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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

ゆきどけ —ヴィヨン

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 この写真は、先月の14日の大雪から、一週間ほど過ぎたころの、山梨県某所のものである。私は運良く雪の降った地方へはいかずにすみ、何ということもなく終わったのだったが、会社の同僚の運転手の幾人かはすっかり雪にはまってしまい、二日も三日もトラックの中に閉じ込められてしまった。

 あれほどの雪、死者が出たほどの被害をもたらした大雪も、一週間も過ぎれば、山梨県あたりでもこんなにとけてなくなってしまう。そこで思い出したのが、この詩句だった。



  人魚(シレエヌ)の聲 玲瓏と歌ひたる
  百合のごと 眞白き太后ブランシュ、
  大いなる御足のベルト姫、また ビエトリス、アリス、
  メエヌの州を領じたるアランビュルジス、
  ルウアンに英吉利人(イギリスびと)が火焙(ひあぶり)の刑に處したる
  ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ、
  この君たちは いま何處(いずこ)、聖母マリア。
  さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何處。

  わが君よ、この美しき姫たちの
  いまは何處に在(いま)すやと 言問(ことと)うなかれ、
  曲なしや ただ徒(いたづ)らに疊句(ルフラン)を繰返すのみ、
  さはれさはれ 去年の雪 いまは何處。

  (鈴木信太郎訳)
 

 フランソワ・ヴィヨンの有名な詩、『 疇昔の美姫の賦』の最後の二節……であるが、普通はこんなにムツカシイ題名ではなく、『いにしえの美女達のバラッド』とか、そんな感じの訳題があてられている。私の持っている詩集が、初版が1965年という古さなので、どうか、ご容赦を。

 かつては世に時めいた美女たちだが、今となっては彼女等を懐かしんだところで、もうどこにも見出すことはできない。去年の雪を訪ねるが如く、それは甲斐のないことだと自らを諌める、これはそんな詩ではある。

 しかし逆に、雪というものは、じっと耐えて待っていれば、やがてとけてなくなり、春がやってくるのだ、と読むことも可能ではなかろうか。雪などは、美女たちの美しさと同じく、はかないものなのだと。



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 この写真は、数日前に近所で撮ったもの。静岡市の市街地は結局、雪などちょっとぱらぱらした程度で終わってしまったが、雪国などでは、我々よりも、春を待つ思いは強く、切実なのだろうなと想像する。今年はなんだかいつまでも寒い感じだが、春は確実に、近づいている。

 そして、あの震災から三年が過ぎた。北の被災地にも、本当の意味での雪どけのときが来ることを願う。

 今回の「人生を凌ぐ一行」が読める本。




ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)
(1965/05/16)
鈴木 信太郎

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 初版は1965年。しかし私の持っている版は、2000年の第13刷である。こうした古典が、少しずつでも版を重ねているということは、悦ばしいことである……なんて殊勝なことをいってはみたものの、実は、私が知るヴィヨンの詩は、上記の『疇昔の…』一遍きりである。つまり、この詩集を通読したことは一度もないのである。

 フランソワ・ヴィヨンという、この十五世紀を生きた詩人。悪漢小説、などという言葉はあるが、書き手自身が筋金入りの悪玉だった、なんて例は滅多にあるものではない。それだけでもじつに興味深いし、それに、ボードレールがどうこうなどと、えらそうなことを書きたいのならば、こうしたフランスの古い詩人についても当然勉強するべきなんだけれど。あ、ちなみに、上記の詩のなかで「 ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ」と謳われているのは、ジャンヌ・ダルクのことである。彼女への興味から、私はこの詩を知ったのでした。


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