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『どくとるマンボウ航海記』

どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)どくとるマンボウ航海記 (新潮文庫)
(1965/02)
北 杜夫

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旅のすがた

 今年10月、北杜夫氏が亡くなった。腸閉塞、だったそうだ。この訃報に、私は少なからず驚かされた。

 私は最近このブログに、過去の自分の旅行の思い出話などを書かせて頂いているが、その旅に実際に出掛ける以前に、「旅への思い」とでもいうべきものを、自分のなかでじりじりと育んでいた頃に、この北杜夫の著作を読んでいた。

 特にこの『どくとるマンボウ航海記』には、大いに遠方への憧れを駆り立てられた。そこで、久しぶりに読んでみようか、などと思っていたところに、この訃報に接したのだった。あるいは、「虫の知らせ」のごときものであったのかもしれない。北杜夫は、昆虫への強い興味をもった人でもあったから。『どくとるマンボウ』を読んでいると、虫たちを全国の読者に向けて使いに出すぐらいのことは、やりそうな人のように思えてくる。

 これを初めて読んだ頃、というのは、具体的には高校を出てすぐの頃のことだ。その年の春、すなわち高校の卒業式のあった三月に、私は友人等とつれだって、「卒業旅行」と称して九州方面への列車旅行に出た。「青春18切符」を使って、静岡から五日間かけて九州は博多まで行って帰ってきたのだったが、この旅が大いに呼び水となったらしく、まあとにかくどこか遠くへ行きたくてしょうがなくなってしまったのだ。

 しかし、旅行というものは、無銭旅行なるものを決行しようとしない限りにおいては、なかなか金のかかるものだ。かの九州旅行は、切符代も含めた旅費の総額は3万円を超えなかったと記憶しているが、それでも、当時の私にとっては、ほとんど全財産をつぎ込んだに等しかった。つまり、どこかへ行きたくても金がなくて身動きがとれなくなってしまったのだ。そこで、あれやこれやの旅行記を読むことで、心を慰めるしかなかった。この『どくとるマンボウ』も、その一冊だった、という訳である。

 船医として、スエズ運河経由で遠く大西洋にまで航海する船に乗り込むということ。これだけでももう、若い予備校生の憧れを駆り立てるに充分なことだろう。これをきっかけに予備校生は、某大学医学部に合格すべく猛勉強を開始・・・なんてことにはならなかったのだが。

 「あとがき」にあるように、この本は、「一九五八年の十一月半ばから、翌年の四月末にかけて、六〇〇トンばかりの水産庁漁業調査船「照洋丸」の船医となり、およそ半年の航海をしてきた」、その記録をもとに書かれたものである。そして著者は、

 「私はこの本の中で、大切なこと、カンジンなことはすべて省略し、くだらぬこと、取るに足らぬこと、書いても書かなくても変わりはないが書かない方がマシなことだけを書くことにした」

 のだという。

 それを本気でいっているのか、それとも冗談まじりなのか。本文を読んで判断するしかないのだが、その判断が、ムズカシイ。これほどの筆力のある人が、1958年という、今と較べてしまうならば、海外旅行というものがまだまだ一般的とはいえなかった時代に、世界中のあちらこちらの港を幾つもまわってくるような航海を経験したのである。真っ正直に、各地の特色だとか名所名跡等々を紹介する形での、当り前の「航海記」を書いたとしても、充分に面白いものが出来上がったはずだろう。

 しかし著者は、本当に、なんだか船内のしょうもない事件だとか、あちこちの港での失敗談だとかいった、そんなことばかりを選んで書いている。あるいは、上記の一文は、この作家一流の冗談ではないのではないかと、そんな気にもさせられる。

 ブルース・サンドラルスなる作家を、浅学なる私は知らないが、出港していきなり、航海記にはこのひとについての話題が綴られる。「放浪にあけくれした彼の生涯自体が、すでにホメロス的な巨大な作品」だというところで、全く「旅」と無関係かといえばそんなことはないのだが、「船医として漁業調査船に云々」というこの航海とは、どうも関係は薄いように思う。

 そして話題は、船酔いのことに移り、さらに、乗組員のこと、トビウオのことなど、と続く。これらも、全く関係がない、という訳ではないだろうが、しかし、いわばこの船旅における「日常」の雑事から、思いついたことをいろいろと並べている、という感じだ。まさに、「くだらぬこと、取るに足らぬこと」なのである。

