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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

木箱の塗装をする


 木箱の塗装をする

 暖かくなってきた、が、仕事が忙しかったりコマゴマした用事が連続したりで、なかなか史跡めぐりに出掛けられない。ということで、本格的なバイクシーズン到来に備え、愛車の荷台にいつもくくりつけている木箱の塗装などをしてみることにした。というのも、2016年の秋に雑貨屋さんで購入したこの木箱、




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 新品のときはこんな感じだったのだが、




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 一年以上が過ぎ、こんな感じになってしまったのだ。色も抜け、カビやら何やらで木も汚れてきた。こうした「経年劣化」具合も嫌いではないのだが、なんだか汚らしいのが気になってきた。

 しかしだからといって、ホームセンターで道具やら塗料やら買いそろえるのでは何だか当たり前すぎるし、お金も掛かる。よって今回は、100円ショップで買えるもののみで挑戦することにします。そこで向かったのは近所のセリアさん。いろいろ買い込んで、次に向かったのは私の実家。父親がリタイア後の趣味に木工細工などをやっているので、よい作業場があるのです。そして、




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 なにはともあれ、初めましょう。これが、現状の箱。塗装もなくニスも塗っていない、そのままの木がむき出しだったため、内側のカビひどいね……。




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 塗料はこれ。「Water Paint」という商品で、勿論100円。容量は80mlで、塗り面積は0.8㎡と書かれてあったので、二本購入。色は、スモーキーグリーンを選んだ。水性塗料なので、シンナー等の溶剤も必要なく、あのペンキ特有のきついにおいもない、という優れもの。




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 ボトルのままでは使えないので、やはりセリアで一緒に買ってきた、プラスチックの子供用の食器に塗料を出す。出しすぎると、塗っている間に乾いてきちゃうので、適量を。




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 既製品のような綺麗な仕上がりをめざす訳ではないので、下地のことは気にせずとにかくガンガン塗っていく。安い塗料だが、伸びもよく意外に塗りやすかった。刷毛も、大きめのものを一緒に買ってきた。無論これも100円。




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 塗り終わりました。30分ぐらいかかったかな。重ね塗りなんかはしてません、この「やっつけ仕事」感が好きなので。塗料は一本半ぐらい使った。箱の向こうに手伝ってくれた娘の手がみえてますが(笑)

 で、ただ一色で塗っただけではつまらないので、




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 こんなものを用意。みんな、セリアで購入した100円グッズ。ステッカーではなく、木や金属でできたプレートなので、これを木ネジで箱の側面にくっつけていきます。木ネジも100円。サイズは限られてしまいますが、そこはあれこれ工夫します。




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 はい、完成。




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 反対側もどうぞ。いかがでしょうか。私としては、箱の色はもう少し薄かったほうが良かったのですが、ま、バイクで使用するので、すぐ色落ちするでしょう(笑) そう、「汚し加工」といって、わざと使用感を出す仕上げにも挑戦したかったのですが、今回はバイク用なので、だんだん自然に使用感が出てくるのを待つことにしました。




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 カブにくくりつけてみました。




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 反対側。

 今回購入したもの。

 塗料二本。
 刷毛。 
 パレット代わりの子供用プラ食器。
 各種装飾用プレート6枚。
 木ネジセット。


 すべて100円で、合計1100円(税別)でした。休日の暇つぶしにはちょうどいい感じ(笑)。この箱を背負って、また近いうちに史跡めぐりツーリングに出掛けようと思っています。では、また。



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カブのこと 24 「カブ、仕様変更」
カブのこと 25 「木箱、リサイズ」
カブのこと 30 「木箱、フタをつける」
カブのこと 31 「またしても木箱を買う」

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カブのこと 31


 またしても木箱を買う


 今年の春先、インフルエンザ罹患をきっかけになぜか始まった、「カブに木箱取り付け事業」であるが、もう何ヶ月も頓挫したままである。ただでさえ狭いアパートなのに、デカくて重くて古臭くて小汚い木箱がどんっと場所をとり、そろそろ妻の忍耐も限界に達しそうなので、なんとかしなければとは思っているのであるが。

