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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『わが闘争』その2

わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)わが闘争(上)―民族主義的世界観(角川文庫)
(1973/10)
アドルフ・ヒトラー

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我々はヒトラーに反論できるのか

 この本、他にも一冊同時進行で読んでいるせいもあるが、なかなか読み進められずにいる。ようやく、第一巻の第三章までを読んだ。ここでどうやら、この本の主人公は、長らくその舞台だったヴィーンを離れ、ミュンヘンに向かってしまうようなので、私も一区切り入れて、ここまでのところで感じ、想ったことなどを書いてみることにしよう。無論、自分の考えをまとめて、今後さらに読み進めるための助力とする、という意味も兼ねて。

 この本を読むにあたり、私は次の点に気をつけるよう努めているつもりだ。即ち、この本の思想と、それに基づいた政策の結果が、いうまでもなく史上最低最悪のものだったという、その事実をもって、この書物に語られることを否定することは「しない」、ということだ。

 それは反則だと、私は思うからだ。ヒトラーの主張に対し、「そんなこといったって、お前のいう通りにしたら、国が滅んじまったじゃないか」と我々がいい得るのは、彼よりも未来に生きているから、というだけのことで、その立場で彼を否定するのは簡単であり、しかも意味のないことだろう。

 この書物における彼の言説だけをみて、それを批判的に判断することこそ、我々にとって有意義なことだし、彼に対しても公平だと、私は信じる。そしてそうあってこそ、この読書が、独裁政治、恐怖政治に対抗する何かを得る手段たり得るとも、私は信じる。

 1889年にブラウナウで生まれたヒトラーが、1908年に単身ヴィーンに移り住み、1912年にそこを去るまで、つまりその少年時代から二十歳を何年か過ぎるまでに、経験し、学び、考えたことを、彼はこの最初の三章に綴っている。

 読み始めてみて、最初に抱いた印象としては、意外にマトモなことが書いてあるな、ということだった。もっとめちゃくちゃな屁理屈だとか、他国や他民族に対する雑言がずらずらと並べられているような、そんな書物だと思っていたのだが。正直にいえば、なるほど、と思わされるような箇所も少なくはなかった。

 例えば当時のヴィーンにおける、非正規労働者の問題についての彼の見解は、現代の日本でいわれるところの、同じく非正規労働者の問題についてにもそのまま当て嵌めることができるような、正論といってしまってもよいものだと私には思われた。勿論それは反論することも可能なものではあるけれど、しかし反論不可能な理論などあり得ない。

 ただ、その「正論」とは、つまりが20世紀初頭のオーストリアの社会情勢についてほとんど何も知らない私などが、「なるほど」と思えてしまい、そして現代の日本にもそのまま応用できてしまえるような、そんな「一般論」にすぎないのだ、ということもできる訳だ。

 そして、そうした一般論、即ち一般に理解されやすく、受け入れられやすい理論をまず展開するところに、この書物の巧妙さがあるのではないだろうか。一般論で人の心を惹きつけておいて、そこで自説を展開する、そうした手段で、彼は自分の思想に読者を取り込んでいくのだ。まるで、世間話で親密になってから、おもむろに生命保険の売り込みを始める、そんな具合にだ。読者は、その前提たる一般論の正しさに同意している以上、彼の理論にも同意しやすい心理状態になっていると、そういう訳だ。

 だから我々としては、明らかな差別主義的暴言だとか、感情的なまでの自己弁護などよりも、彼がもっともらしいことをいっている時にこそ、気をつけるべきなのかもしれない。もうひとつ例を挙げると、彼が議会制民主主義について語っている箇所などは、どうだろうか。

 この当時のオーストリアの政治制度への、彼の否定的見解は、またしてもそのまま、現在の日本の議会制民主主義にも見事に当て嵌まる。我々は彼の批判に、どう対するべきだろうか。

 具体的にいうと、彼は、議会制民主主義の弱点として、だいたい次のようなことを挙げている。(原文そのままではありません。要約してあります。)

・ 議会の決議が、「非常にとんでもないもの」であっても、誰も責任を問われない。なぜなら、責任というものは個々の人物の義務感の中にだけあるもので、多数者即ち「議会主義的おしゃべり同盟」のなかにはないから。(第三章「責任の欠如」他)

・ 最後の決定権は政府にではなく、議会の多数者にあるため、政府も責任は問われない。そして政府は統治者の地位から、その時々の多数者に対する「乞食」にまで転落する。(第三章「多数決の原理」)

・ 才知があるとはいえない全ての選挙人の投票用紙からは、本当の政治家が同時に百人も生じるなどど希望的にも考えるべきではない。大衆が天才に対する嫌悪というものは本能的なものだから。(第三章「多数決の原理」)

