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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

訃報に接して —リルケ

 本当は、語るべきではないのかもしれない。「死」というものの否応のない厳粛さの前に、我々はただ黙だし、頭を垂れるのみであるべきなのかもしれない。殊に日々の内にあって生きることにばかり専心して、「死」のことなど思いもせずにいる我々現代人は。

 だが、無心になる、ということもまたできないのが我々だ。殊に、「死」のごとき非日常の事象に直面したときなどには。「物思う」ことを宿命づけられていること、それが我々現代人だと、私は常々考え、ここでも書いてきた。それを、しよう。例え、それが「罪」であったとしても、我々はその「罪」を背負う現代人である他はないのだ、身の程知らずにも、「神の死」を宣言してしまった我々は。

 友人の親父さんが亡くなった。単に、友達のお父さん、というだけのひとではなかった。とくに就職の世話をしてもらったとか、そういうことがあった訳ではなく、ただ、一緒にお酒をのんでバカ話をしたりとか、そんなことをしてもらっただけなのだけれど、それでもやはり、恩人であった。いや、それだからこそ、何のわだかまりもなく親しみを覚えることのできる、恩人であった。

 しかし、その親父さんのことを、具体的にここに書こうとは思わない。ここですることは、やはり抽象的な、「死」について考えること、である。身近に不幸があったとき、いつも私が思い出すのは、リルケの「マルテの手記」の、ある一節である。



 …入念な死に方など、もう今日の時勢では一文の価値もなくなってしまっている。誰一人そんなことを考えるものもないのだ。…(中略)…自分だけの特別な死に方をしようというような望みは、いつとなしに薄れてしまった。やがて、自分だけの死に方も、自分だけの生き方と同じように、この世の中から跡を絶つだろう。何もかもがレディー・メイドになってゆく。…

 (中略)

 …僕は昔はそうでなかったと思うのだ。昔は誰でも、果実の中に核があるように、人間はみな死が自分の体の中に宿っているのを知っていた。…(中略)…とにかく「死」をみんなが持っていたのだ。それが彼らに不思議な威厳と静かな誇りを与えていた。
 (第一部 大山定一訳)


 そう、我々は「死」について考えようともしない。まるでそれがずっと変わりなく続いていくのだといわんばかりに、ただ日々を生きることばかりを思い、明日について思い煩い、10年後を展望し、老後に備え、子供に期待をかける。いつかは死ぬ。だがそれは「知識」にすぎない。それは表層についての軽々しい知識だ。ただ、生が終わる、ということをしか知らない。死について本当は何も知らないのだ。
 
 だが、このことがより深刻なのは、実際に死にゆく人よりも、むしろその死を間近にみる生者にとってではないだろうか。死者は、否応なくその死に際に死を知る。しかし生者は、「ずっと続くこと」を前提として成り立っている生の日常のなかに、突然に姿をあらわした「この世のもう一方の半身」たる死を、否応なく迎え入れ、受け入れなければならないのだから。

 それは「欠落」ではない。我々の生活のなかの、ある慕わしい生者がいた場所、生命が肉に宿り生を営んでいたその場所を、突然、死が占めるのである。「死が自分の体の中に宿っている」ことを忘れてしまった我々、死を「他人事」としか思えない我々は、その否応のない現実に戸惑う。どうしたらよいのかわからない。そこで「レディー・メイド」の登場である。

 医学は、死という、本来個別的なものであったはずの事象を抽象化し、一般化した。それが「科学」というものの在り方だからだ。「特別な死」はそこにはない。だが我々は、生と死の境界をわかつものを、その医学にゆだねてしまった。全面的に、何の疑いもなく。いや、むしろ全面的で何の疑いもない「基準」を欲して、それを医学に求めたのだろう。あとは、最早形骸化した儀式が続く。事務的に段取りを踏んで、事は進められていく。お悔やみの言葉も、悲痛な表情も、その一部である。「レディー・メイド」が、全てを定め、導いてくれる。

 宗教の有無、信仰の有無も、確かに無関係ではないだろう。かつては生死についての教えはここに乞うていたのだから。だがそれでさえ多分表面的なことだというべきなのかもしれない。あるいは、一面的な見方だ、というべきか。どうあれ、リルケのいう、自身における「死の内在性」への、意識的であるよりは無意識的な自覚の有無こそが重要であり、それさえあったならば宗教や信仰の有無は第二義的なものでしかないだろう。

