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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

宇津ノ谷峠 その3



 宇津ノ谷峠 その3・蔦の細道





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 「蔦の細道」岡部側登り口。立ち塞がるようなそびえ立つような、この石だらけの道に私、正直なところ少々たじろいだ。

 『平家物語』巻第十、第九十四句、「重衡東下り」。一の谷の戦いで敗北を喫した平家。そんななか、清盛の五男、三位の中将平重衡は源氏方に生け捕りにされ、出家を求めるも許されぬまま、寿永三年、鎌倉に下されることとなる。

 
 西国より生捕られて、故郷へ帰るだにかなしきに、いつのまにか、また東路へはるかにおもむき給ひけん、心のうちこそあはれなれ。
 (新潮日本古典集成 『平家物語』下巻)



 いうまでもなく、当時の日本の中心は関西にあった訳で、しかも、「辺境の地」である東国との「格差」というものは、現在の東京と地方都市との差など問題にならないほどだったはずだ。政治、文化の中心地である都の、さらにその中枢部にいた重衡にとって、雅趣のかけらもないような敵の手に落ち、さらに東国へと移送されるというのは、「あはれなり」どころの話ではない、本当に堪え難いほどの苦しみであったことだろう。

 『伊勢物語』の男の「東下り」のさみしさなど、これと比べるならば貴族の余興である。それでも、移送を担当したのが、源氏の家臣中では特に教養の高かった梶原景時であったことは、重衡にとっては唯一の救いといえたろうか。あるいは、重衡に景時を随行させたのは、頼朝の情けであったか。

 『平家物語』のこの辺り、登場人物の旅に伴って地名を挙げ、それにゆかりの和歌などを紹介する「道行文」といわれる形式を取っており、それは七五調のリズム等、詩文の趣きがあり非常に印象深い。ちょっと長いが引用してしまおう。

 
 都を出でて日数経れば、弥生もなかば過ぎなんとす。遠山の花は「のこる雪か」と見えて、浦々、島々もかすみわたり、来し方、行く末を思ひつづけて、「いかなる宿業やらん」とかなしみ給へどかひぞなき。小夜の中山にかかり給ふにも、「また越ゆべし」ともおぼえねば、いやましあはれも数そひて、袂いたく濡れまさる。宇津の山辺のつたの道をも心ぼそくうち越えて、手越を過ぎて行けば、北に遠ざかつて雪しろき山あり。「いづくやらん」と問ひ給へば、「甲斐の白根」とぞ申しける。そのとき、中将、

 惜しからぬ命なれども今日までに
 つれなきかひの白根をも見つ

 (同上)



 名文である。小夜の中山で「また越ゆべし」といえば西行の有名な短歌、「宇津の山辺の蔦のみちを心ぼそく」は無論『伊勢物語』である。「手越」は丸子宿と安倍川の間にある、現在も残る地名で、ここの出身の千手前という女は、後々に重衡と浅からぬ関わりが生じるのであるが、そのロマンスについては『平家物語』を読んで頂くこととしよう。「白根」の山は南アルプス連峰の内のひとつである。旧暦の「弥生もなかば過ぎ」というと、図らずもちょうど私がここを歩いた四月下旬頃、ということになろうか。

 


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 これが、その重衡が「こころぼそく」越えて行ったという「蔦の細道」。ほとんど沢登りのような道である。

 


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 こんな道が数百メートル続いた。秀吉の軍勢を通過させるために、新たに開かれた峠越えの道が通って以来、そちらが越えやすいということで、この古来の道は次第に通うものがなくなり、長いこと廃道となっていた、というが、それも無理はないというものだろう。明らかに旧東海道のほうが歩きやすい。無論、両方ともかつての姿そのままと考えるべきではないだろうけれど、このきつい傾斜には、それほどの変化はないと思われる。運動不足の私は、すぐに息があがってしまった。




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 水はどこまでも清冽に。




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 「猫石」。何ゆえそう呼ばれるのか、ここだけはなぜか解説がなく、不明。




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 この辺りから、しばらく木々がひらけ、道も歩きやすくなった。しかし傾斜は急なままである。




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 しかしまた森の中へ。むき出しになった木々の根を階段代わりにしたような道。これまた、歩きにくかった。




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 ようやく、峠に。「蔦の細道公園」から、25分ほど。距離はなく、時間も大してかからなかったが、麓から一気に駆け上がるような道であった。

 「旧東海道」ルートで、これなら大丈夫、なかなか体力あるじゃんか、俺、なんて思っていた私の自信も、ここに至ってすっかり打ち砕かれた形。用意されたベンチにへたり込み、しばし休憩。ゼイゼイいいながら、疲れた両足をマッサージ。




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 峠から眺める、岡部側の景色。




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 こちらは静岡側。天気が良いと富士山がみえるというが、いずれにせよ「東下り」の旅人には、ただ山と木々が重なり続いているばかりの、気の重くなるような眺めであったことだろう。この森の中に消えてゆくような道に、踏み込んで行く。




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 杉林のなかを細道は続く。こちらもかなりの傾斜。下りは、やはり膝にくる。




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 まさに、蔦の細道。




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 漸く視界が開ける。見えてきたのは、スタート直後に渡った歩道橋である。さあ、麓だ。




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 ゴール。峠から約15分。時間は、ちょうど7時ごろ。全行程で、休憩も含めて1時間40分ぐらい、というところか。しばらくは座り込んでしまうほどに疲れたが、一応、歩き通すことはできた。

 いつもは車で、あっという間にトンネルをくぐり抜けるだけの、この宇津ノ谷峠。歩いて越えるのは、無論大変である。が、歩いて越えていた人たちは、それだけに、多くを感じ、多くを思いつつ、ここを過ぎて行ったのだろう。昔日の旅人達の思いに、少しだけ触れることができたような気がした、今回の史跡巡りであった。うむ、カブでまわるのもいけれど、ひとつの宿場をゆっくりと時間をかけて歩くのもいいかも知れない。まあそれも追々、ということで、今回はここまで。では、また。……筋肉痛を心配しつつ。



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