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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

Dear,deer.



 以前、旅先で出会った動物たちのことを取りあげた記事の中で、鹿との出会いのことを書かせていただいたことがある(旅のおもいで・出会い その1  動物たち)。北海道東部のある国道をバイクで走行中、カーブの出口に突然現れた牡鹿と、危うくぶつかりそうになった、それが私と鹿との初めての出会いであった。

 また別の記事では、トラックでの夜間走行中、路面に横たわるたくさんの可哀想なネコたちを見る、というようなことを書いた。そして自分もネコを轢きそうになったし、この先、轢くことになる可能性も充分ある、ということも(猫と夜間飛行)。

 そして去年の秋の初め頃、ある出来事があった。そのことを、書いておきたいと思う。

 国道139号線。富士山の西側の朝霧高原を通じて、山梨県と静岡県を結ぶこの国道を、私はトラックで走っていた。時間は、朝の三時頃だっただろうか。北から南へ、静岡に朝八時頃に荷物をおろす予定であったから、時間的には充分な余裕があり、少しは眠れるかな、なんてことを考えながら、高原から一気に富士宮の市街地にくだっていくその坂道を、特に何の異常を感じることもなく。

 その時は、文字通り突然にやってきた。ヘッドライトの中に、まずはふたつの青白い反射光。つぎの瞬間にはそれは真っ黒な大きな塊になった。その黒い塊は、その大きさからは想像もつかない身軽さで、私の真正面に跳び出してきた。トラックの速度は時速約65km。鹿だ、と思ったときにはすでにそれはトラックの制動距離よりも近くにいた。

 そのままでは衝突は避けられない。私はブレーキを踏み続けた。片側一車線。対向車線にはトラックの車列、路側帯はなく、道路外には針葉樹が立ち並び、ハンドルを切ってよけることはできない。しかも、道は下り坂。鹿がもうひと跳びして、うまくよけてくれることを祈りながら、私はブレーキを踏み続けた。

 しかし両者の距離はあまりに短く、ヘッドライトに驚いてパニック状態の鹿には、もう冷静に安全な方向を見出すことはできなかった。衝撃と、鈍く、しかし大きな音。私のトラックは、鹿と衝突した。

 その後にみた光景を、私は忘れることができない。私はトラックを停め、降りた。鹿は、生きていた。よろよろと歩き、反対車線の路肩あたりに蹲った。通過するトラックのヘッドライトのなか、立派な角をもった牡鹿が、口から血を吹きながら、おびえきった眼を周囲に向けていた。いや……その焦点は定まっているようにはみえなかった。そして何台目かのトラックがその脇を通り過ぎたとき、牡鹿の姿は消えていた。死力を振り絞って、その危険地帯から逃れたのだろう。針葉樹の林のなかへ。安全な自分のテリトリーのなかへ。

 私はトラックに戻った。暗い下り坂である。追突される危険をさけるため、トラックを移動しなければならない。最大限の制動力を得るよう、クラッチを踏まなかったため、私のトラックはエンストしていた。ギアをニュートラルにして、スタータを回す。エンジンはかかった。しかしギアを入れようにも入らない。回転を合わせ、無理に入れると、すぐにエンジンは止まった。明らかにクラッチの異常だった。

 今度は下り坂であることが幸いした。私はまたギアを抜いてエンジンをかけ、そのままブレーキを離し、惰性で坂をくだって、数百メートル先のバス停のスペースにトラックを収めた。これで、とりあえずは交通の妨げにはならない。私はトラックを再び降り、自車のダメージを確かめるべく、トラックの前面にまわった。

 思ったよりも大きな鹿だったらしいことが、すぐに知れた。全幅は二メートルを優に超える8トントラックの前面が、端から端までベッコリとへこんでいた。ひしゃげたフロントパネルを開ける。その下には、クラッチのマスターシリンダがあるのだが、それがダメージを受けていた。他にもワイパーやウィンドウォッシャー液のタンクなども壊れていたが、クラッチは致命傷である。これではもう自走は不可能だ。

