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「静岡県民は地震に強い」について考える

 このブログでは過去に何度か、原発事故について書かせて頂いたが、今回は地震について、考えてみようと思う。

 今年の8月1日、駿河湾を震源とするマグニチュード6・2の地震が発生、静岡県中部で震度5弱の揺れが観測された。この際だから種明かししてしまうが、私の住む街は静岡県の中部で、見事にこの震度5弱圏内だった。

 東日本大震災のすぐ後の3月15日にも、「静岡東部地震」という、富士山に近い辺りを震源とした、M6・4、最大震度は何と震度6強という、とても強い地震があった。ちなみにこのときは、私のところでは震度4ぐらいだった。

 このふたつの地震、被害はどのくらいだったかというと、8月1日の地震では、負傷者13人で、家屋の全壊はゼロ、静岡東部地震では負傷者が50人ぐらい(重傷が2人)で、家屋の全壊はゼロだった。両方とも、真夜中近くに発生したが、翌朝の市民生活等には、水道、電気等々ほとんど影響はなかった、といってよかった。

 震度6強、というと、今年の2月のニュージーランドの地震、あの日本人も多く犠牲になったあの地震と、どうも震度としては同じくらいらしい。勿論、震源に近い富士宮市等では、建物に損害は出たのではあったが、それでも全壊家屋ゼロ、とは、確かに、日本の建物の耐震性能は、素晴らしく高いといってしまってよかろうと思う。

 その日本のなかでも特に、静岡県は、地震防災の先進県、ということになっており、実際、建物の耐震化は、他県よりも進んでいるといえるだろう。いうまでもなくそれは、近い将来に東海地震が必ずくるということを前提にして、何十年もかけて、民官を問わず取り組んできたことの成果であり、今回のふたつの地震は東海地震とは違ったけれども、その長年の努力によって、被害が最小限におさえられたといってよいだろう。

 これは建物等のいわばハードの部分での話であるが、では、ソフト、即ち静岡県に暮らす我々県民はどうだろうか。私には富士宮市に住む友人があり、3月の地震のときには、さすがにちょっと心配になって、夜が明けてから連絡をしてみた。友人は地震当時、職場の製紙工場の夜勤だったらしい。「すげー揺れた」そうだ。震度6強であるから、それはそうだろう。しかし工場は止まらず、揺れが収まると、みな平然として仕事を続けたそうだ。

 静岡県民は地震に強い、とよくいわれる。この友人の話などを聞くと、確かにそうなのかもしれない、と思えなくはない。確かに我々静岡県民は、小さい頃から、「東海地震がくるぞ、必ずくるぞ」といわれ続け、保育園や幼稚園の頃から避難訓練をやり続けて育っている。

 だから、防災意識、というものは比較的高いのかもしれない。私の妻は県外出身者なので、特にそれを感じるらしい。家の家具の配置でも、職場の事務所だとか倉庫だとかの棚や何かのことでも、皆が皆、「地震が起きたらあぶない」ということを気にする、と、彼女は感心していた。確かに、私も寝室に背の高い家具は置かせなかった。「さすが静岡県民」だと、妻はいう。

 だが、他県の方々にはあるいは誤解されているのかもしれないが、静岡県民は、決して、「地震慣れ」している訳ではない。東海地震が予告されてすでに久しいが、静岡という土地は、決して他県と較べて地震が特別多い場所であるという訳ではない。だから、揺れても平気、ということでは全くないのだ。

 違うのは、きっと、「覚悟」ができているか否か、というところだろう、と思う。静岡県民は、地震を感じると、まず「ついに来たか」と思う。どんな揺れであれ、まずは「東海地震」に対して身構えるのである。他県の方々との決定的な違いがあるとするならば、この部分だろう。

 実際私も、8月の震度5弱の地震のときには、初期微動(P波)を感じたとたんに居間から寝室に向かって猛ダッシュしており、主要動(S波)が来たときにはすでに、寝ている子どもの上に覆いかぶさっていた。そういえば、2009年の、最大震度6弱の静岡沖地震のときも、地震発生時刻が朝の5時で、まるっきり熟睡していたにもかかわらず、P波で眼を覚まし、S波が来たときには、ようやく目覚めた妻を飛び越えて当時0歳5ヶ月だった娘の上に覆いかぶさっていた。

