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私とオートバイ・その6 Z400GP


 アイデンティティ #3 (1991-1992年)



 限定解除試験合格、という明確な目的をもって走るために、我が愛車Z400GPは全くもっておあつらえ向きのバイクだ、といえた。

 無論、本当ならば試験のときに乗るものと同じバイクで練習するのが理想なのだが、750ccのバイクなどもっていないし、第一、あったとしても免許がないのだから乗って練習などできない。よって、可能な限り試験車に近いバイクで練習する他はないのだが、GPはまさに、その「可能な限り近い」バイクだったのだ。

 中型限定免許で乗ることのできる最大排気量である400ccのエンジンをもち、しかも、400ccクラスとしては大柄な車格。そして、試験車に似た、オーソドックスなアップハンドルとダウンステップというライディングポジション。それは、いつでも試験を意識して乗ることのできる理想的なバイクだったのである。

 結局、試験で見られるのは、基本的な動作ができるか否か、である。だから、中型二輪の免許を取るときに習ったことと、実は全く違うことを求められる訳ではないのである(波状路走行や一本橋の時間など、課題に違いはあるが)。400ccのバイクも、750ccのバイクも、乗り方に違いはないのだ。ただ、より正確にできるようにならなければならない。

 車体が大きく、重くなる、ということは、小手先のゴマカシがきかなくなる、ということを意味する。少しでもバランスを崩せば、重いバイクはすぐに倒れてしまう。軽いバイクならば、力ずくで回復できた。しかし大型バイクではそうはいかないのだ。倒さないためには、バランスを崩さないことだ。そしてバランスの乗り物であるオートバイのバランスを崩さないためには、オートバイという乗り物の特性を理解し、それに見合った操作をすることだ。即ち、「基本に忠実に」、である。

 乗り始めて一年にもならない初心者ライダーであった私なりに、以上のように考えて、実行することにした。自己流やカッコつけは忘れて、自動車学校で習ったことを思い出した。ブレーキやクラッチはしっかりと4本の指で握り、ステップは土踏まずで踏み、両膝で常に車体をはさみこんだ。スラロームのような動きをするときは、ハンドルをこじらずにアクセルワークで車体の傾斜角をコントロールし、ブレーキングにはちゃんと後輪ブレーキも使った。

 無論こんなことは本当に基本中の基本である。だがそれこそが本当に大切だということに、私はすぐに気付かされた。1991年の年末に二十歳になった私は、翌年の春頃に、まずは腕試しとばかりに、試験を受けてみた。結果は不合格。しかし私がショックを受けたのは、クランクの入り口でバイクを倒してしまったことだった。実は私は、コース内での、試験向けの走行に自信があったのである。少なくとも、中型の教習を受けているときから、コース内でバイクを倒したことなど一度もなかった。さらにいえば、クランクやS字には絶対の自信をもっていた。だがよりによってそこで私はすっ転んだのである。

 やはり緊張していたのだろう。だが転倒は転倒、不合格は不合格である。試験だから緊張してしまうのは仕方がないとするならば、やはり、緊張して身体がいつものように動かなくてもなお、乗り馴れない750ccの試験用バイクをコントロールできるぐらいに、基本動作を身体に叩き込まなくてはならないのである。

 私は基本動作を意識しつつ、しかもこれまで以上に長くバイクに乗る、ということを始めた。バカみたいに飛ばしたりせず、落ち着いて、考えながら走った。全ては限定解除試験合格のため、だった。しかし私は、そうした走りのなかであることに気付いたのである。思えばなぜそれまではそのことに考えが至らなかったのか、不思議ではある。つまりそれまでは、ただ走り回ることに夢中になり、あるいは峠道でバカみたいにスピードを上げることばかりに夢中になり、他のことを考える余裕をもたなかった、ということなのだろう。

 それはなにか。私はバイクを手に入れることで、それまでには考えられないような速さで移動できるようになった。そしてまたバイクに乗ることで、夜、という時間を手に入れることができた。夜の街をうろつくことのできる移動手段を手に入れる、ということで、それまでは寝る時間でしかあり得なかった大きな時間を、活動のために使うことができるようになったのである。バイクがもたらしてくれたこのふたつを、私は楽しんでいた訳だ。新しいスピードと、新しい時間。それがバイクだった。

 手に入れた、速度と、時間。私はあるとき、はっと思い至った。速度と、時間。このふたつがそろったとき、必然的にそれは、距離、というものをも手に入れたことになるのだ、と。

 小学校で習う、算数の問題である。算数の不得意な子供であった私にとって、それはなかなか理解が難しい問題であった。しかし二十歳の私は漸く、それを身を以て実感することで、理解したのだった。バイクがあれば、遠くに行ける……それが、答えだった。

 ただそれは、直ちに何らかの形に、現れるということはなかった。バイクで遠くへいく、というとつまりロングツーリング、ということになるのだが、無論、それはすぐにすぐ実行できるような性質のものではないからだ。しかしバイクというものが、「旅の手段」たり得るものだとして、はっきりと意識されたことは大きかった。

