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スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『がむしゃら1500キロ』

がむしゃら1500キロ―わが青春の門出 (ちくま文庫)がむしゃら1500キロ―わが青春の門出 (ちくま文庫)
(1990/08)
浮谷 東次郎

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旅の新旧

 5月になると、北海道を思い出す。と、いうのは、私の住んでいる街の五月の気候が、朝晩や日中の気温といい、湿度の具合といい、真夏の北海道にとても良く似ている、と私には感じられるからだ。

 勿論、数値的な根拠がある訳でもなく、また、「北海道」といっても、あの広大な北海道のどの辺りのことなのか、函館なのか稚内なのか釧路なのか、自分でもはっきり、ここ、といえる訳でもなく、あくまでも感覚的な話なのだが。

 夏の北海道を、私はこれまでに3回、旅行した。3回とも、オートバイでのツーリングだった。最初は、1993年の八月初頭から、二十五日間ぐらい。バイクはスズキのGSX1100S(L)だった。二度目は、1997年の七月中旬から、二週間ほど。愛車はヤマハのSR500。そして三度目が、2005年の七月下旬から、八月の終わりまでひと月以上、愛車はスズキGSX1100S(BE)だった。

 どの旅も思い出深く、懐かしい。オートバイで長旅、ああ、何て素晴らしいんだろう。そこで、本棚からこの『がむしゃら1500キロ』などを取り出し、読み始める。ちょっとおセンチな読書、といったところか。

 これは、著者である浮谷東次郎が、1957年、中学三年生(!)のときに、千葉県の市川市から、クライドラーという50cc(!!)のバイクで、大阪まで行って帰ってきて、そのロングツーリングの記録を高校一年生(!!!)になってまとめたものだ。

 なんだか突っ込みどころが満載だが(!マークのあたりに)、それはまあ、時代の違い、ということにしておこう。浮谷というひとは、「悲劇のレーシングドライバー」として有名、らしい。私もよくは知らないが、とにかく、作家ではない。その著者が、高校一年生のときに書いたものだから、その文章に「文学的」水準を求めてはいけない。

 確かにその文章は拙い。しかしとにかく、まだ、1500kmぐらいの距離でも「がむしゃら」に走らなければならなかった時代に、中学生が50ccのバイクで必死に走った、その記録を楽しむつもりで読んだならば、そこにみられるひとりの若者の姿に、読者は何かを感じることができるはずだ。

 そう、まさに「がむしゃら」なのだ。まだ少年といってもよさそうな若者が、勢いと片意地だけで無茶をするような、そんな形でなければ、この旅は為し得なかったのではないか、と思われる。

 彼が旅した当時の国道一号線(彼は「東海道」と呼ぶ)は、現代のものとはまるで違っていたことが、この作品から知れる。何が違うといって、何と未舗装の区間が、まだまだあちこちにあったのだ。今となっては、どんな農道でもきっちり舗装してあるのが当り前だというのに、東名および名神高速道路のない時代、東京大阪間を結ぶ唯一の幹線道路だったはずの国道一号が、未舗装だったのだ。

 こんな道路では、もう現代の大型バイクでも走る気になれなさそうだが、その国道一号を、彼はクライドラーの50ccで走る。そのクライドラーについても、私はよく知らないが、本文中の紹介によると、

「ドイツのバイクモーターで、クライドラーといい、エンジンは2ストローク、五〇CC、ハードクロームシリンダー、二・五馬力、前輪特殊オレオフォーク、後輪固定、V型剛管フレーム、登坂能力四分の一・・・」

 と、ある。「その力、スピード、加速、安定性の素晴らしさは、全く驚異的」などとも、筆者は書いているが、ようするにこれは、現代の水準でいうならば、自転車にちっこい非力なエンジンを乗っけたぐらいの代物と考えた方がよさそうだ。

 「後輪固定」とは、つまりサスペンションがついていない、ということで、これは現代のマウンテンバイク(勿論、自転車)以下だ。そして「二・五馬力」とは、同じ50ccでも、今の4ストロークエンジンの「原チャリ」の3.8馬力と比較してもかなり非力で、ちょっと前の2ストロークエンジンの「原チャリ」の6馬力とか7馬力とかと比べてしまうと、もう話にもならないようなエンジンなのだ。

 しかも、すぐ壊れる。たかだか1500kmぐらいのツーリングで、何かトラブルが起こるようなバイクは、今の水準ではもう売り物にならないレベルだが、浮谷はこの旅の間に、何度もチェーン外れに悩まされている。しかし彼は、旅の終わりに「全然故障なし」などといっている。チェーンが外れるぐらいのことは、故障の内に入らないらしい。これもまた、時代の違い、ということか。

 と、まあこんな具合なので、「がむしゃら」にやっつける必要は確かにあったというべきだろう。私の最初の北海道ツーリングも、かなり衝動的で「やっつけ仕事」的で、勢いにまかせたものだったように自分では思っているが、浮谷と比べてしまうと、何だか申し訳ないほどにイージーだったようだ。

