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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『日本の弓術』

日本の弓術 (岩波文庫)日本の弓術 (岩波文庫)
(1982/10/16)
オイゲン ヘリゲル

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日本人が失ったもの

 この本については、ずっと以前から、本屋で背表紙をみるたびに気にはなっていた。で、先日、待ち合わせの時間調整のためにちょっと本屋に立ち寄ったときに、「2011年岩波文庫フェア」なる帯をかけられて、岩波文庫の棚のところに平積みにされていたのをみて、ついに買うことにした。

 なぜ気になっていたのか、というと、私は実は、高校時代には弓道部に所属していたからだ。そしてなぜ気になっていたのに読んでみなかったのかとえば、弓道部に所属はしていたのだが、真面目に練習に参加していたのは最初の半年だけだったからだ。弓道、というと、生来の私の怠け癖の象徴であるような気がして、なんとなく、手を出しかねていたという訳だ。

 せめて高校に通っている間だけでも、なぜ弓道をちゃんとやってみなかったのか。顧問の先生が、私の高校一年生のときの学級担任で、私の不倶戴天の敵である「数学」の教師(しかも京大卒)であったことは、当時の出来の悪い高校生たる私にとっては、弓道を途中で投げ出す正当な理由のような気がした、ということも確かにある。だがしかし、当時の私には、結局、弓道というものに魅力を感じることができなかった、というのがその理由だろう。

 その後に抱くことになる弓道への興味を、当時の私に教えてやれたらなあ、と、今となってはそう思わずにいられない。ああ、どうしてちゃんと練習しなかったのだろう。そして今回、この『日本の弓術』を読んで、その後悔の念はますます強められることとなった。

 オイゲン・ヘリゲルというひとは、ドイツ人で、1924年から1929年まで、東北帝国大学に講師として招かれ、哲学とギリシア・ラテンの古典語を教えていた、と本書の「訳者後記」にはある。その五年間に、阿波研造というひとのもとで弓道を学び、そのことについて、帰国後の1936年にドイツ人のために講演をしたのだが、その原稿の翻訳が、本書ということになる。

 その冒頭から、著者は、弓道が競技であることを、少なくとも西洋のスポーツの意味では否定する。そしてあくまでも禅の修行の一手段として、弓道をとらえる。そしてそれをはっきりと西洋の「言葉(ロゴス)」と対立させる。

 弓道の弓というものは、誰でも矢を放てるものではない。ちゃんとやり方を学ばなければ、たぶん矢を射るどころか、矢をつがえずに弓だけを引くことすらできないだろう。しかしやり方さえ教えてもらったならば、実はその技術としてはそれほど難しいものではない。

 こういう書き方をすると誤解されそうだが、これは勿論、作法だとか、姿勢だとかは度外視しての話で、ただ矢を放ち、的に当てる、というだけのことならば、放課後に数日間練習すれば、普通の運動神経の持ち主ならば誰でもすぐにできるようになる。

 しかし、著者ヘリゲルが学んだのは、正に弓道という道を通る形での「禅」に他ならなかった。それは確かに著者のいうように、戦いのためという実用性から逃れられたが故に、精神的に純化されるに至った「禅の修行」であったのだ。だから、技術的体得には一週間もあれば充分なのに、著者が先生に「弓の正しい引き方」を体得したと認められ、矢を放つことを許されたのは、実に修行の開始から一年が過ぎた頃だった。

 だが、その「矢を放つ」という一事について、著者が経験した苦労は、その最初の一年の比ではなかった。引き絞り、狙いをつけ、頃合いよしとみて矢を放つヘリゲルに、先生は「無になれ」という。筆者は答える。

 「無になってしまわなければならないと言われるが、それではだれが射るのですか。」

 それに対する先生の返答。

 「あなたの代わりにだれが射るかが分かるようになったなら、あなたにはもう師匠がいらなくなる。経験してからでなければ理解のできないことを、言葉でどのように説明すべきであろうか。」

 禅の精神の核心に迫るこのような事柄に、合理的、思弁的な理解というものに慣れきったドイツ人であるヘリゲルが、五年という短期間に、よくも会得に至ることができたものだと感心させられる。しかし事実、彼は最終的には「五段の免状を授与」されて帰国するのだ。

 「弓と矢は、かならずしも弓と矢を必要としないある事の、いわば仮託に過ぎない。目的に至る道であって、目的そのものではない。」

 このような言葉は、弓道というものの精神への深い理解がない限り、発せられるものではないだろう。さらに彼はいう。

 「日本人は、自分でそれを説明できるかどうかは別として、禅の雰囲気、禅の精神の中で生活している。」

 彼は確かに、我々日本人の深層にさえ迫ったのだ。しかし我々は、彼が知ったのはあくまでも「当時の」日本人であることを、忘れてはならないだろう。我々、二十一世紀の日本人は、「禅の雰囲気、禅の精神」とはほど遠い世界で生活しているのだから。