 地図を開く。オートバイで、遠くへ……。若者というものは、得てして極端にはしるものである。細長い日本のほぼ真ん中あたりの静岡から、最も遠い場所、といえば、沖縄等の島嶼部を除くなら、北海道と、九州だ。どちらでもよいのだが、やはりバイクツーリングといえば、北海道、であった。

 ふたつ目の、目標ができた。オートバイで、北海道へ。しかも私は、それに「大型バイクで」という条件をつけた。ふたつの目標は、ひとつにまとまった。限定解除をし、大型バイクを買い、それに乗って北海道へ。それにはまず、あの難関を突破することだ。

 「真面目に」乗ることによって、私は上達しようとした。実際にはどうだったのだろうか。ただいえることは、私と愛車Z400GPとの、何というか、親和性とでもいったものが、大いに高まった、ということだ。つまりひらたくいうと、ノレてきたのだ。

 このバイクのあとにも、私は沢山のバイクに乗ることになるのだが、今思い出してみて、自分なりに一番「乗りこなせた」と思えるのは、間違いなくこのZ400GPである。その性能を全て引き出した、とはいえないのだろうけれど、確かなのは、ある種の情緒的な繋がりをすら、私は感じていた、ということである。

 工業製品であるオートバイについて、「情緒的なつながり」とは、おかしな言い方と思われるかもしれない。だが実際、この頃から書き始めた日記など開いてみると、私は愛車について、「今日はなんだか疲れているようだ」とか、「自分は不機嫌なのに、GPは変にご機嫌だ」だとか、そんな書き方を当時の私はしている。今読むと自分でも可笑しくなるが、その後に乗ることになるバイクについては、こういう書き方は一切していないところをみると、やはり、このGPにだけ感じていた、特別な「何か」があったのだろう。

 あるいはそれは、当時の私の所謂「人間への失望」なるものへの反動として生じたものだったのかもしれないが、何にせよ、バイクに乗る技術というものの上達のためには、どうやら結果としてよい方向に作用したようだった。対話するようにバイクに乗ることは、バイク特有の挙動というものを理解することを助けてくれたらしかった。いつのまにか、私は後輪を滑らせながらカーブを曲がることをすらしていた。

 GPでなら何でもできる気がした。当時すでに爛熟期にあったレーサーレプリカモデルのバイクに比べたなら、その限界性能はお話にならないくらい低い、時代遅れなバイクであるGPだったが、バイク歴1年の当時の私には、きっとぴったりなバイクだったのだろう。その実に感覚的な私の「ノレている」感は、やがて、ひとつの形を得るに至った。

 限定解除試験、二度目の挑戦は、またしても課題走行の失敗にによって不合格となった。急制動で、後輪をロックさせたのである。そして三度目。このあたりから、上述の日記に記述があるので、正確な日付がわかる。三度目は、6月16日だった。またしても失敗。しかし課題走行で失敗することはなかった。ひとつ、前進である。

 続く7月3日、限定解除試験4回目。日記によれば、「手応えはあったのに」不合格であった。ここで少々危機感を抱いたことを覚えている。手応えがあった、ということは、つまり、自分としてはよくできたと思った、ということで、それは裏返せば、明確な「不合格の理由」がわからなかった、ということを意味するからだ。これでは、対処のしようがない。

 十回受けても二十回受けても受からない、そんなひとも実際にいたのだが、そういうひとは、大概、この「自分の何が悪いのかわからない」状態におちいり、そして徒らに回数ばかりを重ねてしまう、というパターンが多い、と聞いていた。自分もそんな状態になってしまうのではないかと、それを私は怖れたのだった。

 そうしたドツボにハマることだけは避けたい私は一思案した。スラロームだとかS字だとかいう課題走行は、はっきりと成功か失敗かが自分で判断できる。そして4回目の挑戦のときに、そこでの失敗はなかったはずだ。だとすると、減点されたのは、交差点だとか直線路だとかを走っているときの、安全確認だとかウインカーを出すタイミングだとか、そういった部分であったということだ。よし、では全体的に、もっと丁寧で、確実な走行をしてみよう。

 そして、7月24日、5回目の挑戦。合格はできなくとも、前回より少しでも進歩できればよいと、そんなつもりで私は挑んだ。全体として、その少々控えめな目的は達成できた、と思えた。ただ、坂道発進のとき、少しだけリアブレーキを離すタイミングがずれ、わずかだが車体が後退したように感じた。オートバイは感覚的な乗り物である。車体のわずかな挙動が、ときにはライダーには大きく感じられることがある。実際にバイクが後退したのか、それとも、サスペンションのちょっとした動きを大きく感じたのか、判断の難しいところであった。

 そんなことを考えながら、私は合格発表を待った。私と一緒に試験を受けた三十数人のひとたちと共に、数字の並んだ大きな電光掲示板の前にたった。アナウンスの後、合格者の受験番号だけが光った。合格者はたったの三人。「合格率は一割以下」、いわれていた通りだ。光のともった、たった三つの数字。そのなかに、「111」、私の受験番号があった。

 二十歳の夏。私は限定解除試験に合格した。


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