 しかし元々あれは、泊まりがけツーリングの際に荷物入れにしようと買ったものなのだが、その泊まりがけツーリングとやらに出掛けられるメドがちっともたたないので、ただでさえメンドクサガリの私のモチベーションとやらも、まるきりあがってこないのである。

 そんな状況下にあるにもかかわらず、私はまたしても、新たに木箱を購入するというとんでもない暴挙に出たのであった。





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 じゃーん。カッコイイ、かな。雑貨屋でみつけました。荷台にゴムヒモでくくりつけただけであるが、安定感は充分である。

 このカブ、元々は通勤用に買ったものなので、当然ツーリングばかりでなく日々の通勤にも使用しているのであるが、その普段使いのための、小さな木箱がほしかったのだ。

 カブの欠点として、普通のスクーターのような、シート下の荷物入れスペースがない、ということがある。前カゴをつければよいのだが、私としてはカゴはあんまり好きじゃなかったのだ。しかし荷物入れは欲しい、ということで、こうなった訳である。

 これで、着替えだの水筒(1リットル×2)だのを入れたクソ重たいリュックを背負わなくてもよくなりました。取り付け方も、もう少し工夫したいところだが……多分このままになっちゃうんだろうな(笑)


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カブのこと 30


 木箱、フタをつける

 ええ、前回、カブに積める大きさにまで、サイズを小さくした木箱であるが、勿論、まだまだ加工は必要である。

 やらなければならないことは山ほどあるが、とりあえず必要なもの、といえば、フタ、である。バイク用の荷物入れである以上、これはなくてはならないだろう。フタがないと、雨が降れば中の荷物が濡れてしまうし、バイクを倒しただけで荷物はバラバラだし、いや、段差を乗り越えただけで、ヘタをすれば中身が飛び出してしまう。

 という訳でホームセンターへ行き、あれこれと眺めながら無い頭でプランを練り、必要と思われるものを買い込んで、またしても道具のそろっている実家に転がり込んだ。前にも書いたが、私の父親の趣味が日曜大工なのである。

 父親がストックしてある材料の山から、良さそうな板を失敬し、箱に合わせて切る。自分でリサイズした箱であるから、きっちり真四角という訳にはいかず、右と左で5mmぐらいのずれは当り前にあるので、それに合わせるのはなかなか大変である。




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 仮置。一応、こんな感じ。




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 まずは、箱の上端、つまり箱とフタとの接面にゴムを貼る。防水と衝撃緩和、及び、いびつな箱と平らなフタとの間に生まれる隙間を埋める目的で。しかしちょっとゴムが薄すぎたかも。




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 箱本体とフタとのサイズ、位置関係がはっきりしたところで、蝶番を取り付ける。




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 その反対側、すなわち開口側に、角材を取り付け。なぜかというと、




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 これを取り付ける高さを得るため、である。あと、取手がわりにもなるかな、と。




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 こうなる。バネ付きなので、前述の歪んだ箱とフタとの隙間を、ぎゅっと締めてくれる。




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 二個つけました。これで一応フタはついたが、このままだと、フタが大きく開き過ぎるので、




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 これをつける。




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 こんな感じ。これでフタがいい具合に開いた状態をキープできる訳だ。

 今回の作業で、




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 これが、




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 こうなった。

 まあ不器用ながらも、これで大体外側の形はできたかな。しかし、まだまだやらなければならないことはある。今回もちょろっとゴムなど貼ってみたが、やはり、防水がひとつのテーマになりそうである。


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カブのこと 29


 田沼街道 その4・相良城


 小山城への寄り道から、また旧田沼街道に戻る。しばらくは国道150号線を行き、





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 ここで右の脇道へ斜めに。しばらくはこの裏道を150号と並行して進んでいく。