 この、ほとんど新幹線のユレダス(早期地震検知警報システム)並みの地震感知能力と反射的な瞬発力には、妻も驚いていたし、自分でもビックリしたが、要は、普段から「いざ」というときにどうするかを考えており、その上で、前述のとおりさっと「身構える」ことができるからこそ、実際に反射的に行動することもできるのだろう。やはり、小さい頃から訓練されているだけのことはある、というものだ。

 こうしたことから、何がいえるのかというと、つまり、静岡県民は、地震慣れしているどころか、地震をものすごく怖がっているということである。震度5だとか6だとかの地震の後にも平気な顔をしているようにみえるのは、「ああ、東海地震じゃなくてよかった」と、ほっと胸を撫で下ろしているからなのだ。勿論、過剰なまでに地震を怖れるということは、地震にそなえる、ということのためにはよいことだといえるだろう。

 しかし、3月11日の大震災を目の当りにし、我々静岡県民もまた甘く見すぎていたものに、気付かされた。即ち、津波である。

 東海地震においてもやはり、津波の発生は当然予想されるし、我々もずっと、津波は必ず来るといわれてきた。しかし、津波というものが、まさかあんなに恐ろしいものだとは、ほとんどの静岡県民も思ってはいなかったのではないだろうか。私も正直、台風やなにかのときの高波の、ちょっと大きいの、ぐらいにしか思っていなかった。だから、今私が住んでいる辺りでは、津波の心配は全くない、と考えていた。

 しかし、津波というものが、波というよりはむしろ、海面が盛り上がるものだということ。しかもそれが、ときには30メートルもの高さにまで達するのだということ。そしてその破壊力は、街をまるごと一瞬にして消し去るに充分なものであることを、思い知らされた。

 私の住んでいるところは、海からは少し距離があるが、しかし、海抜は30メートルには遠く及ばない。絶対に津波は来ない、などと誰がいえるだろうか。近くを川が流れている。その川を、津波はきっと遡ってくるだろうからだ。地震が起こったらどうするのか、それについては私は普段からある程度は考えていた。しかし津波のことは、全く考えていなかった。

 高台へ逃げる。しかし、逃げられるものだろうか。考えれば考えるほど、津波から逃げることの困難ばかりが予想される。まず、東海地震はM8クラスといわれる。そんな巨大地震に、まずは襲われるのだ。倒壊する家もあるだろう。少なくとも、家の中はメチャクチャになるはずだ。そこから、まず脱出しなければならない。

 そのときに、もしも、自分と二人の子どもは家から逃げ出せても、妻は閉じ込められていたとしたらどうするのだろう。実際あり得ることだ。そのとき私はどうするのか。自力では逃げられない子どもたちのために、私は妻を置き去りにできるのだろうか。いや、家族でなくても、助けを求める近所の顔見知りのひとたち、怪我をして動けないひとたちを置き去りにして、私は逃げられるのだろうか。

 時間はない。東海地震の予想震源は、東日本大震災の震源よりも、はるかに陸地に近い。津波の到達まで、5分とかからないのではないか、というのが大方の予想だ。

 困難な、そして恐ろしい判断を、迫られことになるかもしれないのだ。いや、実際に、あの3月11日には、東日本の海岸線のあちらこちらで、そうした状況があったはずなのだ。津波が来ることはわかっている。しかし逃げたくても逃げられない、そうした状況におかれた人たちが、きっと、数限りなくいたはずなのだ。あるひとは逃げずに、犠牲になっただろう。またあるひとは、誰かを助けるために誰かを犠牲にするという、非情といえばあまりに非情な判断を強いられたことだろう。

 そんな状況に、我々もまた、いつかはおかれるのだ。そのとき、さて我々はどうするのだろうか。我々は、そこまでの「覚悟」を、はたして持っているだろうか。地震に強い静岡県民。しかしいくら訓練をしたところで、決して避けることのできない悲惨さに、我々は立ち向かわなければならないのだ。

 いや、話は津波に限ったことではないはずだ。いざ、本当に東海地震が来たとき。そのときも我々は、「地震に強い静岡県民」でいられるのだろうか。建物の耐震化をすすめてはいる。避難訓練もしてはいる。地震防災先進県。しかし、東海地震を経験したことのある者は、誰ひとりとしていないのだ。

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