・ 解決されるべき諸問題は多様で、その領域は広範に渡るのに、その全てに精通しているような天才的政治家などは稀である。よってその内のごく少数の人間だけが知識や経験をもっているにすぎない大集会に、最後の決定権をあたえる、ということにならざるを得ない。(第三章「多数決の原理」)

 他にもいろいろといってはいるが、とりあえずこんなところにしておこう。彼は見事に議会制民主主義の欠点を射抜き、しかも簡潔にそれを論証している。今現在、日本の国政に携わる者で、もし知的誠実というものを失っていない者があったとするならば、彼の指摘の正しさを、他ならぬ自分自身が証明してしまっていることを否定できないだろう。

 しかしヒトラーは、議会制民主主義の弱点を指摘し、それを克服するために、何を主張しているだろうか。彼はいう。この世の進歩はひとりの(天才的)人物の頭脳に基づくのであり、多数の頭脳に基づくのでないと。百人のバカものからはひとりの賢人も生まれず、百人の卑怯者からはひとつの豪胆な決断も生まれないと。つまり彼は、議会制民主主義は、衆愚政治に陥りやすいが故に誤った制度であり、時折にしか現れない天才的な政治家による、賢人統治のほうがよい、といっているのだ。この主張の持つ恐ろしい意味については、最早いうまでもないことだろう。

 我々がもし、ヒトラーによる独裁政治よりも、我々の議会制民主主義の方が、少なくとも制度的には優れているのだと信じるのならば、当然、彼に反論できなければならない。だが、それは我々の制度の強味や利点などを並べ立てる、という方法では不可能だろう。なぜなら、その強味だの利点だのが、上述の通り、単なる机上の空論であることを、我々の政治が証明してしまっているからだ。

 ならばどうすればよいのか。方法はただひとつ、我々の議会を、ヒトラーの指摘が正しくないものであることを証明し得るような、そんな議会にするということ、これだけである。上で、私は彼の主張をよっつ、箇条書きにして挙げた。とりあえずそれの正当性を否定するためには、どうしたらよいだろうか。

 彼はつまり、議会というものを、愚かな大衆が選んだ、才能のない代議士の、無責任な集会だといっているのだから、そうでない議会にすればよい訳だ。私はなによりも、「無責任」という言葉を重視したい。

 そう、民主主義国家である以上、国政について責任を少しも負わない有権者などは、本来日本にはひとりもいないのだということ、その事実を我々は、あまりにも等閑にしてしまっていないだろうか。

 もし、国会において悪しき法案が可決してしまい、結果社会に不都合が生み出されてしまったとしたならば、その責任は誰にあるだろうか。まずは勿論、政権与党だろう。法案を提出し、議席の多さによって可決させたのは彼らなのだから。では、野党はどうか。彼らにも責任はある。なぜなら、国会における全ての決定は、与党の決定ではなく、国会の決定だからだ。つまり、国会の全ての決定について、全ての国会議員が責任を負うのだ。このことを、どうも昨今の政治家諸氏は勘違いをしていないだろうか。

 では我々一般国民はどうだろう。我々にも勿論責任はある。我が国の主権は国民全体にあり、議会や政府にあるのではないからだ。国会議員の失態の責任は、彼らを選出した国民全体にある。誰を支持し、誰に投票したのかにかかわらず、全員にだ。なぜなら、選挙の結果とは、当選者の支持者の意思ではなく、有権者全体の意思だからだ。よって、その結果については、有権者全員が責任を負うのが当然だろう。我々国民もまた、このことについて勘違いをしていないだろうか。

 そうだ、我々は本当に、自分の利害のためではなく、よい政治のために議員を選出しているだろうか。そしてよい政治とは何なのか、それを学ぶことを怠ってはいないだろうか。もし、その我々の怠慢が我々の議会を、ヒトラーのいう通り「衆愚政治」の場にしてしまっているのだとしたら、それは、ヒトラーの自説弁護のための屁理屈を正当化してしまう、という意味において、民主主義への裏切り行為だといえるのではないか。

 民主主義とは本来、国民に政治への積極的な参加を求める、という意味で、国民に大きな責任を負わせるものなのだ。我々がその責任を回避するのならば、我々には、自国の政治に文句をいう資格は勿論、ヒトラーの恐怖政治に異議をとなえる資格すら失うのだ。

 と、なんだかひどく抽象的で理想主義的な政治論になってきてしまったが、少なくとも、この読書によって、私は今一度、民主主義ってなんだろう、という根本的な問いかけを、自身に向けて投げることができた訳だ。うん、やはり「『わが闘争』を読む今日的意義」なるものはあるようだ。さらに、読み進めてみよう。

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