 そうだ、もし私が高校時代に、あのまま弓道を真面目に続けていたとしても、やはり今私が興味を抱いているような「精神修養」としての弓道ではない、競技としての弓道をしか知ることはできなかっただろう。ドイツ人ヘリゲルは、我々現代人よりも、よほど当時の日本人に近いところにいたのだ。

 我々は一体、いつ、こんなにまで「散文的」になってしまったのだろうか。民族古来の精神性との、この救いようのない乖離は、一体いつから始まったのだろうか。かつて、西洋人と、極東の島国の住民たる日本人とが出会ったときに、あの「先進国」の人びとを驚かせた、我々の独自性、我々の気高い静謐は、どこへいってしまったのか。ヘリゲルの次の言葉に、私は、そのヒントを見出せるような気がする。曰く、

「無私の態度は、ヨーロッパ人の自己崇拝とは異なり、日本人の精神生活にとってみきわめのつかないほどいちじるしいものではあるが、これさえも一概に仏教の成果と見ることはできない。その根元は元来日本の民族精神のなかに求めるべきであり・・・
 (中略)
 この内面の光によって、死も、祖国のためにみずから進んで求める死でさえも、崇高な清祓を受け、同時にあらゆる恐怖は跡形もなく消え失せる。」


 現在、即ち2011年の今日と、ヘリゲルが日本を去った1929年との間に、大きな歴史的出来事が横たわる。他でもない、第二次世界大戦だ。やはりここが、我々日本人の大きな転機だったのだと、私は思う。

 「最良のものの誤用は、最悪だ」といったのはショウペンハウアだったか。ヘリゲルが弓道を通じて見出した、日本人の「無私の精神」というもの。この「最良のもの」を、「最悪」の形で「誤用」してしまったのが、我々にとっての第二次世界大戦だったのではないだろうか。

 当時の日本の指導者たちが、あの戦争を戦い抜くための合理的な手段なり、勝算なりをもっていたのか、それはわからない。しかし当時の民衆を戦争へと向かわせるために、その内なる「無私の精神」に訴える、という形をとったこと、それが問題だったのだと、私は思う。

 それは「大和魂」だとか、「特攻精神」だとか、「一億火の玉」だとか、「欲しがりません勝つまでは」だとか、そんな形で表現されるべきものでは本来なかったはずなのだ。それは例えば弓道が、「敵をたおすこと」ではなく、

「自分自身を的にし、かつその際おそらく自分自身を射中てるに至るような能力」

だという、正にそのようにあるべきものであったはずなのだ。

 しかしその「精神」を、国力、兵力で圧倒的に勝るアメリカと戦うための手段として使ってしまった。さらに不幸なことには、我々はその戦いに最終的に敗北してしまったのだ。それは本当は、単なる「戦力」の差によって喫した敗北であったのかもしれない。しかし当時の日本人はその敗北を、アメリカ的物質主義に対する「大和魂」の敗北だと、そう感じたのではないだろうか。

 そう考えるならば、現代の日本人、即ち戦後の日本人が、かつては外国人の眼にも明らかであったはずの、日本人のアイデンティティともいうべき古来の精神性を失ってしまったことの理由も、みえてはこないだろうか。

 そう、我々は西洋的物質主義の権化ともいうべきアメリカとの戦いに敗れることによって、自分たちの「精神性」を否定してしまったのだ。「精神論でアメリカに勝とうなんて、馬鹿なことをしたものだ」という訳だ。戦争の忌まわしい記憶や罪悪感もまた、それを助長したに違いない。「最良のもの」であったはずのものが、「誤用」され、「最悪のもの」として切り捨てられたのだ。

 しかし、元来「言葉(ロゴス)」ですらないものを、物質と対立させるということなどできるはずもなく、あの敗戦で否定されたものは、実際にはその「日本人の精神性」とは無関係な「何か」だったはずなのだ。その「何か」とは、やはり物質的な、「精神性」と較べるならばはるかにくだらない「何か」だったに違いない。

 だが今となっては、もう我々は「あの頃の日本人」に還ることはできない。できるとするならば、ヘリゲルのように、全く何もわからない「異邦人」として、いちからそれを学ぶことだけだ。くりかえすが、我々現代日本人は、ドイツ人ヘリゲルよりも、戦前の日本人から遠いところにいる。考えてみれば何とも皮肉な話だが、我々は、日本人がかつてしかと抱いていたものについて、弓道五段のドイツ人が書いたこの本から、多くを学ぶことができるのではないだろうか。

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