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 こんな道。30km/h制限がかかるくらいの、細道。




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 勝間田川を渡河して、




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 「鹿島神社」前を過ぎ、またしばらく走り、




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 ちょっと山の方へ入ったところにあるのが、「大鐘家住宅」、の門。またまた、朝早すぎて入れない。しかたないので駐車場にあった説明書きで我慢しよう。曰く、


 主屋は十八世紀前半、長屋門は十八世紀後半の建築であると考えられます。
 主屋は明治以前まで草葺きで静岡県最古の古四間取形式といわれ、構造・手法は江戸初期の豪農の屋敷構えをよく残しています。
 大鐘家は、慶長二年(一五九七)越前の国(福井県)の柴田勝豊の家臣大鐘藤八郎貞綱が、当地大磯村に移り住んだと伝えられ、十七世紀後半からは代々大庄屋をつとめていました。



 とのこと。しかし私が見たいのはこの屋敷そのものよりも(マケオシミでなく)、これであった。




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 この、石垣。そしてその前に続く小道である。石垣は、元々は相良城のもの。そして小道は、かつての田沼街道そのものである。

 意次は幕府の財政を建て直すことに成功するが、意次の先進的、あるいは急進的な改革は、松平定信ら幕内の保守派ともいうべき人々の反発を買う。そんな折、意次の重商主義のために農民が都市部に出てしまい、疲弊していた農村部を、「天明の飢餓」と呼ばれる大飢饉が襲う。その対策に失敗した意次は、しだいにその権勢を弱め始める。

 そして天明六年(1786年)の将軍家治の死去を機に、意次は失脚する。後を受けた松平定信による粛正は容赦がなかった。老中を辞任させられたのは勿論、加増分の二万石も没収、そして私財や屋敷等も没収された上、相良城は徹底的に打ち壊された。蟄居を命じられた意次は、失意の中、天明八年(1788年)、七十歳で死去する。

 その相良城打ち壊しの際に、大鐘家がその石垣の一部を購入。それが、現在もこうしてここに残っている、という訳である。その前をわずか数十メートルほど伸びる田沼街道と共に、ここが一番、相良藩主田沼意次の事績を今に残している場所だ、といえるのかも知れない。そう思うと感慨深いものがある。




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 先へ。この辺りまでくると、海はもうすぐそこだ。




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 また国道に出て、




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 ここでまたまた裏道へ。しかし、ここまでくれば、もうゴールは眼の前である。




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 最後の道程を行く。




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 萩間川に突き当たるので、川沿いを上流方向へ。




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 「湊橋」という橋を渡ると、




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 すぐに、「大和神社」という小さな神社がある。その角にあるのが、




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 これである。旧田沼街道相良側起点。ついに、ゴールである。やっとついた。それでは、相良城趾を見に行こう。




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 相良城趾は、現在、牧之原市役所相良支所や、小学校、高校などに利用されているようである。城の面影はなく、こんな石碑が立つばかり。……ん? 石碑の後ろに何かある。いってみると、




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 また、田沼街道の起点があった(笑) どっちが本物なんだろう? まあ、自然に考えて、城の中に街道の起点があるというのはおかしいので、湊橋のたもとの方が本物ではなかろうか。ここはきっと、古い橋の親柱だけ移築したと、そういう場所なんだと勝手に理解しておく。




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 本丸跡は、史料館。無論、まだ時間が早すぎて入れない。




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 しかし、何か城の痕跡がありそうなものだと、付近をうろうろ。現在の城、ともいうべき(地方行政の中心という意味で)役場の建物等をながめつつ。




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 小学校の入り口で、やっとみつけた。「相良城二の丸のマツ」。数少ない相良城の痕跡として、牧之原市の天然記念物に指定されている由。

 さて、ではそろそろ、今回のお散歩ツーリングはおしまいとしよう。役場の前の道を真直ぐ海の方へ向かう。




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 駿河湾の景色。この辺りは綺麗な砂浜で、海水浴やサーフィンを楽しむ人が多い。意次も、この海を眺めたのだろうか。しかし、彼がここでのんびり海を眺められるような機会は、それほど多くはなかったようである。

