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『ヒュペーリオン ギリシアの隠者』

ヒュペーリオン ギリシアの隠者 (ちくま文庫)ヒュペーリオン ギリシアの隠者 (ちくま文庫)
(2010/07/07)
ヘルダーリン

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棺桶に入れてほしい本

 実はこの本、まだ読み終えていない。しかし、私はこの「作品」の内容については、よく知っているつもりだ。なぜなら、岩波文庫版の渡辺格司訳『ヒュペーリオン 希臘の世捨人』を、私は久しく愛読書としているからだ。

 その岩波文庫版、帯に、「岩波文庫創刊70周年 記念復刊 1997年 春」と書かれている。もう14年も前に買ったものだ。第一刷発行は、なんと1936年だ。よって漢字は皆旧字体だし、仮名遣いも旧体だし、文体もやはり古めかしいもので、読むのに少しばかり骨が折れる。しかし私はこれを愛読書として事ある毎に幾度となく読み返してきたので、そんな読み辛さにさえも愛着を憶える。

 なぜ私はこの本がこんなにも好きなのか。自分でもわからない。私は意識的に、その「なぜ」を考えることをしないでいる。そればかりではない、この物語の思想的背景だとか、物語の構成だとか、そんなものも考えないことにしている。作者であるヘルダーリンが、その序文でいう。

 「然し是を解説書として讀み餘りに寓意を氣にかけ過ぎる人は無いか、一方には餘りに輕々に附す人もありはしないかと恐れる。それでは何れも本書を理解しているのではない。」

 いや、わざわざ彼の言葉に従った訳ではないのだけれど、本来文学作品というものは、よく味わって読むべきものであって、研究するものでも、暇つぶしに読み飛ばすものでもないはずのものなのだ。

 しかしなかなかそうもいかないのが実情で、途中で集中力が途切れて惰性で読んでしまったり、この作家はこういう経歴でこういう傾向があるからとかなんとか、物語とは無関係なことばかり気になったりなどして、その一冊を純粋に楽しみ、心地よい読後感だけを残して最後のページを閉じる、などどいうことはごく稀にしかない。

 だが、この『ヒュペーリオン』を最初に読んだときが、まさしくその「ごく稀な」読書だったのだ。しかも、それまでに読んだどの本よりも面白かった。いや、面白かった、というのは少し違う。心に適った、としたほうがぴったりくる。ようするに惚れ込んでしまったのだ。

 それ以来、私は意図的に、この本について「よく考えてみる」ことをしないでいる。ただ、読むだけだ。このヘルダーリンという詩人、知れば知るほど興味をそそられる、そんな類いの人物で、作中のディオティーマのモデルとなったズゼッテとの恋のことなど、詳しく調べ、そこから生まれた詩編などを、この『ヒュペーリオン』と比較してみたりなどしたならばとても面白そうなのだが、そこはぐっと我慢、なのだ。

 そのおかげで、いまだにこの本を読むたびに、最初のときと同じか、それ以上の感動を味わうことができる。ニーチェやハイデガーに絶賛されたこの詩人が残した、唯一の散文小説、といわれれば、その実存主義的な文脈からのアプローチ、などにも誘惑されそうになるが、しかし、この本から与えてもらえる楽しみは、私にとっては、そんな哲学の素人研究の喜びなどとは、比べようもないものなのだ。

 私はこの本を、このままずっと、「文学少年」の立場から楽しもうと思っている。書評も何もしたくない。だから、このブログでも取り上げないつもりでいた。しかし先日、本屋でこのちくま文庫版の新訳をみつけた。手に入りやすい、そして読みやすい版が出たことは喜ばしいことなので、皆様にご紹介、のつもりで、今回はこれを選んでみた。

 書簡体小説という形式をとり、ギリシアのある夢破れた青年の回想を追う形で、物語は進む。この詩人に特徴的な汎神論的な世界観が、詩的情感のあふれた筆致で綴られる。古代という、あの人類の青春期に、叡智においても美においても、まさに世界の頂点にあったギリシア、しかしその後没落の路を歩み続け、ついに現代に至り、破産国家として世界の危機の震源となるにまで落ちぶれてしまったギリシアを想うと、この主人公の悲哀の一端を知るような気がする。

 そして・・・いや、やはり詳しくは語るべきではないだろう。大体こういう物語は、あらすじなどを知ったところで、別にあっと驚くドンデンガエシがあるわけでもなく、どうということもないし、表現は全編これ詩、とでもいうべきで、もう私がたどたどしい言葉で云々しても、邪魔にしかならないのだから。

 とにかく、もし、棺桶のなかに一冊だけ持ち込んでよし、といわれるならば、私はこの『ヒュペーリオン』を選ぶだろう(『ドゥイノの悲歌』も捨てがたいけれど)。そしてこれを読むたびに思うこと。「ドイツ語で書かれたもっとも美しい散文」といわれるこの物語を、原文で読みこなせるような語学力が、自分にあったらなあ、ということ。若い頃から、勉強しておけばよかった。

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