 だが、その「死の内在性」なるものを、我々の意識は再び取り戻せるのだろうか。あるいは、取り戻す必要があるのだろうか。その答えをさえ、我々は最早見失っている。きっと、我々に「共通の」答えなど、もうどこにもないのだろう。各個がそれぞれに、それぞれの答えを見出す他はないのだろう。

 無論、これまで通り、ただ世界の一面だけをみて生き、死に関しては「レディー・メイド」ですませてしまう、というのもひとつの選択ではある。それもまたひとつの生き方だ。だがたった数行の詩句で、その死にありふれた生以上の充実を与えることもまた可能なのだ。リルケの墓碑銘を、ここで読んでみることは意味のないことではないだろう。


 ばらよ、きよらかな矛盾、
 あまたの瞼の下で、だれの眠りでもないという
 よろこびよ。

 (岩波文庫『ドイツ名詩選』より)


 Rose, oh reiner Widerspruch, Lust,
 Niemandes Schlaf zu sein unter soviel
 Lidern.


 この意味深い詩句の謎を解くためには、最低でも、誕生から死までをひと通り経験する必要があるのではないか、とすら思われる。まして、この数語を自分の墓に刻むためとあっては、リルケはその一生の内に、どれほど生と死とについて、思いを深めたことだろうか。

 死に様、というものはある。リルケほどではないとしても、それなりの「死に方」をするためには、やはりそれなりの「生き方」をする必要はありそうである。友人によると、親父さんの死に様は、息子である友人を感嘆させるに充分なものであったようだ。それは単に「最期のひととき」の出来事ではない。親父さんの生涯の、気の遠くなるような積み重ねが、最後の一重ねによって完成された瞬間の出来事だったはずである。だからこそその様子は、見送る息子の心に響いたのである。

 故人のご冥福をお祈りいたします。


マルテの手記 (新潮文庫)マルテの手記 (新潮文庫)
(1953/06/12)
リルケ

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旅への憧れ —ボードレール

 この時期になると、かつてオートバイで長旅をした、夏の北海道のことを思い出す、なんてことを、以前も書いたことがある。これはもう、毎年のことだ。どうしても、私の暮らす静岡の晩春の気候が、私をしてかの地の夏を思わせるのである。

 と、いうところで、「彼の地への憧れ」を詠った詩、というと、ゲーテのミニヨンの歌を思い出すのであるが、これは最近とりあげたことがあったので、もうひとつの「憧れの歌」を、今回はご紹介させて頂く。


  かしこには、ただ 序次(ととのひ)と 美と、
  榮耀(えいえう)と 靜寂(しじま)と 快樂(けらく)。
   
   (鈴木信太郎 訳)


 ボードレール、『悪の華』、マリー・ドーブラン詩編のひとつ、『旅のいざなひ』の一節。これは、私が一番最初にこの詩を読んだ、岩波文庫版のものであるが、手元にはあとふたつほど、別訳があるので、ついでに、そちらも。


  彼処(かしこ)では、すべてがただ秩序(ととのい)と美しさ、
  奢侈(おごり)、静けさ、そして逸楽。

   (阿部良雄 訳。ちくま文庫)


  ああ、かしこ、かの国にては、ものみなは、
  秩序と美、豪奢(おごり)、静けさ、はた快楽(けらく)。

   (堀口大学 訳。 新潮文庫)


 それぞれ、私は好きである。三訳とも、日本語としての美しさをきちんともっているのがよいと思う。ただ、一番親しんでいるのは、やはり最初に読んだ鈴木信太郎訳ではある。ちなみに、これが原文。
 

 Là, tout n'est qu'ordre et beauté,

 Luxe, calme et volupté.



 このボードレールの詩と、ゲーテのミニヨンの歌。どちらもが、「彼方への憧れ」を詠った詩でありながら、決定的に違うのは、ミニヨンの歌が、異国の地から「自分が本来あるべき場所」を想い、詠われているのに対し、ボードレールの詩は、パリという自身に宿命づけられた地から、いわば「理想郷」への憧れを詠っている点にある、と私は思っている。

 実は、この詩で詠われている「かしこ」とは、オランダである、とされている。フランスからオランダであるから、そんなに遠くもなく、太古のアルカディアか何かのように詩に歌い上げるほどのこともないではないか、という気もする。少なくとも、幼少の身で異国の地に置かれながら、アルプス山脈の彼方の陽のあたる国であるイタリアに焦がれる少女ミニヨンよりは、ボードレールのほうが条件的には恵まれていそうだ。