 城から東海道藤枝宿を連絡する街道を通した田沼意次であったが、彼自身は、一度しかこの街道を通らなかったという。他の大名と違って、定府大名である意次は、参勤交代どころか、将軍の許しなく江戸を離れることすらできなかったらしい。それでも、二度だけ「お国入り」をしている。

 宝暦八年(1758年)、相良を領地として与えられたそのときに、初めて相良にやってきた。しかしこの時はまだ田沼街道はなかった訳で、往路復路共に、意次は東海道を通り、ちゃんと島田・金谷間の渡し場で大井川を渡った。

 しかし相良城が完成した安永九年(1780年)に再び相良にやってきた時は違った。往路は、前回と同じく東海道で大井川を渡河した意次だったが、帰り道に、近道を通ったのである。藩領巡見を名目としていたらしいが、その時の彼の通り道が、そのまま田沼街道となったらしい。

 意次はこの街道整備の他にも、藩主としてその手腕を発揮した。相良の街に大火が続いたことから、延焼を防ぐ為に道の幅を広げ、茅葺き屋根を瓦葺きに変えることを奨励しているし、それまでは渡し船に頼っていた萩間川への最初の架橋も意次の仕事である。また養蚕や塩の生産などの振興にも努めて産業の発達も促した。その藩政は、どうやら領民にも好評だったようである。

 そして、この相良の地に築城を許されたということ。これは実に重大なことだと思われる。「入り鉄砲と出女」については、箱根峠のときに少し書いたが、箱根関では主に「出女」を改め、「入り鉄砲」については、浜名湖のほとりの新居関で主に取り調べられた。なぜかというに、新居関より東の東海道沿線には、もう親藩や譜代大名の領地、そうでなければ幕府の直轄地しかなかったからである。すなわち、新居より以東には、幕府に信頼された大名しかいないので、鉄砲を箱根で改める必要があまりなかった、ということだ。

 意次は、まさにその「新居関以東」に、天守閣付きの築城を許されたのである。「家柄」がものをいうあの時代に、譜代大名どころか外様大名ですらなく、ただの旗本出身にすぎない「成り上り者」への待遇としては、まさに破格というべきものである。将軍家がどれほど彼を信頼していたのか、ここからも理解できるのではないだろうか。

 そしてこうしたことから、彼の「悪徳政治家」としての悪評は、どうやら彼の政治的敵対者達による流言ではないか、という疑いも強まるというものである。ねえ、定信君(笑) まあ、一方において、「その1」でも書いたように、意次が「時代にそぐわなかった」のも事実だとは思うのだが。

 意次失脚後、相良領は幕府の直轄となっていたが、文政六年(1823年)、意次の四男である意正が藩主として戻り、相良藩一万石の再興は成った。その後は、明治になるまで相良藩は存続した。

 といったところで、今回は終わり。また近いうちに、どこかを走ろうと思います。




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カブのこと 28


 田沼街道 その3・小山城


 旧田沼街道めぐりもこれで三回目。まだ半分も進んでません。かつては無論田沼街道のために橋が架かっていた訳ではないので、国道150号で大井川を渡河。渡ってすぐに、土手沿いの道を左折、川岸にそって下流方向を目指す。




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 その辺りから、150号線を振り返る。




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 寺島川除地蔵。天保年間、大井川の度々の氾濫による洪水被害に悩まされ、ここにお地蔵様が祀られた。縁日の「灯籠あげ」という行事は、吉田町指定の無形民族文化材、だそうだ。

 


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 150号から数百メートル、土手の上から下流方向を望む。このあたりで、右折。




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 この道を入る。これが旧田沼街道。




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 「熊野神社」などを横目に、こんな裏道を辿ると、




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 また国道150号線に合流。ここで、コースを北に少々はずれて寄り道をする。




