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『ニーチェ・コントラ・ボードレール』

ニーチェ・コントラ・ボードレールニーチェ・コントラ・ボードレール
(1994/09)
道躰 章弘

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詩の受肉

 昨年末に、ボードレールについて何やら小説形式で書いたものを記事にさせていただいた。ボードレールについて書きたい書きたいと思いつつ、結局何も書けず、苦し紛れに過去に書いたものなどを引っ張りだしてきたのだったが、やはり、大きな問題にはそんな姑息な手段ではなく、地道な作業をもって取り組むべきだろう、と思い直し、今年は、もうちょっと真面目にこの詩人について考えてみよう、などと思っている。

 で、探し出してきたのがこの本だ。ニーチェと、ボードレール。このふたつの名前が、これほど明確に対照された題名をもつこの本に、私が飛びついたのは一体何年前だったろうか。巻末には「第一版第一刷」とあり、さらに「一九九四年九月三〇日発行」とあるから、それ以前、ということはないはずだ。1994年、といえば、私が二十三歳になった年だ。まあ、その頃のことだったのだろう。

 ニーチェと、ボードレール。近代から現代への時代変換の、思想的背景を考えるとき、私がもっとも重要視しているこのふたりを同時に論じたこの本には、私が立てるべき問いというものを明確化させるために、おおきな助力を得た、と記憶している。勿論、この本に答えを見出した、というのではない。あくまでも、問題をはっきりさせることができた、ということだ。

 つまりこの本は、かつて使用した問題集のようなものであり、今のシーズンに合わせていうならば、私にとっての過去問、いわば「赤本」みたいなものである。ようは、まずは復習からはじめよう、ということなのだ。

 本書はまず、「1 ニーチェとボードレール」という章において、ニーチェがボードレールという詩人をどう位置づけていたのか、それを、彼の残した言葉から探るところから始められる。ニーチェの印象的な言葉が、引用される。

「ボードレール、音楽なきリヒャルト・ワグナーの類」

 この本の著者によると、ニーチェはこれを書いた当時、まだボードレールのワグナーについての論文は読んでいなさそうだ、というから、確かに、ニーチェの慧眼には驚かされる。そしてさらに、ニーチェとワグナーの微妙な関係と同じような性質のものが、これによってニーチェとボードレールとの間にもまた予感される、という意味でも、これは実に興味深い言葉だといえるだろう。

 しかし、この辺りのことに深入りし始めると、もう際限がなくなりそうなので、今回はここら辺でやめておこう。ただ、ニーチェがボードレールをどう観ていたのか、それを端的にいいあらわす言葉として、著者が、「高次の人間」という言葉を用いていることだけに、注目しておこう。いうまでもなく、これはツァラツストラの山上の洞窟を訪ねた、あのあと一歩で超人に至ることのできない、古い神から逃れることのできない者たちのことである。これだけでも、ニーチェとボードレールとの位置というものが、少なくともこの本においてはどのように捉えられているのか、かなり明確に理解できるというものだろう。

 次の章、「2 美とイデア」において、ボードレールがいかに「高次の人間」であるのか、が明示される。「世界の背後を説く者」としての、すなわち、大きな意味でのプラトン主義者としてのボードレールだ。

 「大きな意味での」と書いたのは、勿論、彼が生粋のプラトン主義者ではなく、多く新プラトン主義的であり、さらには神秘主義者でありと、ようするにヨーロッパに長く、そして深く広く浸透したものとしての「プラトン的世界観」から、ヨーロッパ人らしく強い影響をうけた者である、という意味でのプラトン主義者であるからだ。そのことは、ボードレールのおそらく最も重要な芸術批評文である、『現代生活の画家』のなかの一文に明らかだろう。曰く。

「永遠に存続する部分は詩の魂、変化する要素はその身体」(阿部良雄訳)