 しかし残念ながら、ボードレールは立派な成人男性とも、常識的な市民ともいい難い男であった。若い頃の放蕩による散財で、準禁治産者として法定後見人をつけられた、社会的に自立したとは到底いえない男であり、しかも明らかに母親依存から抜け出せない所謂「マザコン男」で、精神的にも自律しているとはいい難かった。その上に最も重要なことは、彼の詩の世界というものは、パリという街とわかち難く強く結びついていた。

 ようは、ボードレールは実質的に、オランダどころかフランスの国内旅行でさえ、ほとんど不可能な状態の生活をしていたのである。実際その表現においても、オレンジやレモンの花、月桂樹などに彩られたミニヨンの歌の即物的な具体性に比して、ボードレールの詩の表現は明らかに抽象的であり、それを象徴するかのような上記の一節においては、それはもう理念的というべきものですらある。

 この一節についてアンドレ・ジッドがいっていることは、このことをよく説明してくれていると思う。岩波文庫版の注より。



 私はここに藝術作品の完璧な定義をみる。(中略) 私はこれらの語をそのままに、一美學論の各章の表題にしてみたいと思うくらいだ。

 第一章 序次 (論理、各部分の合理的配列)
 第二章 美  (作品の線、躍動、輪郭)
 第三章 榮耀 (規律のある豊饒)
 第四章 靜寂 (騒擾の鎮静)
 第五章 快樂 (官能性、素材の麗しい風情、魅力)




 どうやらボードレールが焦がれているのは、オランダどころか詩神の国に等しいような、この世のものならぬ超越的な場所であるようだ。「Any where out of the world」、この世の他へならばどこへでも、と、後の散文詩に詠ったボードレールである。

 で、顧みて私自身の「憧れ」はどうかというと、ミニヨン型、つまり「本来的な自分への憧憬」というよりは、やはりボードレール型、すなわち「不完全で厭わしい現実ではない、理想の世界に生きる全く別の人生を生きる自分への憧憬」のほうに近いようだ。

 かつて旅した北海道。800kmの彼方、とはいえ国内であるし、再びそこへ赴くことは極めて現実的、ではあるのかもしれない。しかし私にとっての北海道とは、あくまでも「二十一歳の自分が旅をした1993年の8月の北海道」、なのである。

 換言するならば、それは今現在、北海道民のみなさんが暮らす2014年の北海道ではない、のみならず、そこを旅し、それを感受するべき私自身もまた、今の四十過ぎのオッサンではなく、二十一歳の若者であったかつての私である、ということである。すなわち、客体としての世界も、私というそれの認識主体も、唯一無二の現実たる今現在のこの世界の有り様とは全く違う「別世界」だ、ということである。

 それは二度目の旅のときに、すでに思い知らされた現実だった。1997年、私は再び北海道を旅した。他でもない、最初の旅のことが忘れられず、もう一度、あの「素晴らしい日々」を生きるために。だが、それは不可能だった。その旅はその旅なりの素晴らしさがあった。しかしやはり、それは最初の旅とは違った。北海道はすでに1997年の北海道であり、そこを旅する私もすでに二十五歳の私であった。求めていたものは、得られなかったのである。

 そう、私が毎年の春風の中に想う北海道とは、もうどうあがいても行くことのできない「理想郷」なのである。だから、この時期の私の脳裏に去来するのは、ミニヨンの歌ではなく、やはり、ボードレールなのである。

 今回の「人生を凌ぐ一行」を読める本。せっかく三つの訳を読んだので、三冊、ご紹介。


悪の華 (岩波文庫 赤 537-1)悪の華 (岩波文庫 赤 537-1)
(1961/04/05)
ボオドレール

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ボードレール全詩集〈1〉悪の華、漂着物、新・悪の華 (ちくま文庫)ボードレール全詩集〈1〉悪の華、漂着物、新・悪の華 (ちくま文庫)
(1998/04)
シャルル ボードレール

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悪の華 (新潮文庫)悪の華 (新潮文庫)
(1953/11/03)
ボードレール

