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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

旅のおもいで・場所 その2

富士山

 我が静岡県の、地形的特徴は、主にその極端な「高低差」にある。

 まず、最も低い場所は、まあ海岸の海抜ゼロメートル地点、ということになるのだが、静岡県がぐるりと取り囲む駿河湾をも県の一部と考えて、その海底の最深部は、ということになると、なんと水深約2500メートルだ。駿河湾は、内海としては世界で最も深い海なのである。

 そして、もっとも高い場所、というと、これはいうまでもなく富士山頂で、その頂は海抜3776メートルだ。すると、その高低差は、約6200メートル、ということになる。つまり静岡県は、深海魚の住処から、高山植物の世界までの、実に様々な自然環境がみられるという、きわめて特異な場所、ということができる訳だ。

 と、こうした見方をするとき、静岡県民である私は、当然のように富士山を「静岡県の山」と考えている訳だが、お隣の山梨県の方々からすれば、「おいおい、ちょっとまてよ」ということになるのだろう。富士山は何県の山なのか、実はこれは、昔から静岡、山梨両県民の間で、よく論争になるところの問題なのだ。

 地図を見る。すると県境は、見事に山をまっぷたつに割るような線を描いて、富士山を貫いている。まるで、「さあ、お前ら富士山の取り合いをしろ」と、両県をけしかけてでもいるかのようだ。

 さて、富士山は何県の山なのか。山梨県の方が、以前テレビでこんなことをいっていた。
「富士山周辺の観光地は、ほとんど山梨県にあるじゃないか」と。もっともな言い分ではある。富士山周辺の観光地、というと、何といっても富士五湖がその中心、ということになるのだが、この富士五湖は、五つ共全て、山梨県にある。「だから、富士山、といえば山梨県だろう。」というのが、その方の主張だった。

 なるほど、とは思う。しかし私も静岡県民だ。そう簡単に、この「日本一の山」を渡すわけにはいかない。静岡県民が、富士山を我がものとすることの論拠は、主に、「だいたい富士山は誰のものなんだ」という点にある。つまり、何県に含まれるのか、という以前の、「誰のものなのか」ということを、問うわけだ。

 実は、富士山の山頂とは、神社の境内なのである。一体どこの神社なのかといえば、静岡県富士宮市にある、浅間大社の境内なのだ。つまり、富士山のてっぺんは、静岡県の神社の一部だということだ。これは、もう、富士山が静岡県だ、ということの証だといってしまってよいのではないか。富士五湖などは、所詮は麓のみずうみに過ぎないではないか。最高地点の剣が峰が、静岡の神社のものなのだから、これは、静岡県のものだときまったようなものだろう。

 と、まあ、「静岡県民の主張」はこれぐらいにして、この富士山にまつわる私の思い出などを、書いてみよう。まず、最も古い思い出は、というと、小学校一年生の夏休みに、この山を登ったことだ。家族と、いとこのお兄さんと、父の友人とで登った。

 2歳年下の妹は、途中から父の背中でぐっすり眠っていたが、私は最後まで自力で登った。小学一年生にして山頂まで登り、高山病でダウンした母や兄を横目に、きっちりお鉢巡り(山頂の噴火口を一周すること。1時間以上は優にかかかるコースだ)までしてきたのだから、我ながら大したものだと思うが、一番すごいのは、やはり娘を背負って登りきった父だろう。今は老いにし我が父も、あのころはまだ若かったのだ。

 その後、となると、やはり高校を卒業し、オートバイに乗り始めてから、ということになる。「旅のおもいで」とはいっても、勿論、県内の山であるから、その全ては「日帰り旅行」なのだけれども、とにかくもう、この富士山周辺には、何度走りに行ったかわからない。

 国道一号線でまず富士市へ、そこから国道139号で北上、富士宮市の市街地を抜けて朝霧高原、さらに北上して県境を超え、そのまま富士五湖を辿り、芦ノ湖を通って箱根峠で再び国道一号に戻り、帰路に着くというコース、あるいはこれを逆まわりに辿る、つまりは富士山をぐるりと一周するこのコースを基本に、その日の気分であちらこちらに寄り道をする日帰りツーリングを、私は一体、何度繰り返したのだろうか。

 伊豆半島一周コースと並んで、私はこの富士山一周コースが大のお気に入りであり、本当に幾度も幾度も走りにいった。一日かけてのんびりまわってくるにはちょうど良い距離であり、しかも、バイクで走って楽しい道が多いのだ。そして勿論、景色もよい。なんといっても間近に富士山がそびえるのだから、景色が悪い訳がない。

