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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『薮の中』



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新潮文庫 『地獄変・偸盗』 芥川龍之介著
ISBN4-10-102502-9

 真実はひとつか


 芥川、である。カブツーリングのブログでいきなり何の真似だ、なんていわないでください。このブログ、実は読書ブログなんです。ここ一年程の記事をみる限り、そうは思われないですが。しかし久しぶりに何を思ったか芥川なんか読んだのです。よろしくお付き合い下さい。

 この『薮の中』は、芥川の所謂「王朝もの」といわれる作品群のなかの一編で、『今昔物語』から材を得ているのであるが、そのオリジナルとの比較など始めてしまうとあまりに煩雑になる怖れがあるので、今回はこの芥川の作品のみを読んでみることにする。

 とても有名な作品で、芝居として舞台で上演されたり、また映画化などもされているらしいが、作品自体はごく短いものである。文庫本で15ページ足らず、遅読の私でもあっという間に読み終えてしまう短編である。だがその手法は実験的で、芥川よりは、太宰あたりが好みそうなやりかたである気がする。

 ひとつの殺人事件が起こり、事件に関わりをもった7人の男女が、それぞれの立場から独白というかたちで事件について語る。これを推理小説だとするならば、名探偵あるいは名刑事の立場にあって謎解き役をするのは、読者自身、というとになろう。現場の第一発見者から始まる証言をひとつひとつ聞き込むことで、事件の有様が次第に明らかにされ、理解されていく。

 しかしこの作品はやはり推理小説ではない。なぜなら事件は結局解決されることがないからだ。事件現場にいた当事者三人の証言が得られる。しかもその内のひとつは、本来決して聞くことができないはずの、死んだ男の証言である。それなのに、事件の真相はわからないのである。否、むしろこの三人の証言のせいで、真相が判らなくなってしまった、というべきだろう。

 三人とは、盗人の多襄丸、死んだ武弘、そしてその妻の真砂であるが、この三人の証言が、相矛盾するのである。しかもそれは細部が異なる、というレベルの話ではない。決定的な部分で、三人ともが違うことをいうのである。即ち、多襄丸は、武弘を殺したのは自分だという。しかし真砂もまた、自分が武弘を殺したのだという。さらに武弘は、自分は自殺したのだというのだ。

 検非違使に捕らえられ、殺人を自白した多襄丸は、多分そのまま人殺しとして罰せられるのだろう。そして事件はそれで解決、とされるはずだ。しかし真砂と武弘の証言を知る我々は、それで終えることができない。さて、一体武弘はどちらかに殺されたのか、それとも自殺したのか。

 注目すべきは、三人の証言が、どれも自分に都合の良いような内容であることだ。罪を逃れよう、ということではない。皆が皆、下手人は自分だといっているのだから。そうではなく、何というか、皆が一様に見栄を張っているのである。それぞれがそれぞれの立場において、自分をよりよく見せようとしているのだ。

 盗人の多襄丸は一流の無頼漢らしく、被害者夫婦を見事にだました上、妻を手ごめにし、そして侍である夫には一騎打ちで勝利したのだ、という。これだけ聞けば彼はいかにも大 悪党である。
 
 しかし真砂は全く違うことをいう。自分は貞淑な妻らしく、恥をかかされた上はもう生きていられない、しかしその恥を見た夫を生かしたまま死ぬこともできぬから、夫の同意のもと、心中しようとして夫を殺したが、自分は死にきれなかった、という。これまた見事である。いかにも貞淑で、女としての名誉を重んじる理想的な妻の言である。 

 だが武弘はまた違うことをいう。妻は自分を裏切ったうえに隙をみて逃げ、盗人もまた逃げた。だから自分は自殺したのだ、という。はっきりとは書かれていないが、自分はこれほどの恥辱を受けながら、この先もおめおめと生きのびるることを、自分に許せないのだ、という意図のものとの自害であろう。これまた、男として、さむらいとして天晴れな最期である。

 しかしこの三者三様の証言を聞いて、混乱するのは我々読者である。一人の男の死、という、たったひとつの出来事から、どうして、これほどまでに相異なったみっつの物語が生まれ得るのか。真相は一体どこにあるのか。我々にはなにひとつわからない。

 だがこの「わからなさ」こそが、この小説の主題だ、といってしまっても、それほど的外れではないだろう。この作品はやはり推理小説ではない。だから犯人が誰なのか、それは重要ではないのだ。重要なのは、たったひとつの出来事が、全く違うみっつの物語を生んでしまったということ、そのこと自体である。

 と、一読すれば誰の目にも明らかであろうようなことを長々とご丁寧に書いてみたが、これは実に示唆に富むものであると思ったが故のことである。何において示唆を得られるのかというならば、即ち、所謂「歴史認識」というものにおいて、である。例えば、少し前に記事にした、源平合戦の「富士川の戦い」などを考えてみるのは面白いかも知れない。