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 芥川の言葉を俟つまでもなく、「ボードレールの一行」は、私なんぞの平々凡々たる人生など易々と凌駕する。だが私も、私なりに生きている。なんでまた私は、その1993年の旅をここまで理想化してしまったのか。そのあたりのことについて、近いうちに考えてみようと思う。私のその平々凡々な人生にも、少しは、皆さんの気晴らしや暇つぶしぐらいにはなりそうなことが含まれている、かもしれない。


 関連記事
「再開にあたり、文豪のありがたいお言葉を」 —ゲーテ
『ニーチェ・コントラ・ボードレール』 道躰章弘 「詩の受肉」
『ボードレール』 テオフィル・ゴーティエ 「ボードレールの位置、ゴーティエの位置」
『がむしゃら1500キロ』 浮谷東次郎 「旅の新旧」


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雪花きそい咲く —川端康成

 桜の時期もあっという間に過ぎ、花に包まれていた枝々も、若葉の緑にお色直しの観がある。だがしかし、確かに桜は春を象徴する花だけれども、実際には春の訪れを告げ知らせる花、なのであり、桜が散る頃からが、春は本格化するものである。

 そうだ、桜花散るとも薫風吹き止まず、桜木より眼を移せばあたり一面百花繚乱の趣き、遠景には新緑に包まれて正に笑うが如き山々、道行くは大きすぎるランドセルや様にならない学生服、見上げる空には霞か雲か杉花粉かはたまた大陸産のPM2.5か、まあとにかく、世はあげて春を寿ぐようで、その様は相変わらずつまらない日々を迎えては送る鬱屈した中年男の心持ちさえも、なんだか浮かれさせ、何かイイコトありそうな気がしてくるのだから大したものである。

 だが一方において春は、どこかセンチメントだのノスタルジーだのを刺激するような、憂いを隠しもつ季節であることも確かで、昔のことなどを思い出し、ちょっとため息のひとつもついてみたくなる気持ちにもさせられる。これは秋の憂愁とはまた少し違った性質のもので、胸を刺すような物悲しさではなく、やはりどこか暖かみをおびて胸元に解け入るような、そんな心地よさをもったさみしさであるところが、面白いところである。

 と、いったところで、今回はある思い出にまつわる「人生を凌ぐ一行」。


   国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。


 川端康成、『雪国』の一行目。なんでまたこんなバカバカしいほどに有名な一行をわざわざ引っ張り出してきたのかというと、まさにこんな一行のようなことを経験したことがあり、そしてそれがあまりに印象的であったからだ。

 もう、十年か十五年も前の話である。私は仕事で、真夜中の関越自動車道を東京から新潟へ向けて走っていた。時期としては、四月の二十日前後であった。その年は春の訪れが遅く、桜の開花も遅れたのではあったが、さすがにもう寒気は去り、春は盛りを迎えていた。私は静岡生まれの静岡育ちであるから、当然、雪道の運転など慣れているはずもないので、その仕事が二ヶ月前でなかったことに感謝しつつ、群馬県を抜け新潟県へと入る県境をなす関越トンネルに、車を走り込ませた。

 全長が11kmに及ぶ、この関越トンネル。このトンネルを抜けたところで、私は信じ難い光景に直面した。雪、であった。空からはもう完全に本降りといっていいほどの雪がひっきりなしに降りきたり、高速道路の路面を一面真っ白にしていた。こうなると当然交通規制がかかる。通行車両は全車、トンネルを出てすぐのパーキングエリアに誘導され、そこで雪用タイヤやタイヤチェーン等の冬装備のない車両は止められていた。確かに、道はトンネル出口からずっと下り坂が続くので、ノーマルタイヤで走るなんてことは自殺行為に等しかった。

 全くの不意打ちであった。新潟は雪国、とはいえ、四月も二十日あたりとなれば、さすがにもう春である。北海道ですら、雪解けを迎える時期である。こんな時期に、まさか雪にやられるとは、地元の人たちですら思っていなかったに違いない。

 私の乗っていた車は、たまたままだスタッドレスタイヤを履いていた。同僚と、もうタイヤ交換しなきゃね、なんていっていた矢先の出来事であったから、本当に冷や汗ものだった。私は恐る恐る、その坂道を新潟方面へと下っていった。「国境の長いトンネルを……」。思わずこの有名な一文が私の口をもれた。だがしかし動揺していたのであろう、その状況だけではなく、この出来事が起こった舞台まで、まるきりあの小説と同じであったことにまでは思い至らずにいた。