 無論、それが「大切なこと、カンジンなこと」ではないからといって、読んでいて面白くないのか、といえばそんなことは全くないのであり、それどころか、あっという間にこの『航海記』の世界に読者を惹き込んでしまうに充分なものなのだが、それが、旅先でしか見られないような珍しいものだとか、「見聞録」的魅力をもって、読者の遠方への憧憬を駆り立てるようなものだとか、そういう性質のものではないことは確かだろう。

 しかし考えてみると、旅というものは、誰かに自慢なり紹介なりをしたくなるような、そんな出来事ばかりがずっと続く、というものではない。準備だとか、大荷物をかついだ単なる移動だとか、切符を買ったりだとか地図を調べたりだとか、そうした雑事に費やされる時間がそのほとんどを占める、というのがその実態なのではないだろうか。しかもそれは、旅の期間が長くなれば長くなるほど、そうだといえるのではと私は思う。

 旅行というと、私たちはそこに「非日常」的なものを求める。では「日常」とは何か、というと、大概の場合、ある定まった生活圏での、日々繰り返される営みのことを謂われる。しかし、「日々旅にして旅を栖と」する人たちにとっては、これは当てはまらない。まさに「舟のうえに生涯を浮かべ」る船乗りにとっては、絶えざる移動の日々こそが日常なのだ。

 だから、その長い航海の大部分の時間には、あたかも我々「定住者」の「日常」を埋めるような煩瑣な雑事が、あれこれいっぱいに詰まっている訳だ。旅の日々ではある。しかしそこに、日常生活というものがくっついてまわるのだ。

 この『航海記』の特色をなすものとは、つまり、あそこへ行った、あれを見た、ではなく、この「旅の日常」なるものに焦点を定めた点にあるのではないだろうか。そしてそれがまた、もう半世紀も前の『航海記』に、我々読者が臨場感といっていいほどのリアリティを感じることができることの理由でもあるのではないだろうか。遠いどこかでの出来事ではない。著者と一緒に船に乗って、ひどいシケに揺さぶられながら、我々は著者の船旅を追体験するのである。

 さらには、この船旅に挑む著者の「姿勢」もまた、それを大いに助長しているといえるだろう。彼にはほとんど気負いというものが感じられない。まさしく、「日常」の感覚を、そのままこの船旅に持ち込んでしまったような具合だ。そしてこの「姿勢」こそが、この『航海記』全編を埋め尽くすユーモアの源泉となっているのではないだろうか。

 そう、あたりまえの日常に、可笑し味だとか、滑稽さだとかいうものを見出すためには、このあまり夢中に、必死になってしまうことのない、一歩ひいて客観視するような、傍観者的な視点が必要なのだ。それは、いわば噺家の立ち位置なのである。落語が面白いのは、誰かのドタバタを、噺家が淡々と人ごとのように語るからではないだろうか。こうして、きっと実際には退屈きわまりないものであったはずの「船上生活」が、一個の喜劇としての『航海記』に生まれ変わった。

 かといって、船が立ち寄った様々な国の様々な港の様子が、全く描かれていないのかといえば、そんなことはない。「リスボンではテレビ放送が始まったばかりなので云々」という一文がある。あるいはこの時代においては、世界のそれぞれの港は、いろんな意味で「グローバル化」してしまった現在よりも強く、それぞれの個性というものを持っていたといえるのかもしれない。そしてその個性を、著者は、また独特の方法で描いてみせた。

 すなわち、女たちである。ここでも著者は、見聞録的な描写などはしなかった。港の女たちの描写をもって、それぞれの港を特徴づけたのだ。この「船乗り的視点」こそに、私は、この作品の『航海記』としての成功の第一の要因を見出したいし、さらには、この作品の「文学作品」としての成功もまた見出せるのだと思っている。船乗り相手の商売女。これ以上に、ある港の特色、あるいは性格というものの「文学的表現」にうってつけのものなど、容易には見出せないだろう。

 この10月に我々が失った作家とは、我が国には珍しい、文体そのものに滑稽味をもたせることのできる優れた文章家であったことを、私は今回の読書で再認識させられた気がする。良い機会、という言葉はあまり相応しいとはいえないが、これをきっかけとして、少し、この作家のものを読みなおしてみようか、という気持ちにさせられた。

 そして、遠くへの憧れも、また。

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