 富士川付近に相対峙し、いよいよ翌朝に合戦を控えた平家源氏の両軍であったが、夜、周辺の住民達が、戦を怖れて避難した先の山だの海だので灯した大量の灯火を、全て源氏方の軍勢だと誤解して怖れ戦いた平家軍が、何かの拍子に一斉に飛び立った水鳥の羽音を源氏の夜襲だと勘違いして、戦わずして逃げ去ってしまった、というのが、大体、『平家物語』の語るところである。

 勇猛果敢の源氏に対して、都で権力に溺れて遊び暮らしていた平家の虚弱ぶりを、象徴的に示すものとして人口に膾炙するエピソードではある。しかし『平家物語』というものが、あくまでもその有名な冒頭部が示す通り、「おごれる者もひさしからず」として平家滅亡をうたったものであり、そして源氏が「勝者」として君臨した世の中から生まれたものであることは考えてみるべきであろう。

 つまり、平家のダメっぷりを誇張して描いている可能性が高い、という意味である。Wikipediaなどをみてみても、出典は明らかではないが、大軍ではあっても都から遠路はるばるやってきた平家軍は非常に疲弊した状態にあったことは想像に難くはなく、為に「水鳥に驚いた」のではなく「水鳥の羽音で源氏の夜襲を察知した」ために撤退、あるいは、源氏との明らかな戦力差を考慮して合戦を避けた、という見方もあるようである。

 そうだとしたならば、これから激化するであろう源氏との戦いを見据え、明らかに不利な戦で無駄に戦力を失うことを避け、もっと都に近いところ、即ち兵站の整った範囲で源氏を迎え撃つ方向に方針変更しただけ、ということになり、これは多分当時の軍事的勢力バランスを考慮するならば的確な判断であったといえるだろう。事実、戦後頼朝は追撃を避け、まずは東国を確実に治めることを優先する。「簡単には京に攻め上れない」という判断がなされたのである。

 だれもが、出来事を自分の都合の良いように解釈し、判断する。その結果、立場の違いから複数の解釈、判断が生まれる。そうしたなかで、強者、勝者が、自分の解釈、判断を「唯一絶対のもの」としてそれを周囲に「強制」するということは起こり得るだろう。そして歴史的記録とは勝者によってなされる、あるいは勝者に都合の良いものだけが後世に残される傾向にあることは事実である。なぜならば、何を正しいとし、何を正式な記録とするかの決定権は、勝者、強者にあるからである。

 よって、我々後世の者は、歴史というものを学ぼうとするとき、あまりにも「強者の記録」ばかりに頼り、鵜呑みにするべきではないだろう。対象が源平合戦などの場合には、こうして面白がってもいられるが、それが近代史になり、現代史になったりと、時代が現代に近づくにつれ、ただ面白がってばかりもいられなくなる。

 そう、私は例えば南京虐殺のこと、あるいは従軍慰安婦のこと、さらには原爆投下の是非のことなどをいっているのである。それらの出来事に関係した各国が、それぞれの立場から、それぞれの主張をし、そして現実的な対立を生んでいる。歴史の解釈が、現在の実際的な国家間の対立の一因となっているのである。

 先の世界大戦において、日本は敗戦国となった。その事実により、勝者である連合国側の「歴史判断」に、不本意ながら従わざるを得なかった事実は確かにある。戦争の原因は日本の侵略にあるという。だから悪いのは日本だ、という。事実日本はアジア諸国を侵略した。しかし例えば東南アジアにおいて日本が戦った相手は誰だろうか。アメリカだとかイギリスだとかの軍隊である。彼らはなぜ東南アジアにいたのだろうか。日本の侵略から東南アジア諸国を守るためか。否だ。東南アジアにおける自らの利権を守るためである。つまり、日本軍と同じ理由で、彼らもまたあそこにいたのである。

 だから、侵略を受けた東南アジア諸国が、日本を侵略者だと責めるならばそれは理解できる。日本は誠実に謝罪すべきことである。しかしアメリカだのイギリスだのには、本来いわれる筋合いの話ではないのである。だが日本は負けた。負けたから、彼らのいうことには従わなくてはならなかった。

 しかしまた同時にいえることは、日本は戦後の「経済戦争」においては明らかな「勝者」としての立場にある、ということである。よって、その立場から、ある「都合のいい判断」を、経済的弱者に押しつけることは可能であり、そして、実際に「押しつけられている」と内心考えている国もあるかもしれない、ということを忘れるべきではないだろう。

 歴史的出来事はたったひとつである。だがそれが、「真実はひとつ」であることをも同時に意味する訳では決してない。同じものでも、見る方向によって違う姿をみせるのであり、人間は同時にふたつの場所から対象を眺めることはできない。道ばたで偶然みかけたある女性の美しい後ろ姿は、私に彼女を美人であると判断させるだろうが、彼女を正面からみた他の人は、そうは思わないかも知れない。

 歴史に学ぶことの大切さは、よくいわれることである。だが何を学ぶべきかというならば、ある出来事を教訓的に、というよりは、「史観」というものは多様である、という事実を学ぶことにあるように思う。武弘を殺したのは誰なのか、それは永遠にわからない、というよりは、むしろみっつの立場全てが事実だ、というべきなのだ。「正しい歴史認識」とは、「歴史認識とは各人各様である」ということをまず認識することから、始まるのではないだろうか。

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