 そうなのだ。関越自動車道の関越トンネルといえば、群馬県のみなかみ町から、谷川岳の下をくぐって新潟県の湯沢町へと抜けるトンネルなのであるが、これはまさしく、『雪国』の主人公が列車に乗って辿ったあの清水トンネルと全く同じ場所にあるのである。このことにやっと気付かされたのは、その仕事の帰り道のことであった。

 新潟市での仕事を終え、私は同じ関越道を今度は東京方面に走り始めた。雪はもうやんでいたが、道がまた関越トンネルに近づき、山間に入るにつれ、周囲は雪景色になっていった。やっぱりすぐには融けないよなあ、なんて思いながら周囲を見渡していた私の眼に、飛び込んできたのは桜の木であった。

 それは、雪景色のなかに満開をむかえた桜の姿だった。遅れた開花と、時期外れの雪が偶然に生んだ絶景だった。美しい山間の、花と新緑に包まれた春の景色に、真っ白な新雪が装いを加えた、えもいわれぬ調和であった。

 車を運転している私は、当然ゆっくりそれを眺めることなどできず、実に悔しい思いをした。その悔しがる私の眼に次に飛び込んできたのが、「越後湯沢温泉」の看板であった。そこでようやく、「あ、そういえば!」という訳である。

 今回の、「人生を凌ぐ一行」が読める本。



雪国 (新潮文庫 (か-1-1))雪国 (新潮文庫 (か-1-1))
(2006/05)
川端 康成

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 私はまだこの「名作」を一回しか読んだことがない。正直いって、あんまり印象に残っていない。読んだのが若すぎたのか。ただ、川端康成の文体が、何となく、合わないと感じることも確かである。短編には、面白いなと思ったものもあるので、また読み返してみる、というか、もうすこし気を入れてこの作家のものを読んでみてもいいのかもしれない。なんといっても、川端康成、ですからね。



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ゆきどけ —ヴィヨン

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 この写真は、先月の14日の大雪から、一週間ほど過ぎたころの、山梨県某所のものである。私は運良く雪の降った地方へはいかずにすみ、何ということもなく終わったのだったが、会社の同僚の運転手の幾人かはすっかり雪にはまってしまい、二日も三日もトラックの中に閉じ込められてしまった。

 あれほどの雪、死者が出たほどの被害をもたらした大雪も、一週間も過ぎれば、山梨県あたりでもこんなにとけてなくなってしまう。そこで思い出したのが、この詩句だった。



  人魚(シレエヌ)の聲 玲瓏と歌ひたる
  百合のごと 眞白き太后ブランシュ、
  大いなる御足のベルト姫、また ビエトリス、アリス、
  メエヌの州を領じたるアランビュルジス、
  ルウアンに英吉利人(イギリスびと)が火焙(ひあぶり)の刑に處したる
  ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ、
  この君たちは いま何處(いずこ)、聖母マリア。
  さはれさはれ 去年(こぞ)の雪 いまは何處。

  わが君よ、この美しき姫たちの
  いまは何處に在(いま)すやと 言問(ことと)うなかれ、
  曲なしや ただ徒(いたづ)らに疊句(ルフラン)を繰返すのみ、
  さはれさはれ 去年の雪 いまは何處。

  (鈴木信太郎訳)
 

 フランソワ・ヴィヨンの有名な詩、『 疇昔の美姫の賦』の最後の二節……であるが、普通はこんなにムツカシイ題名ではなく、『いにしえの美女達のバラッド』とか、そんな感じの訳題があてられている。私の持っている詩集が、初版が1965年という古さなので、どうか、ご容赦を。

 かつては世に時めいた美女たちだが、今となっては彼女等を懐かしんだところで、もうどこにも見出すことはできない。去年の雪を訪ねるが如く、それは甲斐のないことだと自らを諌める、これはそんな詩ではある。

 しかし逆に、雪というものは、じっと耐えて待っていれば、やがてとけてなくなり、春がやってくるのだ、と読むことも可能ではなかろうか。雪などは、美女たちの美しさと同じく、はかないものなのだと。



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 この写真は、数日前に近所で撮ったもの。静岡市の市街地は結局、雪などちょっとぱらぱらした程度で終わってしまったが、雪国などでは、我々よりも、春を待つ思いは強く、切実なのだろうなと想像する。今年はなんだかいつまでも寒い感じだが、春は確実に、近づいている。