 会社に連絡し、仔細を報告、レッカー車を手配してもらった。後は、もう待つしかない。トラックの運転席に戻り、私は一息ついた。そして、あの鹿のことを想った。

 まだ生きていた。衝突の瞬間まで続けたブレーキングが、多分、鹿を即死させるほどのスピードを失わせていたのだろう。しかしそれはあの鹿にとって、不幸なことでしかなかった。牡鹿は血を吐いていた。それは彼の内蔵に、深刻なダメージを与えていることの証左だった。そしてまたそれはかの牡鹿の、近い将来の、緩慢で苦しみの大きな死の訪れを約束することをも同時に意味していた。

 そう、何年もかけて大きくなった牡鹿、きっと人間とは比べものにならないほどに低い生存率の世界で、多くの危機を乗り越えて生きてきた美しい牡鹿が、血を吐きながら、苦しんで死ぬのである。強靭な彼の生命力は最早、自身の断末魔の苦しみを、長引かせ、増幅させる役にしか立たないだろう。そしてその死を彼に与えたのが、他ならぬ、私自身だった。

 たまらない不快感が、私の胸をむかむかさせた。なんの意味もない死だ。珍しい食べ物として食べるために、あるいは単にスポーツとして楽しみのために、ハンティングの対象として撃ち殺すよりも、はるかに質の悪い「殺し」であるように思われた。本当に、何の意味もない死だ。偶然という下らない理不尽が呼んだ、残酷で、救いのない死だ。

 不快感は、私の胸をしばらく去ることはなかった。何日もだ。しかしそれでも、私は同じ仕事を続ける他はなかった。ぺしゃんこの猫の死体や、あるいは、同じ139号線で事故にあった、他の鹿の死体を横目にみながら。私は私の生活を続けた。トラックによる陸上輸送という、社会に必要不可欠な、そして動物たちに無意味な犠牲を強いるこの流通手段の、一端を担うこの生活を、だ。

 これを罪と呼ぶのか否か、その犠牲を避けられないものとして黙殺するか否か、そんなことはどうでもよいことだ。日々、交通事故で命を落とす人間たちよりもはるかに多くの動物たちの命が、想像もできないような勢いで失われ続けている、その事実があるのみだ。そのうえに我々の生活は成り立っている。注文した荷物は翌日に届けられ、遠方の港で水揚げされた魚は、新鮮なまま我が家の食卓にあがる。それが、事実である。それを、書いておきたかった。それだけである。



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さがしもの



 以前にもちょっと書いたことがあるが、私が妻から初めてもらった贈り物は、ジッポーのオイルライターであった。



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 純銀製である。いちまんえん以上はする。

 当時私はタバコを一日最低二箱は吸っていたので、これを常に持ち歩き、使っていたのであるが、三年ほど前にタバコをやめてから、当然、全く使わなくなってしまった。それを先日、なんとなく気になって、探し始めたのであるが、なかなかみつからない。

 別にどこかへしまい込んだ訳ではなく、大型のふたつの書棚のどこかに、箱に入れて置いただけなので、すぐにみつかるはずだったのだが、その他もろもろの雑品にまぎれてしまい、なかなかみつからなかった。あちこちひっくり返してようやくみつけたとき、私は、それがみつけられなかった理由を納得した。

 私は、上の写真の青い箱を探していたのである。勿論その箱に入っていたのは確かなのだが、その上から、上の写真右の銀色の紙のスリーブをかぶせてあることをすっかり失念していた。実際には、すぐに眼につく場所にぽつんと置いてあったのに、青い箱を探し続ける私には、銀色の箱が眼に入らなかったと、つまりはそういうことだったのだ。

 なにか探し物をするときには、その探そうとしているものを、明確にイメージすることは、やはり大切だな、とあらためて思った。その顕著な例は、四つ葉のクローバー探しである。

 私が初めて四葉のクローバーをみつけたのは、2005年夏の北海道ツーリングのときであるから、もう33歳になってからのことである。多和平というところのキャンプ場で、テントのすぐ前でたまたまみつけたのだったが、それまでは、私はいくら探してもちっともみつけられなかった。子供の頃からずっとである。それなのに、その最初の発見以来、私は四つ葉探しが得意になってしまった。

 理由ははっきりしている。三つ葉の群生のなかに、四つ葉がひとつ揺れている画が、はっきりとイメージできるようになったからである。それまでは、三つ葉の集団ばかりをみて、そのひとつひとつが、四つ葉であることよりは三つ葉であることを確認するような具合で、「これもちがう、これもちがう」と、順番にみてまわっていた。これでは、たまたま四つ葉に出会う可能性はとても低くなるし、逆に、偶然四つ葉が眼に入ったとしても、三つ葉を見慣れた眼が、それを誤認して見過ごしてしまう可能性が高まってしまう。

