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下田街道 三島大社から韮山


 下田街道 三島大社から韮山
 その3 韮山





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 原木駅東側から、また街道に戻り、南へ。




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 ほどなくして、「原木」の交差点。




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 そこにあるのが、「荒木神社」。




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 こんな看板が。『草燃える』は、1979年放送のNHK大河ドラマ。私もほんの少しだけ憶えている。懐かしい。




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 あんまり綺麗に整備されすぎておらず、しかも、よく手が入っていて清潔で整っている、こうした雰囲気の神社は大好きである。




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 祭神は、天津日子根命。現地の由緒書きを転載。

 
 創建はさだかでないが、境内や隣接する荒真木遺跡からは古墳時代の祭祀土器が見つかり、遺跡包蔵地に指定されていることからも神社の存在が推測される
 「延喜式神名帳(九〇五年)荒木神社名があり「伊豆の国神名帳」に正四位上あらきの明神と記載されている
 中古は茨城神社、鞍掛神社とも称しており、歴史ある神社といえる
 原木(ばらき)の地名は「荒木神社」「茨城郷」の「あらき」「いばらぎ」が「ばらぎ」に転訛したものと考えられている





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 御神木が、この神社の歴史の古さを物語る。




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 さらに南下。ほどなくして、県道134号線との立体交差。これをくぐれば、もう今回の終着地である、韮山である。




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 街道の左側に、「八坂神社」。




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 さらに300mほど進んだ、この交差点を右折する。




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 まず、「北条政子産湯の井戸」。




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 さらに進むと、




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 狩野川にぶつかるので、左折。 そのあたりが、


 

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 「史跡 北条氏邸跡(円成寺跡)」。現地の解説文を転載。

 
 北条氏邸跡は鎌倉幕府の執権として活躍した北条氏の館があった場所です。狩野川の東岸にある守山の北西部の小さな谷になっているところです。ここを含めて伊豆北条と呼ばれた一帯(現在の寺家・四日市付近)は、平安時代末期から鎌倉時代にかけて北条氏の本拠地であった場所です。北条氏邸跡は武士の地方での生活を知ることができる遺跡としてきわめて重要なのです。
 1333年、鎌倉幕府の滅亡後、北条一族の妻や娘たちは鎌倉から韮山に戻りました。そして、一族の中の円成尼という女性が中心になって、邸宅の跡に寺院を建て、北条氏の冥福を祈ったのが円成寺です。
 (後略)


 平家打倒を成した頼朝であったが、彼の築いた鎌倉武家政権は、実質、北条の支配するものとなった。源家の将軍たちがお飾りに過ぎなかった、とまでは言えないが、しかし、頼朝と政子が恋仲になったあたりからもうすでに、そして実朝の暗殺に至るまでの流れも含め、全ては北条にとって「できすぎている」感がしてならない。まあ、そんな「北条陰謀説」を信じるか否かは別として、こんな片田舎の何もない場所が、一時代を築いた名門一族にとってとても意味のある場所だったという訳だ。

 さて、きた道をもどって、




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 街道に出る少し手前、この「光照寺」のある角を南へまがり、




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 こんな路地を辿って、150mばかり行くと、




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 「願成就院」というお寺がある。




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 その山門の左手あたり。「願成就院跡」。つまり、このお寺はかつてはこちらにあった、ということか。「願成就院」は、『吾妻鏡』の記述によれば、頼朝の奥州平泉攻めの成功を祈願して、北条時政によって創建された、という。





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 現在の「願成就院」の境内には、その北条時政のお墓がある。「北条陰謀説」の真偽はどうあれ、平家打倒の為の功績、という点では、源義経以上ともいい得る人物である。時政の実践力抜きでは、すかんぴんの流人であった頼朝には何もできなかっただろうから。

 さて、それでは今回の目的地と定めていた場所へ向かおう。街道に戻り、「八坂神社」ある交差点を東へ曲り、伊豆箱根鉄道の韮山駅の東側方面へ。




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 「遺跡 蛭ケ小島」。源頼朝流刑の地、として、公園化され、整備されている。




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 そこでひときわ目立つのが、この「蛭ケ島の夫婦」の像。いうまでもなく、頼朝と北条政子の姿をかたどった像である。

 平清盛は、年少であった頼朝を殺さずに流刑とした。このこと自体、清盛の判断は結果的には甘かったといい得るが、しかも、その流刑地にこの伊豆を選んでしまったこともまた、いくら伊豆が流刑先としては「メジャー」な場所だったからといっても、源氏の嫡男への処遇としてはあまりにも甘かったとはいえないだろうか。

 清盛がこの「蛭ケ島」という地名を、伊豆諸島のどこかの小さな離島と勘違いした、なんて説もあるみたいだが、まさかそんなこともないだろう。箱根の西にあり、東海道から大して離れてもいないこんな場所に、間違いなく将来的に機会さえあれば自らの命を狙ってくるであろう少年を生かしておくなどということを、どうしてしてしまったのか。確か池禅尼が助命を懇願した、なんて話があった気がするが、それにしてもこれは、あの狡猾な清盛としてはその生涯で最大の失敗とさえいえないだろうか。




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 清盛のその采配の結果、源氏の嫡男という高貴な血筋の他は何も持たなかった頼朝が、この地で、源氏再興のためにはぜひとも必要な強力な「武力」もった北条氏の娘と結ばれた。このあまりにもドラマチックな出来事によって、日本の歴史は大きく動いた訳である。

 さて、時間も七時をまわり、そろそろ道路も交通量が増えてきたので、予定通り、今回の「下田街道めぐり」はこれで終了としましょう。しかしもうひとつ、この韮山には寄っておきたい史跡があるのだ。次回、そちらを観に行ってみましょう。




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