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私とオートバイ・その7 GSX1100S


到達点  #1 (1992-1994 年)




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 1991年式
 Suzuki GSX1100S(L) KATANA
 空冷4サイクル直列四気筒1074cc
 最高出力111ps/8500rpm
 (写真はSZ。たぶん。)


 無論私は、合格するつもりで試験に挑んでいた。しかし、こんなに早く合格できるとは少しも思っていなかった。でも確かに、望んでいた道が眼の前に開けた。その景色を前に、私は浮き立った。大型バイクに、乗れるのだ。それは絶好のタイミングといえた。Z400GPの車検が、8月までだったのだ。そのちょうど一ヶ月前の、限定解除であった。新たな愛車をみつけ、乗り換えるには本当に絶好のタイミングであった。

 ナナハン、つまり750ccの中古バイクを、まずは選ぶつもりだった。免許はあっても、未だバイク歴は1年あまりの初心者ライダーであることを、私は自覚していた。中古車市場で、ナナハンは比較的安く流通していた。無論、乗り手が少ないから、であるが、そんな安い中古車を買って、大型バイクのライダーたるに相応しい経験を積むつもりだった。

 ホンダのCB750Fか、あるいは、Z400GPの上級車種であるZ750GPか。当時は、そのあたりのバイクならば、50万ほどあれば充分買えた。とにかく免許の取得が難しく、大型バイクの需要が少なかったので、400ccクラスのバイクよりも高性能であり、新車価格も高額でありながら、ヨンヒャクの中古車よりもずっと安く売られていたのだ。私はそんなお買い得な中古ナナハンを探すため、バイク屋まわりを始めた。

 で、何件目かに、ある全国チェーンの量販店に行った。需要がない、ということは、供給も少ない、ということで、小さなバイク屋では、なかなか大型バイクの中古車は置いていなかったのだ。で、台数のある大きな店に行ってみたのだが、そこで、一台の中古車と出会い、事態は急変した。

 スズキGSX1100S。このオートバイの外見の「特殊性」については、いわないことにしよう。記事冒頭の画像を見て頂いたなら、それで充分だろう。それは1990年に、スズキの70周年のアニバーサリーモデルとして、1000台限定で販売されたSM型と呼ばれるものだった。中古販売価格、89万円。私はしばし、そのバイクの前で立ち止まった。そのシルバーの美しい車体に、見入った。またしても、一目惚れしてしまったのである。

 私はその足で、GPの面倒を見てもらっていたバイク屋に向った。そして、その中古カタナの値段が妥当かどうか、また、買う、という選択の是非について、聞いてみた。程度が良ければ買ってもいいんじゃないか、とか、よその店で買っても整備はするよ、などと店のメカニックのひとは言ってくれた。いよいよ、あのカタナを買うことについて、私が積極的に考え始めたそのときに、横から声がした。曰く。

 「新車のカタナが一台あるけど、どう?」

 それは、ちょうど店に来ていたスズキの営業マンのひとだった。我々の話を聞いて、声をかけてくれたのだが、私はその言葉に耳を疑った。

 GSX1100S”KATANA”。通称「センヒャクカタナ」の販売開始は、1981年のことであるから、それから当時すでに十年以上が過ぎていたことになる。カタナの生産は一旦、1987年に終了したのだが、上述のようにスズキは限定再生産モデルを1990年に、主に日本国内への逆輸入という形で販売した。これはあっという間に完売し、新車のカタナはもう手に入らない、はずだった(当時はまだ、国内メーカーの自主規制によって、国内で販売するオートバイの排気量は、最大で750ccまで、ということになっており、それ以上のスペックのバイクが欲しければ、国産であっても逆輸入という手段をとる他はなかった)。

 だが、新車がある、というのである。スズキの営業マンがいうのだから間違いないだろう。幾らか、と聞けば、120万円、という返答。あるはずのない新車のセンヒャクカタナと、ひゃくにじゅうまんえん、という数字。私の頭は混乱していた。ちょっと考える時間をくれないか、と答えて、私は店を辞した。

 後から知ったことであるが、限定販売であるアニバーサリーモデルの生産が終了したのちにも、スズキはごく少数の、アニバーサリーモデルと同仕様ではあるが、タンクの上の「70周年記念ステッカー」がないだけのモデルを継続生産し、SL型として販売していた、というのが、この「あるはずのない新車」の正体であった。これには、色違いのSSL型というものもあったらしいが、まあともかく、当時の私としては、新車が存在する、という事実だけが問題であった。そして、その120万円という値段も。

 欲しかった。しかし、すぐに購入を決められるような値段ではなかった。やはり、安い中古を探すべきである気もした。あるいは、まだ初心者なんだから、Z400GPの車検を通して、もう一年ぐらい乗る、という選択肢も私は持っていた。翌日になってもあれこれと思い悩んでいた私に、そうとは知らぬ兄が声をかけた。私が限定解除試験に合格したご褒美に、自分のバイクでひとっ走りさせてやる、というのだ。

 私よりも一足先に限定解除していたの兄の当時の愛車は、カワサキのGPZ900R、ニンジャであった。あの、映画『トップガン』でトム・クルーズが乗っていたバイクである。普段はひとに自分のバイクを貸したがらない、兄のせっかくの仰せに、私は喜び勇んで飛びついた。

 私は初めて、大型バイクで公道を走った。大きくずっしりとした車体の存在感と、その巨体をものともしない、大トルクのエンジン。無論おっかなびっくりの初走行ではあった。しかしそれが、やはり400ccのバイクとはまるで別物であることは充分に知れた。そして、それがあまりにも魅力的な乗り物であることも、充分に知れた。

 迷いは吹っ切れた。またしても親に頭を下げ、大幅に足りない購入資金を借りた。GP購入時に借りた分を、あっという間に返済していたことが、私の信用をあげていたようだった。そしてその翌日、私はバイク屋に赴き、正式にカタナを発注した。初心者なんだからまずはナナハンから、などという殊勝な心がけはどこへやら、100馬力オーバーのモンスターバイクを買ってしまったという訳だ。1992年、8月3日のことである。

 ただ、その時点でまだ車体は海外にあった。あくまでも、1100cc、111馬力という、国内メーカーの自主規制の数値を超えた輸出用モデルの、逆輸入、なのである。輸送、通関にはまだ何日も掛かり、それから納車準備、ということになるので、それまでは、車検の最後の月を迎えたZ400GPを乗り続けることとなった。

 まだ、次のバイクを発注しただけで、何も変わっていないはずだった。しかし、あれほどに自分の身体との一体感を覚えていたGPが、何だか、小さく感じられるようになった。車体は軽すぎるように思え、シートの着座位置からハンドルまでが近すぎ、窮屈な気がした。エンジンは物足りなく、頼りなく感じた。

 不思議な違和感だった。不思議な不足感だった。そして、不思議な距離感だった。私の気持ちがカタナへと向かい、移ったとき、もうあのGPとの一体感は失われたのだった。それはあるいは、私とGPと繋がりが極めて「心情的」だったことを、逆説的に証明していたのだといえるのかも知れない。

 8月31日。私は下取り車として、GPをバイク屋にゆだねた。一年を共に過ごしたZ400GPとの、別れであった。


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