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塩の道・相良から掛川 その3

塩の道 相良から掛川
その3 堤城址



 「堤城址」の入り口はとてもわかりにくいところにあった。しかし、県道37号沿いの、橋のそばのバイク屋さんの裏手を目指して行けば大丈夫だと思います。




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 これが目印。ここを左に。




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 ここが「堤城址」の入り口になる。住所は、「菊川市下平川城山」になる。

 堤城については、いまだ充分な発掘調査等もなされていないため、築城、廃城共にその年代は不明である由、現地の解説文に書かれてあった。解説文の後半部分、ならびに併記された城主松井氏についての年表を以下に転載する。


 堤城の名は戦国時代の資料には見られませんが、江戸時代の寛政十一(一七九九)年に書かれた山内眞竜「遠江国風土記伝」には城跡の図とともに、
「【堤ノ城跡】平川村に在り、松井佐衛門亮住し、天正以後廃る」
と記されています。図では城の南東、現在の墓地のところを松井屋敷跡としています。

 永正十  一五一三年  今川氏親が松山山城守(宗能)に「下平河」を与える。
 享禄元  一五二八年  今川氏輝が松井八郎(貞宗)に父山城守宗能からの
             相続を認める。
             (「平河」の地名は記されていないが、相続したと
             考えられる)
 永禄二  一五五九年  今川氏真が松井佐衛門佐(宗信)に父貞宗からの
             代官職の相続を認める。
             (「平河」の地名は記されていないが、相続したと
             考えられる)
 永禄三  一五六〇年
         五月  今川義元とともに松井宗信、討死。
         十二月 氏真が松井八郎(宗恒)にあてた所領安堵状には、
             いくつかの所領とともに「下平河替地余之事」
             「上平河代官職之事」とある。
 元亀三  一五七二年  武田信玄が松井山城守(宗恒)に「敷地 
              百五拾貫」(磐田市)などとともに
             「上平河之内同下平河散田地共六拾貫」
             を安堵する。
 天正元  一五七三年  武田勝頼が松井山城守(宗恒)に
             信玄が与えた本領を安堵する。


 歴代城主たる松山氏について、私が知るところはこれだけであるが、どうやら今川義忠が勝間田・横地両氏を打ち滅ぼしてこの一帯を今川配下におさめた後、義忠の跡を継いだ氏親(このあたりのことは前回の「塩買坂」の記事をご参照ください)にここを領地として与えられたということのようなので、もともと今川の家臣だったのであろうか。

 いずれにせよ、駿河・遠江が今川の領地であった時代から、今川氏滅亡後の武田時代に至るまで、松山氏は乱世をしぶとく生き抜いたようである。だがその後はどうしたのだろう。「天正以後廃る」とあるのは、武田方についたために、家康と敵対、滅ぼされたのであろうか。これだけの情報ではなんとも判断しようがないが、とりあえず、その城跡をみてみよう。

  


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 坂の途中に鳥居。城跡に、多く神社が建てられるのはなぜだろう。




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 鳥居の脇に、「城主松井氏の墓」。ちょっと新しい?




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 鳥居の先の坂を登ったところに、小さな社。




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 山頂の様子。確かに発掘等はされていなさそうだが、何となく、本曲輪と二の曲輪が横に並んだ連郭式の面影があるような、ないような。




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 ここが富士山の絶景ポイントらしいのだが、この日は全く見えず。残念。

 詳しい事はあまりよくわからない、小さな城であったが、こんな城がきっと、静岡にはたくさんあるのだろう。そして戦乱の時代が続いていくなかで、淘汰され、大きな勢力にのまれていったということか。では、先に進もう。 




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 この先、県道37号とお別れして、今度は県道386号線、あるいはその東側の裏道を行き来する具合に、「塩の道」は北に続いていく。




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 こんな裏路地など。




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 途中、「古川神社」。創建は室町時代。戦国時代には武田氏の崇敬篤く社領寄進の御朱印を賜るも、高天神城における合戦の際に消失、慶長十二年三月に再建された、とのこと。




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 その前に、「秋葉燈」。

 江戸時代、「天下泰平」の世となって社会が安定すると、各地で都市が発達した。狭い場所に建物が密集する形で、町は賑わっていく。すると、火事、という問題が発生した。木造建築の文化である日本にあって、それは宿命的なことだともいえた。しかしだからといって甘受できるものでもない。そこで人々は「神頼み」を始めた。すなわち秋葉信仰である。

 結果、現在の浜松市天竜区春野町にある「火伏せの神」の社、秋葉神社へは、幾つもの巡礼の道が繋がることとなった。今。私が辿っているこの「塩の道」という元来通商のための道も、「秋葉街道」という脇街道として、巡礼者たちが賑わうこととなった、というわけだ。この「塩の道」の各所にみられる常夜灯は、その「巡礼の道」秋葉街道の名残でなのである。

 このあたりの事情は、また後の機会に、つまり「塩の道」がもっと秋葉神社に近づき、「秋葉街道」としての性格を強めてから、もう少し詳しく書くつもりでいる。今は、さらに先を目指しつつ、もう一度次回へ続く。



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