FC2ブログ

乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

再開にあたり、文豪のありがたいお言葉を —ゲーテ

 先日、サーカスへ。




IMG_0412_convert_20140216133438.jpg

IMG_0418_convert_20140216133522.jpg

 木下大サーカス。ホワイトライオンだとか、シマウマだとか、キリンだとかの動物のショーや、空中ブランコ、バイクの曲乗り等、迫力のあるショーを間近で観て、子供等も私も大いに楽しんだ。

 ああいった軽業をする人たちというのは、もうみるからに身軽そうな体格なのだが、それが女性となると、男性よりも筋力がない分、力に頼れないということで、本当に子供の様に小柄な身体でくるくると動き回る感じだ。

 そうした様子を見ていて、思い出したのはかのミニヨンである。昔は、「サーカスの少女」といえば、不幸な生い立ちを背負っているものと相場が決まっていた。悪いことをする子供を脅すのに、「サーカスに売っちゃうぞ」などというひどい言葉まであった時代が、確かにあった。勿論現在にはそんなことは全くなく、サーカスの人たちとは、努力して舞台に立つ一流のエンターテイナーたちのことをいうのだけれど。

 
   君知るや、レモンの花咲くかの国を。
  小暗き葉影にオレンジは熟し、
  そよ風は碧き空より流れきて、
  ミルテはひそやかに、月桂樹は高く—
  君知るや、かの国、いざかの国へ、恋人よ、
  いざかの国へともに行かまし。

                (高橋義孝 訳)


 文豪ゲーテの代表作、『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』第三巻第一章冒頭の、有名な詩。歌い手は、その人物自体が文学史上の傑作といわれる、薄幸の少女ミニヨン。彼女はまた、「憧れの象徴」などとも称されるが、そのゲーテの南方(イタリア)への憧憬の具現ともいうべき彼女の人間性を、見事にあらわすこの詩は、同じ『修業時代』の、もう少し前のところで語られる言葉を明確に裏付けもする。久しぶりの、人生を凌ぐ一行。


 「詩というものはね、立派な詩であるか、それとも、そもそも存在しちゃいけないかのどちらかなんだ。」(第二巻 第二章)

 
 他ならぬ文豪ゲーテにいわれると、もうなんとも反論のしようもないような、そんな一言ではある。存在しちゃいけないような、詩のできそこないみたいなものの存在を許すか否か、それを左右するのは、我々読者の審美眼である。……なんてこというと、また読書がコムズカシイものになって、このブログの更新も遅れていくことになってしまう。まあ、文学は、「文楽」であってもいいんじゃないかと、そのくらいの気持がちょうどいいのかな。

 今回の「人生を凌ぐ一行」が読める本。



新潮世界文学 3 ゲーテ 1 若いウェルテルの悩み ウィルヘルム・マイスターの修業時代 他新潮世界文学 3 ゲーテ 1 若いウェルテルの悩み ウィルヘルム・マイスターの修業時代 他
(1970/12)
ゲーテ

商品詳細を見る


 現在手軽に買えるのは、岩波文庫版の、山崎章甫訳のものだろうし、そちらも読んだことはあるけれど、私は、一番最初に読んだ、高橋義孝訳が好きだ。他ならぬ、高橋訳の上記ミニヨンの歌に親しんでいるので。




PageTop