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『奴隷の国家』

奴隷の国家奴隷の国家
(2000/09)
ヒレア ベロック

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資本主義を疑う方法 

 原著の発行は1912年というから、ちょうど百年前だ。この訳本が出版されたのが2000年である。私がこれを最初に読んだのがいつだったのか、全く憶えていないが、手元にある本は初版本なので、まあ、だいたい十年前ぐらいのことだったのだろう。

 訳者によれば、「英語圏ではJ・S・ミルの『自由論』に匹敵する自由論の名著と評価されている」らしいが、浅学なる私はこのベロックという人も、訳者の関氏についてもよく知らない。よって、どういう立場の人がどういう立場で評価してしているのかよくわからないので、自分で読んで判断する他はない。

 『奴隷の国家』とは、センセーショナルな書名だ。何やら過激な反体制思想の本かと思ってしまう方もおられよう。かくいう私も、この書名に惹かれて買い、読んでみて「おや」と思った。つまりは期待はずれだったということだ。

 しかしそれは、私の期待のほうが的外れだっただけの話だ。「奴隷」という語について、我々が一般的に抱いているイメージが、その「過激な反体制思想」みたいなものへの期待を生んでしまうのだろう。

 奴隷、というと、何だかむち打たれながら重労働をさせられ、どこかの牢屋みたいなところで貧しい食事を与えられ、死んだなら死んだでしょうがない、家畜以下の扱いを受けているような、そんなイメージがあるが、考えてみると、これは可笑しいほどに滑稽な先入観だ。

 古来、奴隷とはその主人の財産なのであり、きわめて有用な生産手段であり、大切にしなくてはならなかったものなのだ。勿論その「大切に」というものは、いわゆる「基本的人権の尊重」というものとは違うのだけれど。ただ奴隷制社会は、アウシュビッツとは根本的に違うものだ、ということはしっかりと認識しておくべきだろう。

 このあたりの用語については、筆者が冒頭部分でちゃんと定義してくれているので、我々読者としては、先入観をまず捨てて、自分勝手で的外れな期待などせずに読み始めればよい。そうすれば、この本がきわめて興味深い内容をもっていることに、すぐ気がつくだろう。

 ただ、先入観を捨てなければならないのは、奴隷についてだけではない。資本主義というものについても、我々はまず考え方をリセットすべきだろう。なぜならば、我々は、あまりにも無批判に、資本主義経済社会というものを受け入れてしまうことに慣れすぎているからだ。

 東西冷戦の記憶とその結末が、我々のその姿勢を増長していることは確かだろう。しかし訳者が序文で指摘している通り、第二次世界大戦後の歴史は、社会主義、あるいは共産主義の実現の不可能性は証明しているかもしれないが、決して資本主義の勝利を決定づけてはいないし、資本主義の正当性の証明などはさらにしていない。ソ連や東ドイツやは、ほとんど勝手につぶれたのであって、アメリカだのNATOだのに「敗北」した訳では全然ないからだ。

 筆者ベロックは、この著書のなかで、資本主義を否定的にとらえている。だからといって彼は社会主義者では全くない。かつて世界を二分したふたつのイデオロギーの、そのどちらでもない立場から、彼は、現在の世界を支配するひとつのイデオロギーを否定するのだ。

 資本主義か社会主義か、そのどちらかをしか知らないような人間が大量発生してしまったこと、そしてさらに社会主義の崩壊によって、その人間たちが、もう選択肢はひとつしかないのだと思い込んでしまったこと、これこそはもしかしたら、核兵器以上に危険な、冷戦時代の「負の遺産」というべきなのかもしれない。

 大切なのは、資本主義というこの絶対的支配的イデオロギーを、まず疑ってみる、という姿勢だろう。その姿勢を学ぶだけのためにでも、この本を読む価値はあると思う。

 ベロックは、資本主義はほおっておけば必然的に、たとえ社会主義へと舵をきりなおしてもなお、労働者を奴隷化する社会へと向かう、と主張する。それについては実際この本を読んでいただくのが一番だと思うし、その主張自体もまた、批判的に読まれるべきものなのだから、これ以上ここで私はとやかくいわない。

 ただ、資本主義というものが現実的にもつ危険性について、我々はもっと考えるべきなのだろう。原理主義的資本主義ともいえるような、いわゆる新自由主義によって、資本主義の暗黒面が浮き彫りになった。その間隙をついて、中国が台頭し、ついに我が国を抜いてGDP世界第二位の経済大国になった。

 日本の国際的地位の低下を危険視するのも大切かもしれない。しかし私は、中国の成功が、中国の方法を正当化してしまうことのほうがその何倍も危険だと思う。かつて日本は、アメリカの方法を真似してアメリカと同じような社会問題を抱え込んだ。同じように、このまま中国が世界を席巻し、各国が中国の真似をはじめたなら、現在の中国が抱える問題は世界の問題になるだろう。

 そんな馬鹿なことは起こり得ないと、いいきれるだろうか。我々の国は民主主義国であり、中国のように民衆を抑圧する形で、経済成長を無節操なまでに最優先し、押し進めることなどあり得ないと、本当にいいきれるだろうか。資本主義はすでに格差社会という形で、絶対多数の「持たざる者」を経済的に抑圧していないだろうか。そして不景気の長期化による政府の財政難は、大企業の政治的発言権を強め続けてはいないだろうか。 

 それはもしかしたら、ベロックの予言するような「奴隷の国家」とは違う形なのかもしれない。しかしこうした経済の問題は、結局自由の問題に行き着くのだ。奴隷とは何たるかを知ることは、つまり自由とは何なのかを知ることにもなるのだ。

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