 佐藤春夫には「俗悪なまでに有名な山」と、そして太宰治にはその頂角が鈍すぎると評されたこの山。連山の内のひとつではなく、裾野を四方にたおやかに広げる独峰としてそびえるその姿には、遠目には険しさよりは女性的な美しさが感じられる。うるわしき女神たる木花咲耶姫命(コノハナノサクヤビメ)の山、とされるも故なしとしない、というところか。しかしそのゆるやかなせり上がりが、やがて日本の最高地点に達するのであるから、その山体の大きさは推して知るべし、である。

 よって、富士を間近に見上げると、その物凄い迫力に圧倒されることになる。さらには、その山体が雪に包まれる冬場にはなおさらだ。そう、やはり富士山には雪化粧が欠かせない。厳冬期、富士山の美しさは頂点に達するのだ、と私は断言してしまおう。そして私がもっとも愛する富士山の姿を、ご紹介させて頂く。

 一月か二月の、よく晴れた夜、しかも月が出る夜に、富士山の西側にひろがる朝霧高原に行ってみて頂きたい。月は、満月ではない方が良い(明るすぎるので)が、あまり小さくても(今度は暗すぎて)ダメなので、半月か、もう少し大きいぐらいの頃がいい。そこから見上げる富士山の姿を初めて眺めたとき、私は息をのみ、しばしその場から動けなくなったことを覚えている。大袈裟ではなく、本当に阿呆のように立ち尽くしてしまった。二十歳の頃のことだ。

 月光が透き通るような青に染め上げた、高原の鋭く冴えた大気のなかに、雪をまとった途方もなく巨大な山体が、幻想的な碧い姿で浮かびあがって圧倒的に迫り、そしてその背景には、冬の星座が一面に広がる。その美しさに、私はすっかり飲み込まれてしまった。身を切るような寒さも、しばし忘れてしまったほどだ。

 そう、信じ難いことに私は、真冬の夜の朝霧高原に、バイクで行ったのだった。体感温度は氷点下、いや、実際に気温は氷点下だった可能性も充分ある。なにせ朝霧高原の標高は1000メートルに近いのだから。何を思ってそんな真似をしたのかはもう忘れてしまったが、そんな、バイクにまたがった姿のまま全身の関節が固まってしまうような寒さの中を走り、すっかり冷えきってしまった自分の身体のことをすら忘れてしまうほどに、あの富士山の姿は美しかった。まさに、女神の座たるに相応しく。

 私はいまだに、この「月夜富士」(と、勝手に私が名付けた)よりも、美しい富士山の姿をみたことはない。とはいえ、例えば東名高速道路の鮎沢パーキングエリアから、例えば三保の松原から、例えば伊豆半島の大瀬崎からみた富士山が、美しくないということでは勿論全くない。夕暮れの本栖湖からみた、金色に輝く富士山なども、とても綺麗だった。

 九州出身の私の妻は、「静岡の人は、富士山が見えるってことを、当り前だと思いすぎている」という。彼女が大学受験のために初めて静岡に来たとき、新幹線が浜松駅を過ぎた辺りから、ずっと窓外に富士山を探し続けたそうだ。さすがに、もっと東の、静岡駅に近づいたあたりからしか、富士山は見えないのだが(多分)、富士山の見えないところに暮らすひとにとっては、富士山とは「そういう山だ」と、彼女はいう。

 つまり、それは「見える」山ではなく、「見たい」山なのだ、ということだ。確かに、私たちにとっての富士山は、生まれたときからいつも「そこにあって当り前」の山であり、天気さえよければいつでも見られる山であり、つまり、日常の風景の一部分としての山だ。しかし考えてみれば、こうして富士山を間近に見られる場所、というのは、日本の中でもごく限られた地域に限られるものなのであり、大多数の日本人にとっては、わざわざ遠方から出掛けてこなければ見ることにできない山なのだ。

 私たちが、富士山を見るならここからに限る、だとか、富士山は自分たちの県のものだ、だとかいうのは、そう思うとなんだかとても贅沢なことだという気がしてくる。あの文句なしに日本一の山を、こうして毎日のように見られ、一日あればその周辺でたっぷり遊んでくることもできる距離に暮らしているということ、ただそれだけでも、幸せなことだと思うべきなのだろう。

 私も家族ができ、かつての「富士山一周ツーリング」とは違う形で、この山と付き合うようになった。家族連れで楽しめる場所をえらんで、遊びにいくようになった。富士山はいつでもそこに変らずあり、我々を受け入れてくれる。またいつか、登ってみたいとも思うが、体力的にはとても心配なものがある。少なくとも、子どもを背負って登ることなどは絶対にできない。しかし、子どもが大きくなったころ、親子で挑戦するのも悪くはないと思う。それまで、体力を維持しなければならない。そして、かつて私の父が私にみせたような「強さ」を、私も子どもたちにみせられるとよいのだが。




富士山1

 昨年の年末に取った写真。古い写真でスミマセン、これしかなかったもので。私の住んでいる街の、「日常の風景」です。

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