 このとき、詩人は、地上的な「美しきもの」と、美そのもの、すなわち「美のイデア」というべきものとの差異を、はっきりと認めているといえる。だが、この本の著者は、スウェーデンボリの「照応」の概念等をボードレールに見出し、ボードレールが、地上的な「美」を、プラトンが「洞窟の比喩」で語ったような単なる影にすぎないようなものではなく、そこにおいて、彼岸の、永遠の「美」を「想起」しうるようなものとして捉えていることを示す。そこに「違い」はあっても、「乖離」はないのだ。

 実際このことは極めて重要だと私も思う。『現代生活の画家』といえば、彼の最も重要な概念である「現代性(モデルニテ)」について語られた批評文だ。よって、上に引用した一文の後半部分が、他ならぬその「現代性」について語られたものであると考えることに無理はないだろう。だとしたならば、ボードレールにとっての「現代性」というものの重要性が、この文脈において明らかにされるからだ。

 ボードレールが、「現代性」、すなわち地上的な、気まぐれなうつろいから逃れることのできない無常の世界のなかの一刹那に過ぎないもののなかに、本質を、永遠を、「美」なるものそのものを見出そうとするとき、この現象の世界、質料の世界は、プラトンの謂うごとき単なる「影絵」ではない、尊ぶべき何ものかとしてたちのぼる。それを名付けて、「詩」と呼ぶのだと、ボードレールはそういっているのではないだろうか。

 だとするならば、ここに、詩は「現代性」という名の肉体を「受肉」したのだと、そう捉えることは可能だろう。そして、こうして詩が肉体を得た、ということによって、更なる時代がひらけた、ということもいえるのではないだろうか。

 つまり、この物質的世界にのめり込むことによって、「美」なるものを見出そうとした、その詩人の「姿勢」が重要なのである。このことによって、ボードレールは「高次の人間」たり得たのだ。確かに彼は、「世界の背後」を、イデアを、つまりヨーロッパの伝統的な世界観を、最後まで捨てることができなかった。しかし彼からニーチェへの飛躍まで、あるいは、より現代的な実存主義的世界観までは、もうあと一歩、たったひとつの「逆説」だけで充分なことろまでたどり着いていたのである。ニーチェがボードレールから「イデア」を、「超人」が「高次の人間」から「世界の背後」を、そして「肉」を得た「詩」から「精神」をはぎ取るとき、現代が始まる。

 そう、「現代性」の発見こそは、ボードレールの功績だった。私はこれによってこそ、ヨーロッパの詩の伝統は、その命を現代にまで永らえることができたのだ、とすら思っている。もしボードレールがいなかったならば、詩というものは、アルチュール・ランボーが詩人であることをやめて旅立つと同時に、すくなくともヨーロッパでは死に絶えていただろう、と。(ボードレール無しで、そもそもランボーの天才が存在し得たか否かについては議論の余地がありそうですが)。しかしまあ、このあたりのことも長くなってしまうので、ここではこれ以上触れないことにしよう。

 と、第二章までで、今回は終わってしまった。その上、ボードレールを読んでいる方々にとっては、なにを今さら的な内容になってしまいましたが、まあ今回は、あくまでも私の「過去問の復習」にお付き合いいただいた、ということでご容赦ください。最初にも書きましたが、これから私は、改めてもう一度、ボードレールに取り組もうとしているので。

 芥川の有名な一文に、「人生は一行のボードレールにも若かない」というのがあるが、若い頃の私は、本気でこれを信じていた。今でも、あるいはそう思っているのかもしれない。しかし現在、私は家族を持つに至り、この言葉は私にとってひとつの「敵対者」ともいえるものとなった。人生と、ボードレール。生活と、文学。四十歳にもなって、こんなことを考えていると、実際、生活に支障が生まれるものです。いや、実は、なかなか深刻な問題だったりもするんです。「大人になった文学少年」・・・それなりに苦しかったり、ね。しかし、だからこそ、ボードレールを真面目に考えてみようと、まあ、そんなところです。


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