FC2ブログ

乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『陰翳礼讃』

 
 日本的美、来し方行く末


innei.jpg

中公文庫 『陰翳礼讃』 谷崎潤一郎著
ISBN4-12-202413-7


 今度は谷崎、である。前回芥川を扱ったから、という訳ではない。年末、友人Yと久しぶりに夜の繁華街になど出掛けたのであったが、とあるバーでの会話の中で、そこのマスターが「面白かった」と言っていたのが、この『陰翳礼讃』だった、のである。私はこれを読んだことがなかったのだが、その翌日、ちょっとした時間つぶしにたまたま本屋に行くことがあったので、よい機会だと思って買ってみた、という訳だ。

 で、早速読み始めてみて、それは様々な意味で今の私の興味に応えてくれる内容であり、実に面白く読み進めることができた。ごく短い随筆ではあるのだけれど、いうまでもなく超一流の文章で、谷崎の美学なるものが簡潔に明解に、そして雅趣豊かに語られる、極めて魅力的な小品である。

 題名の「陰翳」とは即ち陰であり闇のことなのであるが、それは夜闇のごとき自然の暗闇のことではなく、建物のなかの、いわば「人工の」暗闇のことをいう。日本の伝統的な建築物というものは、大きな屋根と深い庇のために室内へ太陽光を積極的に取り込むようにはできておらず、よって室内は必然的に暗いものとなるのであるが、日本の美とは、まさにそのような暗い空間の内にあって初めてその真価をみせるのだ、というのが、まあ、全体において語られているものだといって良いと思う。つまり多く建築との関連において語られるのであるが、この辺りがまず、私の最近の興味と合致した。

 何故というに、わたくし、何と近いうちに家を建てることとなったからである。若い頃には遊び暮らしていたために貯金など全くなく、今現在もまた薄給を妻のパートタイムの収入で補ってもらいつつ細々と子供等を養っている私が、田舎のくせになぜか異常に地価の高い静岡市で、どうやって家なんか建てられるのか、といえば、勿論、老いし両親の多大なる援助なるもののおかげなのであるが、まあ、それは私の個人的事情である。何にせよ、家を建てるとなると、当然、部屋割りをどうするのかとか何とか、色々と考えなくてはならないのだが、その際、重要なのはやはり「陽あたり」というものなのだ。

 現代の日本の住宅の理想としては、できるだけ陽光を室内に取り入れられる形であることが望まれるのであり、私もそれを当然のこととしてあれこれ無い頭をひねっていたところだったのだが、少なくとも日本建築の歴史に於いては、この条件は実はそれほど絶対のものではなかったのだ、というところから、谷崎の論は開始される訳で、この意外性にまず驚かされた。

 所謂「近代化」の波というものが、日本においては西洋からやってきた、というところに、一種のちぐはぐさ、というか、いってしまうならば美的価値観の混乱のごときものがあるのは確かなのだろう。それを、陽光のもと、明るさのもとにある西洋的価値観が、「陰翳」のうちにあるべき日本的(もしくは東洋的)価値観が歴史的に育まれてきたところに、輸入され、「木に竹を接ぐ」がごとく、本来連続性をもたないものを無理に連続させてしまったところに見出した、谷崎の視点はやはり慧眼という他は無い。

 照明器具、食器類他什器類、はてはトイレといった身の回りのものから、能だの文楽だのといった伝統芸能における芸術美、さらには女性美に至るまで、全て、谷崎は彼の所謂「陰翳」内にあってこその美しさだといい、西洋的な明るい空間では、その美は本来のあるべき姿にあることはできないという。が、その詳細についてはもう実際に読んで頂くのが一番なのでここで詳述することはしない。注目すべきは、やはりその着眼点そのものであろう。

 論を進めるにおいて谷崎は、多く西洋的な美との比較という形で、その日本における「陰翳」の内の美なるものを語ってはいるのだけれど、これは読者の理解を助けるために比較対象を持ち出しているだけであって、語られるのは洋の東西を比較した上での優劣だとか好き嫌いだとかいう相対的なものではなく、あくまでも「日本の美」というものの絶対的な「在り方」である。このことは、まあ一読すれば明らかなことだとは思うのだけれども、ただこの点をきちんと確認しておくことは、谷崎の謂わんとすることを理解する為には大切なことだとも思う。

 最近のテレビや何かで、日本の伝統的な工芸品だとか職人仕事だとかを外国人に見せて、その感心する様を眺めてみたり、あるいは日本製のものが国外で使用されてその価値を認められていることを、わざわざ海外にまで取材にいって紹介したりなどして、やれ日本人のモノづくりは素晴らしいだの、その美意識の細やかさは他に比類が無いだのと自画自賛する番組を見掛けることがあるが、私はああいう方法で、所謂「日本の良さの再発見」をしようとすることには少なからざる問題があるように思う。

