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奥藁科 その3・坂本


 奥藁科 その3・坂本


 藁科川沿いの県道60号線の、前回ちょっと触れた「鍵穴」という地区のあたりから、川下から向って右の方に逸れていく谷筋にあるのが、坂本、という地区である。




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 その入り口あたりにある案内看板。いろいろあるが、気になるところを選んで、いってみる。




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 早速みつけたのは、昭和の遺物。マツダの三輪自動車。私が小さい頃には、まだ現役で走っていたものだが。




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 「七人塚」跡。信玄亡きあと、勝頼の代に至り、ついに滅亡した甲斐源氏宗家武田氏。その後も武田氏の家臣七人が、武田氏再興を信じてここに隠れ住んでいたが、その望みもかなわぬことを悟り、全員自害した。それを哀れんだ村人が、塚をつくって彼らを祀った、とのこと。




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 さらに谷の奥、集落の家々がなくなり、道が山の坂道を登った先にあるのが、この「坂本姫の碑」である。坂本姫の名が、この地区の地名の由来となったというのだが、勿論、私はこのひとのことをまるで知らなかった。そこで、石碑に刻まれた「坂本姫伝説と由来」というのを読んでみて、驚いた。以下、その碑文の主要部を転載する。


 源氏が平家にとって変わる平安時代の終わりごろ高倉天皇に仕えていた米沢官女は京の都より奥藁科の栃沢にやって来ました。その後を追って京より坂ノ上某と名乗る武士が訪れて二人の間にうまれた娘が坂本姫であります。
 (中略)
 さて妙齢になった姫は源氏頼朝の家来であった御所ノ五郎丸と云う天下無双の士(建久四年 曾我兄弟仇討ちのおり曾我ノ五郎を組み留めた勇士)と結ばれ建仁二年十月十五日男子が生まれました。その男子こそ茶祖と称えられる聖一国師円爾(えんに)であります。
 (後略)


 なんだか話が大きくなってきた。

 つまり、頼朝に献上され、宇治川の戦いにおいて梶原景季の愛馬として先陣争いをした名馬摺墨を育てた米沢家のひととは、元は高倉天皇の官女であり、そしてその娘が坂本姫であった、ということだ。そしてさらには、その坂本姫の夫となったのは、かの有名な「曾我兄弟の仇討ち」において、曾我五郎時政を組み伏せて頼朝の危機を救った男だったのであり、しかも、この夫婦の息子こそが、静岡茶栽培の始祖であり、博多祇園山笠の生みの親である聖一国師であったと、こういう訳である。何だか今回観てきたものが、ここに全て収斂した感がある。




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 こちらは、「坂本姫の碑」から少し下ったところにある、「坂本姫の顔洗場」と、「姫の腰掛け石」。この石に腰掛けると罰が当たる、という言い伝えがあるらしい。




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 その顔洗い場辺りからの眺望。静岡市街地から、車で一時間とかからないところとは思えない様な、静かで美しい景色だ。ではその他、この奥藁科で私が撮影した写真を何枚か、お粗末ながらランダムに御覧頂こうかと思います。




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 ところで、名馬摺墨がこのブログに登場するのは、今回で実は二度目、なのである。ちょうど一年ほど前、史跡めぐりを始めたばかりの頃に、私の実家の近所にある「矢射タム橋」という所に行った。それは、頼朝の死後、鎌倉を追われた梶原景時とその一族郎党が、現在でいうところの東名高速清水インターあたりで地元の御家人の武士団と合戦となり、劣勢の中、西へ落ち延びようとした梶原景時が待ち伏せを受けて矢を射かけられた場所であった。

 このとき、景時が乗っていたのが、摺墨だった、と私は書いた。摺墨は息子の景季の愛馬ではあったが、その時の状況としては、全滅の危機を感じた景季が、父親だけでも逃れさせようとした結果、景時だけが西へ向けてただ一騎、駆けていたのであるから、まあ、景季が自分の駿馬を父親に貸した、というのはありそうなことではある。

 しかしこのとき、そもそも本当に、景季なり景時なりが摺墨に乗っていたのか否か、それを判断できる材料は、私には、その記事のなかで紹介した地元町内会発行の郷土史を簡単にまとめた冊子があるのみである。それを全的に疑う訳ではないが、典拠とするには少々弱いといわざるを得まい。

 私の実家の近所の山中で、梶原一族は全員自害して果てたのであるが、そのときに摺墨も共にいたのであるなら、さて、その後摺墨はどうなったのか、という話になる。しかし「摺墨生誕の地」がここ奥藁科のみならず全国にある如く、その墓も各地にたくさんあるようなのに、「摺墨の墓」というのを静岡では聞いた事がない。

 ということで、「摺墨」に関しては、なんだかいろいろと自信があるようなないようなことになってきたが、まあ、「梶原贔屓」がこのブログの方針のひとつであることだし(笑)、「摺墨栃沢生誕説」支持も、方針のひとつに加えるとしましょう。

 では、今回の奥藁科めぐりはこれでおしまい。しかし、決してひろい地域ではないのだが、他にもいろいろと面白そうなものがたくさんありそうな場所である。満開の枝垂れ桜を観に、来年の春あたりにもう一度来たいと思う。それでは。




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