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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

晩年の青春 —A・フランス

 夕方、職場からそろそろ帰ろうかという私の元に、妻からメールが届いた。保育園からの帰り道、我が家のふたりの子供が、こんなものをみつけた、とのこと。



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 みるからに、羽化寸前である。しかしまだ日没前であるから、少々、土から出てくるのが早かったようだ。そのせいで、鳥だとか猫だとかいう連中とならんで、蝉の天敵たる「子供」にみつかってしまったという訳だ。そのまま連行され、我が家のカーテンにて、生き物観察の格好の標本にされた。

 で、帰宅した私が、どれどれ見せてと娘に頼み、その標本のもとに連れてってもらったならば、すでに、羽化は始まっていた。




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 雄のクマゼミであった。私も蝉の羽化をみたのは久しぶり、ふたりの子供たちは無論初めてであった。その美しい姿に一家そろって興奮したのであるが、土中に数年、その後、樹上に鳴き暮らすこと数日の、この蝉という種族の一生を思うにつき、私はこの一文を思い出す。で、ちょっと長いが今回の「人生を凌ぐ一行」。



 …わたくしが創造主であったら、いま優位を占めているタイプ、すなわち高等哺乳類のタイプとは非常に異なったタイプに基づいて、人間の男女を造っていたであろう。現にあるような、大きな猿に似たものにではなく、昆虫に似たものに男や女を造っていたであろう。毛虫として生きた後に、姿を変えて蝶となり、その生涯の果てには、愛することと美しくあることのほかには心を配らない昆虫に似たものに。わたくしだったら人間の生涯の最期に青春を持って来ていたであろう。
 (大塚幸男 訳)



 アナトール・フランス、『エピクロスの園』の、『人生』の章の一文。生涯の最期に、最も活力にあふれ、輝かしい時期を迎える、というのは、なるほど、魅力的だといえよう。懐疑的で、冷笑的なフランスらしい一文だが、また彼らしく、どこかロマンティックで耽美的な一文、だともいえる。そしてこの章を締めくくる言葉には、また彼のイロニックな一面がみられる。



 …天地創造を引き受けたデーミウルゴスはわたしの意見を容れなかった。ここだけの話であるが、デーミウルゴスは哲学者たちや才気ある精神の持主たちに相談したのであろうかどうであろうか、怪しいものだとわたくしは思う。



 自然は、我々の思い通りには、残念ながらできていない。ただ、自然は多くの場合、我々が頭をひねって作り上げたものよりも、上手くできているのがくやしいところである。青春期が人生の最後にあったならば、確かにそれはそれで素晴らしいだろう、とは思われるが、それはあくまで、とうの昔に青春期を終えて、その後の実人生なるものを経験したからこその感想なのであろう。

 無知で経験不足な若者だからこそ、青春期なるものを必死に生きることができるのである。すなわち、「若気の至り」こそが青春なのだ。人生を生きた後の経験豊富な者は、若者がするであろうようなことなど、恐ろしくて気恥ずかしくて、できたものではないはずだ。我々は、デーミウルゴスの深遠なるご配慮に感謝しつつ、今与えられてあるところの人生を全うするのがよい、ということなのであろう。

 今回の「人生を凌ぐ一行」を読める本。



エピクロスの園 (岩波文庫)エピクロスの園 (岩波文庫)
(1974/09/17)
アナトール フランス

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 表紙に、「芥川はこの書の影響を受けて『侏儒の言葉』を書いた』とある。読めば、エスプリのきいた言葉が数々並び、なるほど芥川の芸術至上主義にかなう逸書だ、と納得させられる。いや、アナトール・フランスの影響が、芥川の芸術至上主義を形成した、とするのが正しいのか。どうあれ、久しぶりにこの本を取り出し、拾い読みなどしてみると、ついつい夢中になって読み進めてしまう。実に、魅力的な本である。

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