道は続いていく。




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 こんな感じ。




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 そのカーブの先に、「広福寺」。




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 お寺の先、この横断歩道のところで左の脇道へ。こちらが旧街道。




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 坂を登っていく。




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 左に、万沢小学校。本来、旧街道は小学校の向こう側に回り込んでいたようだが、今はその道は失われているようなので、真っ直ぐ進む。




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 さらに進んで、




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 ここを真っ直ぐ進むのが旧街道なのだが、




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 「車は通り抜けできません」と書いてある。カブなら、ダイジョウブかな。




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 ちょっとどきどきしながら、この細道に進む。うん、一応、走れそうだ。




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 やがて広い道に出て、




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 さらに、国道52号線に合流する。




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 その合流点に、「越渡の道祖神」と、




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 「蓮久時」。こうみえてこれ、お寺である。一見、神社みたいだが、鳥居がない。境内に幾つかの石碑等。




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 さて、万沢宿も終わり、街道をさらに北へ、というところで、次回に続く。


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