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 これである。「小山城跡」。田沼時代、即ち江戸時代中期という、この国が歴史上最も政治的に安定していたといってよい時代から(現代? 現代なんて、まだ最後の戦争から70年しか経っていないので、250年以上も天下太平の世が続いた江戸時代とは、比較にならないほどの「乱世」です)、話は戦国時代の、多分この辺りに最も戦乱が荒れ狂っていた頃に遡る。

 小山城趾は、現在、「能満寺山公園」として整備されている。すぐ側に大きな駐車場があるので、車やバイクはそちらに。




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 その「能満寺」が、こちら。ここの境内にあるのが、




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 国指定天然記念物、「能満寺のソテツ」。日本三大ソテツ、だそうで、つまりこれ全部で一本のソテツ、ということなのだろうが、もうなにがどうなっているのかわからない(笑)




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 その脇に、小山城への入り口がある。ここを登ると、




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 さらに階段。これはなかなかの傾斜。右に伸びる少しなだらかな「女坂」もあるが、私はこう見えても男の子なので(笑)、強がって左の急な階段を登る。
 



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 いい加減に息もあがってきた頃にたどりつくのが、「虚空蔵尊」。




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その先にみえてくるのが、「展望台小山城」。残念ながら、小山城には天守閣はなかったので、これは最近になって造られた模擬天守である。中は資料館のようになっており、最上階は展望台らしいのだが、またしても例によって朝早すぎて入れず。9時開場、だそうです。




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 しかしこちらは本物。堀の跡。この三日月堀、というのが、歴史文化財的価値の高いもの、であるらしい。

 戦国時代、といっても、今川義元の時代は、この駿河、遠江国境周辺は比較的平穏を保っていた地域だ、といえるだろう。内輪もめなどはあったかもしれないが、有力大名たる今川氏の、三河や尾張の一部にまで達する広大な支配地域の、ど真ん中に位置するのだから。しかしその今川義元が、1561年に桶狭間の戦いで討ち死にすると、事態は一変する。

 義元の死後、急速に弱体化する今川氏が、見過ごされる程甘い時代ではなかった。甲斐の武田氏と、三河の徳川氏に挟まれた今川氏は、あっという間に領土を失い、最終的には掛川城に籠城するも、徳川勢の攻撃により1568年落城。今川氏は北条氏の庇護の元、かろうじて存続するが、戦国大名としての力は、桶狭間からたったの7年で完全に失う。

 今川氏挟撃に際しては、武田氏と徳川氏との間に密約があったらしいが、それも乱世のならい、武田氏が遠州に侵入したことで破綻、今度は駿河、遠江をめぐって、この二者で争うこととなる。そこで武田氏が、1571年、元々あった今川氏の「山崎の砦」を元にして築いたのが、この小山城、ということになる。

 ここから始まる、織田・徳川と武田との一進一退の激しい争いについては、もうややこしすぎるので割愛。最終的には、長篠の戦いの後に徳川勢の猛攻にあい、1575年の諏訪原城落城の後も数年間は絶えぬくも、1582年、ついに小山城は落城する。

 と、小山城の歴史について、取り急ぎ調べたことを適当にまとめてみたが、間違っている可能性は充分にあるのでご注意。くれぐれも、大学受験のための参考になどしないように(笑) ようするに築城は武田氏によるものなので、その甲州流築城術なるものの特徴が強く出た構造をもっている、らしい。よくわからないので、まあ、実際に見てみることにしよう。




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 復元された大手門。こちらが正面で、私は裏側からあがってきた、ということになるようだ。




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 その近くにある、「三重堀」。木がいっぱいで暗くて、写真ではさっぱりわからないが、実際に見に行くとかなりはっきりと堀の形がわかります。上の「三日月堀」というのが、武田流の築城の特徴であり、それがここではみっつ並べられているのだが、それがとても珍しく、貴重であるという。




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 こんな説明書きがあった。なんだか、怖いね。

 それでは、小山城を後にし、また旧田沼街道に戻るとする……というところで、またしても長くなったので、次回に続く。ああ、たった七里の道のりの、なんと遠いことか。



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