 四つ葉のクローバーが欲しいのなら、その四つ葉の姿をはっきりとイメージして、脇目もふらず、それだけを探すべきだ。そうすれば、三つ葉の群生にも惑わされることなく、意外にあっさりみつけられるものである(勿論、あれば、の話だが。ないものはみつけられない)。

 と、なんだか安っぽい人生訓のような結論になってしまったが、事実、この「探し物をするときは、探しているものをはっきりとイメージする」ということを、30過ぎまで実感として学ぶことができなかったばかりに、今の私の中途半端な人生が形成されてしまったような気がする。自分の将来について、漠然としたイメージしか抱いてこなかった、その結末が、今のこの私である。早いうちから、はっきりとした目的をもち、そこに向けて努力ができた人が、羨ましく思う。

 中途半端な41歳である私は、所有する貴金属といえば、このジッポーと、あとは結婚指輪ぐらいのものである。だが、まあしかし、そのふたつともが、今の私の生活というものの、根幹を形作っているものの象徴のようなものであり、そうした意味では、価値あるものをふたつも持っている、ともいえるのかもしれない。

 純銀製のジッポーはやわらかく、すぐにへこんでしまう。下の写真、手前角の凹みは、子供が生まれる前に、妻と伊豆は下田の水族館に遊びに行ったときに、駐車場で落としてつけてしまった凹みである。こうした傷が、はっきりと残っていくのが、この純銀ジッポーのよいところなのだ。

 ジッポーライターというものは、構造が極めてシンプルであり、ほとんど壊れるということがなく、しかも、全商品に永久保証がついており、壊れても無償で修理してくれる。つまり、なくしたり、修理不能なまでにつぶれたりしない限りは、ずっと使えるのである。三年間放っておいた私のジッポーも、オイルを入れれば問題なく作動し、火がつく状態を維持している。アメリカという国の、きっと最もよい部分が、このライターには凝縮されているのである。
 
 中途半端な人生をおくる私が、子供たちに残してあげられるものは何もないだろうが、このジッポーだけは、息子が成人したらあげようと思っている。それまでは、大事にしまっておこう。いざ探すときのために、青い箱には銀色のスリーブがかぶせてあることを忘れずに。

 (余談だが、私がはじめてみつけた四つ葉のクローバーは、今でもサン=テグジュペリ『夜間飛行』の文庫本のページに挟まっている。以上、私の乙女チックな側面でした(笑))




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車海老



 去年、今年と、正月に、妻の大分の実家から、私の実家に、車海老が届いた。ブラックタイガーなどが旨くない訳ではないのだが、やはり、車海老は別格である。塩焼きにしただけで、もう、文句無しの旨さである。

 ところで、私の三歳の娘は、好きな食べ物はなに? と聞くと、エビ、と答える。なので、好物はエビ、ということになっている。だが、彼女がエビを食べたことは、一度もない。食べるか、と聞いても、いらない、という。どういうことだろう。


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あけましておめでとうございます

 十二月、誕生日をむかえ、ついにバカボンのパパの年齢に追いついてしまった私。ここ数年で体重が15㎏もふえていたことに、つい最近気付いてショックを受けつつも年内の仕事を無事終了し、大晦日の朝一番に二歳の息子が右肘を脱臼する、なんてトラブルをも乗り越え、おかげさまで新年を迎えることができました。(あ、息子の治療は病院で一瞬にして終わりました。今は何事もなかったように、元気に跳ね回ってます(笑))

 皆様、今年もつまらない文章で、こっそりとインターネット世界の一隅を汚すつもりでおりますので、どうか、よろしくお願い致します。

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よいお年を


 ちょっと前に、夕暮れの港の写真などをアップさせて頂きましたが、その写真と同じ風景を、もっと遅い時間に撮影してみました。

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 ちょっと、年末っぽい写真でしょ? ・・・そうでもない?

 とにかく、今年も一年間、どうもありがとうございました。来年も、ぼちぼちと、駄文を綴っていこうと思っております。よろしければ、暇つぶしにでも、ご訪問くださいませ。

 それでは、良いお年を。



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