 なぜならその「日本の良さ」なるものは本来日本において日本人が考え、感じ取り、大切にすべきものであって、ああいう方法で外国人に紹介しようというのならばともかく、日本人が自ら再認識しようというのならば、日本人にしかなしえず、理解もし得ない方法というものがあるはずだからだ。それはすなわち、そのものが本来あるべき姿にある状態、つまりは日本において日本人よって使用され感受されている状態で評価する、ということであり、そして谷崎が謂うところのものも、ここにあるのではなかろうか。

 そう、谷崎は例えば漆器だとか掛け軸だとか、そうした具体的なものが廃れたのだと懐古的に語っている訳ではなく、それを感受すべき「陰翳」が失われたことを嘆いているのである。つまり換言するならば日本的美なるものが「在るべき場所」が失われたのであり、評価をしようにもその手段を奪われてしまったことをいっているのだ。

 この随筆の初出は昭和八年である。昭和のはじめの時点ですでに、日本の文化というものの急激な西洋化による「跛行」は、もうどうにも後戻りのできないような段階にまで進んでいたと、本文を読む限りではそう判断するほかはないだろう。谷崎の所謂「陰翳」はもう80年も前に、西洋的明澄さに駆逐されていたのだ。

 こうした状況にあっては、厳しいいいかたではあるが、日本の伝統的な工芸だとか職人仕事だとかが廃れていくのも必然といわざるを得ないだろう。外国人が日本古来のものを高く評価してくれるならばそれは嬉しいことではあるのだけれど、それで日本人自身が「再評価」することなどできない。そして在るべき場所を失ったものは、消えていく他はないのである。

 しかしなおそれを惜しみ、消えゆこうとするものを留めおこうと欲するならば、我々にもそれなりの覚悟が必要であろう。私は祖母の家を思い出す。それは私の生まれた家でもあるのだが、その家については、去年カブツーリングについての記事の中でちょっと触れたことがある。

 旧東海道沿いの、築後百年を超える古いその家は、典型的な「うなぎの寝床」で、間口は一間半しかないのに、奥行きは信じ難い程に長く、しかも二階屋となると、その一階には陽光というものは一切射し込むことはなかった。昼も夜もない。奥内は常に暗闇の支配下にあった。そしてそんな家が、昔の街道には隙間無くびっしりと並んでいたのである。つまりその一軒一軒が、それぞれの内に、それぞれの「暗闇」を内包していた訳だ。

 あの「暗闇」が、谷崎の「陰翳」とどれほどの共通点をもっていたのか知らないが、これから家を新築しようという私としては、あんなに陽あたりの悪い家を建てようとはどうしても思えない。密閉度の高い現代の家屋においては、明るさのみを外部から取り入れ、暑さや湿度には空調設備で対処するのが常套手段である。根本的に、蔭や暗闇と共存するようにはできていないのだ。

 そしてそれは我々の生活万端にいえることだろう。何もかもは、最早「古き良き日本」のものと共存するようにはできていない。それを再度受け入れるためには、多分、「古き悪しき」日本の風習までもを受け入れなければならないのだが、我々にそれはをすることは不可能だ。新しきものの利便性は、もう我々の骨の髄にまで染み入っている。

 文明開化を、文字通りの「西洋化」によって成したのが、我が国の歴史であり、今思うとそこには谷崎のいう通り、日本古来の文化にとっての不幸があったといえる部分は大きかったのかも知れない。そしてきっとそれは物質的なものに留まらず、精神的な部分においてもまた事情は同じだろう。

 悲観的なことばかり書いた。ただ、一方において意外な程に、あるいは呆れる程に、古きものとの親和性を失っていないのもまた、日本人の特色だと私は思っている。最近史跡巡りなどににわかに凝り始めた私であるが、私が強く感じているのは、特に神社仏閣等という信仰の場に於いて、我々の根源的といっていい部分でのある種の「古さ」というものである。ユダヤ教系の一神教の文化との比較において、自らを「無宗教」だと思う人の多いこの日本の、信仰の場に於いて、である。

 そしてここにこそ、私は日本文化の未来があると思っている。いや、神様仏様を信じろ、ということではない。「信仰」というものが、西洋とは違う形で今なお根付いているのが日本の文化だ、という点をよく考えてみるべきだろうといっているのである。対象が何であるのか、それは多分一義的な意味を持つ訳ではないのだ。重要なのは、我々の視点であり、そして見かたである。そうした意味では、谷崎のいう通り「試しに電燈を消してみること」もあるいは有効な手段なのかも知れない。少なくとも、そこには我々の知らない、しかし思うよりは我々とは無縁ではない「視界」が、ほの暗さの中に広がっているのだろうから。

あ、最後になりましたが、あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。


関連記事
カブのこと 3・県道396号線 その3 興津、清水港
オイゲン・ヘリゲル 『日本の弓術』 「日本人の失ったもの」

にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村

スポンサーサイト



PageTop