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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

カブで史跡めぐり 7


 旧東海道、掛川市、袋井市 
 その4・横須賀城(後編)



 現在、城跡の中心部は公園としてかなり綺麗に整備されており、駐車場は前述のようにその公園の西側にある。公衆トイレで用を済ませて落ちついてから、こんもりとした小さな山を登るような具合に、城跡中心部へと入っていく。




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 まず現れるのが、「西の丸跡」。




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 その先にあるのが、この横須賀城最大の特徴といっていい、この玉石垣である。天竜川から運ばれた石で組み上げられた、実に美しく、珍しい石垣である。




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 しかしまあ、見れば見るほど、お城っぽくない(笑)。やはり、ちょっと変わったお城である。

 


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 石垣の上に、「天守跡」。礎石などが復元されている。三層四階の天守があったという。




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 こんな解説も。この城跡、国の指定文化財らしく、あちらこちらでこうした発掘調査のことなどが詳しく解説されていて、単なる公園化ではなく、きちんと史跡として整備されているところがいい。




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 こんな模型もあった。これを見る限り、天守は一番高いところにあった訳ではなさそうだ。




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 実物と比較すると、ちょうどこんな感じ。写真奥の、木がこんもりしているところが、手前の模型の一番高いところにあたる。「松尾山」というらしい。では、他のところをまわりつつ、あの山を目差そう。




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 また石垣の下へ。三日月型の池、その名も「三日月池」。堀の跡、であろうが、三日月堀といえば、もう何度かお勉強しましたね(笑)、武田の築城の特徴であるが、勿論、この城に武田流築城術は関係ない。たまたまこういう形になったのか、武田流を真似てみたのか、それともその合理性故に築城を極めると必然的にこの形に至るのか、それはわからない。




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 三日月池に沿う道に並ぶ。




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 「北の丸跡」へ。かなりの広さ。その先にみえるのが、




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 「松尾山」登り口。ま、山といっても、土塁の大きいのくらいのものであるが。




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 「松尾山」の上にあるのが、「多門櫓跡」。多門(多聞)櫓とは、堀に沿って建てられた防御施設のことで、塀と倉庫、双方の機能を兼ね備えた、なかなか合理的な建物である。

 第二次高天神城の戦いの後、武田氏が遠州及び駿河から駆逐されると、高天神城、そして小山城が廃城となった。そのため、大井川から天竜川に至るこの海岸線のおさえは、この横須賀城が担うこととなった。高天神城、小山城は共に「難攻不落」と呼ばれた名城であったが、ああいう山城は乱世にこそ相応しく、平時の大名の居城としては、確かに横須賀城のほうが使い勝手はよさそうである。

 豊臣時代になると、城主であった大須賀氏は上総国に移され、横須賀城には豊臣の家臣が入ったが、慶長六年(1601年)、徳川の世になると、大須賀氏は、松平の姓を与えられて再びこの城の城主となり、その後は譜代大名の居城として、明治になって廃城となるまで存続した。

 では、そろそろ今回は帰路につくことにしよう。駐車場に戻ってカブに跨がり、最後に、県道を東へ1kmばかり行ったところの、掛川市役所大須賀支所を目差す。




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 その役場の入り口にあるのが、「町番所」。元々は横須賀城の東大手門の外側にあったらしいが、ここに移築された。




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 「櫛松」は、1682年から廃城までの横須賀城主であった西尾氏の家紋。




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 というところで、今回はここまで。図らずも、番所からスタートして、番所で終えることとなりました。さて帰ろうかと、帰路をスマートフォンで調べる。ここからまたしばらく県道を東へ行ったら、県道249号線および県道38号線で北上して掛川へ……って、これ、この間高天神城に行ったときに走った道を通って、今回のスタート地点である掛川城を目差せってことじゃん。イイカゲン疲れてきたのに、来るときに続いて帰りもまた同じ道を走るのかとウンザリ。

 しかしよく考えてみると、これはつまり、このあたりを東西へ移動しようとすれば、嫌でも通らなければならないような、まさに交通の要衝というべき場所に、城というものは建てられているのだ、ということを証明しているのではなかろうか。ナルホドねえ、などとひとり頷きながら、カブを走らせる私であった。さて、次はどこへいこうか。


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