 東名高速道路から首都高速、そして東北自動車道と、一度も高速道路から降りずに青森まで約800km、そのまま走ることができたし、フェリーで函館に渡った後にも、最北端の宗谷岬まで、未舗装路を走ることなど一度もなかった。そしてそんな良好な道路を、1100cc、百十一馬力のエンジンを積んだ、最高速度は240km/hといわれるバイクで走ったのだから、もし浮谷だったならば、トヨタのクラウンか何かでドライブしたのと、ほとんどかわらなく感じられたことだろう。

 お金さえかければ、世界中どこへでも、旅行代理店がつれていってくれる現代にあっては、冒険だとか、挑戦だとかいう言葉に値する何かをなそうとするならば、もう命をかける覚悟が必要だ。その現代に生きる我々には、ただ東京から大阪までバイクで走るだけで、充分に「大したこと」だった浮谷の時代が、どこか羨ましく感じられないだろうか。こうして挑戦するに値すること、そして「書く」に値することが、すぐ身近な世界にまだまだあふれていたのだから。

 しかし彼の旅行記のなかに、私自身との意外な共通点があった。草津の手前あたりで、彼は、道路端に畳を敷き、スイカを売っている少女をみつける。その健気な姿に、彼は「ある悲しみを味わわされた」。

 「「自分はこうしてあそびまわっている。あの女の子が一心にスイカを売っているのに。」と自分が情けなくなってきたのである。」

 それは彼にとってとても印象深い、大きなできごとだったようで、彼は、この旅行記の最後にもまた、こんなことを書いている。

 「また、”生涯”という事についても感じた。スイカを売っていた小さな、幼い少女と、大きなずうたいをして、のらりくらりと旅をしている自分、焼き付けるような太陽に照り付けられながら働くお百姓さんや人夫さんと自分、ぼくは、自分をはずかしく思わずにはいられなかった。」

 浮谷はまだ中学生だった。お金を稼げる訳ではない彼は、バイクも旅費も何もかも、親に与えられていた。彼は「がむしゃら」な冒険旅行の途上にありながらそれを思い知り、自分を恥じたのだった。

 私もまた、北海道で似たようなことを感じたことがある。二度目の旅行のとき、つまり私がまだ二十代半ばだった頃、確か道東のどこかの小さな街だったと思うが、朝、パン屋の前で、あんぱんと牛乳の朝食をとっていると、店から出てきたいかにも農家のおかみサン然としたおばさんが、いきなり私に千円札を差し出した。

 あまりに突然のことで、私は思わずそれを受け取ってしまった。するとおばさんはこういった。

 「おばさんの息子もね、東京からお兄ちゃんみたいに、オートバイで帰ってきたんだあ、みんなに助けてもらってね。これ、おばさんの気持ち、気をつけてね。」

 おばさんはそのまま、軽自動車で走り去ってしまった。残された私は、呆気にとられながら、残りのあんぱんを平らげ、千円札を財布にしまい、バイクにまたがり、また牧草地のただ中を続く路を走り出した。

 北海道の景色の素晴らしさとは、つまりはあの広大な農地の素晴らしさだ。牧草地やじゃがいも畑、麦畑や蕎麦畑の美しさが、我々の眼を楽しませてくれているのだ。しかしそれは、何も観光用に景観を整えている訳ではない。そこは農業従事者による、自身の、そして家族の生活のための、命がけの骨折り仕事の場所なのだ。

 ポケットのなかの千円札もまた、そんな忍耐強い生活者が苦労して稼いだお金だった。私はそのことに、恥ずかしながらそのときはじめて思い至ったのだった。そして、なんだか涙が溢れ出て、止まらなくなってしまった。ヘルメットのなかで涙を流しながら、私はバイクを走らせた。

 私の場合は、勿論バイクも旅費も、自分で稼いで用意したものだった。だからその点に関しては、浮谷のような後ろめたさは感じなかったのだが、生活者たちの仕事場のすぐ脇を、勝手気ままにバイクを乗り回して遊んでいることに違いはなかった。私は何だかそうした自分の無神経が、申し訳なくてならなかった。あの優しいおばさんや、おばさんと同じように働く人たちに対して、申し訳なくてならなかったのだ。

 この作品は、前述の通り、中学三年生の経験を、高校一年生がまとめた旅行記だ。だから文章の完成度に「文学的水準」を求めることはできない。しかしそこに語られていることまでもが、それによって「文学的価値」をもち得ないのか、といえば、そんなことは全くない。

 それどころか、若者が初めて広い世間に触れ、そこで何かを感じ取る、あの誰もが経験する新鮮な期待や苦悩に充ちた若々しい日々の、あるひとつの形として、時代を超えた「青春文学」と呼ばれるべき充実を、この作品は充分にもっているというべきだろう。

 浮谷東次郎は、「悲劇のレーシングドライバー」だという。鈴鹿サーキットでの練習走行中の事故で亡くなったとき、彼は23歳だった。それはもしかしたら、「夭折の天才作家」を、我々が失ったときでもあったのかもしれない。

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