 そして、あの震災から三年が過ぎた。北の被災地にも、本当の意味での雪どけのときが来ることを願う。

 今回の「人生を凌ぐ一行」が読める本。




ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)ヴィヨン全詩集 (岩波文庫)
(1965/05/16)
鈴木 信太郎

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 初版は1965年。しかし私の持っている版は、2000年の第13刷である。こうした古典が、少しずつでも版を重ねているということは、悦ばしいことである……なんて殊勝なことをいってはみたものの、実は、私が知るヴィヨンの詩は、上記の『疇昔の…』一遍きりである。つまり、この詩集を通読したことは一度もないのである。

 フランソワ・ヴィヨンという、この十五世紀を生きた詩人。悪漢小説、などという言葉はあるが、書き手自身が筋金入りの悪玉だった、なんて例は滅多にあるものではない。それだけでもじつに興味深いし、それに、ボードレールがどうこうなどと、えらそうなことを書きたいのならば、こうしたフランスの古い詩人についても当然勉強するべきなんだけれど。あ、ちなみに、上記の詩のなかで「 ロオレエヌの健き乙女のジャンヌ」と謳われているのは、ジャンヌ・ダルクのことである。彼女への興味から、私はこの詩を知ったのでした。


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再開にあたり、文豪のありがたいお言葉を —ゲーテ

 先日、サーカスへ。




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 木下大サーカス。ホワイトライオンだとか、シマウマだとか、キリンだとかの動物のショーや、空中ブランコ、バイクの曲乗り等、迫力のあるショーを間近で観て、子供等も私も大いに楽しんだ。

 ああいった軽業をする人たちというのは、もうみるからに身軽そうな体格なのだが、それが女性となると、男性よりも筋力がない分、力に頼れないということで、本当に子供の様に小柄な身体でくるくると動き回る感じだ。

 そうした様子を見ていて、思い出したのはかのミニヨンである。昔は、「サーカスの少女」といえば、不幸な生い立ちを背負っているものと相場が決まっていた。悪いことをする子供を脅すのに、「サーカスに売っちゃうぞ」などというひどい言葉まであった時代が、確かにあった。勿論現在にはそんなことは全くなく、サーカスの人たちとは、努力して舞台に立つ一流のエンターテイナーたちのことをいうのだけれど。

 
   君知るや、レモンの花咲くかの国を。
  小暗き葉影にオレンジは熟し、
  そよ風は碧き空より流れきて、
  ミルテはひそやかに、月桂樹は高く—
  君知るや、かの国、いざかの国へ、恋人よ、
  いざかの国へともに行かまし。

                (高橋義孝 訳)


 文豪ゲーテの代表作、『ウィルヘルム・マイスターの修業時代』第三巻第一章冒頭の、有名な詩。歌い手は、その人物自体が文学史上の傑作といわれる、薄幸の少女ミニヨン。彼女はまた、「憧れの象徴」などとも称されるが、そのゲーテの南方(イタリア)への憧憬の具現ともいうべき彼女の人間性を、見事にあらわすこの詩は、同じ『修業時代』の、もう少し前のところで語られる言葉を明確に裏付けもする。久しぶりの、人生を凌ぐ一行。


 「詩というものはね、立派な詩であるか、それとも、そもそも存在しちゃいけないかのどちらかなんだ。」(第二巻 第二章)

 
 他ならぬ文豪ゲーテにいわれると、もうなんとも反論のしようもないような、そんな一言ではある。存在しちゃいけないような、詩のできそこないみたいなものの存在を許すか否か、それを左右するのは、我々読者の審美眼である。……なんてこというと、また読書がコムズカシイものになって、このブログの更新も遅れていくことになってしまう。まあ、文学は、「文楽」であってもいいんじゃないかと、そのくらいの気持がちょうどいいのかな。

 今回の「人生を凌ぐ一行」が読める本。



新潮世界文学 3 ゲーテ 1 若いウェルテルの悩み ウィルヘルム・マイスターの修業時代 他新潮世界文学 3 ゲーテ 1 若いウェルテルの悩み ウィルヘルム・マイスターの修業時代 他
(1970/12)
ゲーテ

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 現在手軽に買えるのは、岩波文庫版の、山崎章甫訳のものだろうし、そちらも読んだことはあるけれど、私は、一番最初に読んだ、高橋義孝訳が好きだ。他ならぬ、高橋訳の上記ミニヨンの歌に親しんでいるので。




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