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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

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韮山城 その3


 韮山城 その3




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 「本丸」北側の様子。こちらもやはり、土塁で守られている。




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 「本丸」南側。長く深い堀は山中城にもみられた。北条の築城の特徴だろうか。写真左側の一段高いところを歩いて、さらに南へ。




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 すると、複雑な構造がみえてくる。「塩倉址」。




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 さらに進んで、一応、ここが南端か。




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 その南端部から、北側をみたところ。




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 今度は堀の底を歩いて、「本丸」方向へ。




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 堀の底から「本丸」を見上げたところ。これまた、攻めるのは大変そうだ。

 


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 また来た道を北へ歩き、テニスコートの所までもどって、そこから北をみたところ。右手の一段高いところへ登ってみる。




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 こちらが「三の丸」。

 これで一応、一通りまわれたか。あまり大きな城ではないが、この城の周囲には砦というか出城のようなものが多数配置され、その全体でひとつの城域として成り立っていた。




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 城の東にある池。これもまた、城の防御に一役買っていたようだ。

 伊勢宗瑞、すなわち北条早雲から始まる後北条氏の本拠地といえば小田原であるが、宗瑞はというと、関東への進出を始めてからも、その本拠はこの韮山においていたようで、小田原に移るのは二代目の氏綱になってからのようである。無論、北条の本拠が小田原に移った後にも、韮山城は領国の西側を守る重要な拠点として機能した。

 伊勢宗瑞を、ちょっと英語っぽい表現をするならば「最初の戦国大名の内のひとり」、と呼ぶことは可能だろう。そしてまた、彼から発した北条氏を、「最後の戦国大名」と呼ぶこともまた、可能だ。
 
 天正十八年(1590年)、すなわち、宗瑞の伊豆侵攻から97年後、豊臣秀吉は二十万を越える大軍をもって出陣、小田原をめざした。これを迎え撃つ北条氏政、氏直父子は、万全、とはいえぬまでも可能な限りの守りを固めていた。小田原の有名な「惣構え」を築いたのもこのときのようだが、国境には、足柄峠の足柄城、箱根峠の山中城、そしてこの韮山城を結ぶ防衛ラインを構築し、そのためにこの三城の防御力強化もなされた。

 この内最も重視されたのは、防御ラインの中央、駿河から小田原への最短ルートである箱根越えの東海道がその城内を通過している山中城であった。山中城は、広大な出丸を築く等、かなり大幅な改修がなされ、四千から五千という兵力の守備隊もおかれた。しかし三月二十九日、豊臣秀次を総大将とする総勢六万五千ともいわれる攻城軍の前に、わずか半日にして落城してしまった。

 防衛ラインの南の要である韮山城にも、豊臣の軍勢は押し寄せた。織田信雄、細川忠興、福島正則らが率いる総勢四万四千の大軍に対し、北条氏規(氏政の弟)を城将とする守備隊は三千六百。劣勢は歴然としていた。

 しかし韮山城はすぐには落ちなかった。結局七月五日の小田原開城の直前、六月二十四日まで籠城戦を戦い、最後は降伏、開城した。つまり、最後まで攻め落とされることはなかった、ということだ。これだけの長期間を耐え得た理由としては、無論、城の守りの堅固さや城兵の奮闘もあったことだろうけれども、攻め手も無理して攻めることはなかった、ということにあるようだ。

 小田原への進軍ルートの真正面にある山中城とは違い、韮山城は進軍ルートから大きく南へ外れている訳で、韮山城の城兵が小田原攻囲軍の背後を攻撃できないよう、包囲して足留めできれば豊臣方としては充分だった、という訳だ。

 北条氏滅亡後は、家康配下の内藤信成が入城するも、信成は関ヶ原の戦いの後、駿府に転封となり、韮山城はそのまま廃城となった。多くの山城と同じく、太平の世に「戦う城」である山城はお役御免となった、という訳だが、そのなかでもこの城は、戦国の世の到来とともに誕生し、時代の終焉とともに歴史の舞台から消えていった、象徴的な存在であるといえるのではないだろうか。

 という訳で、久しぶりの史跡めぐりツーリング、この辺でおしまいです。この先の下田街道も走りたいのだけれど、もうちょっと涼しくなってから、かな(笑)
 



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