乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

『ウィンザーチェア大全』


  歴史の小道具


winn.jpg

『ウィンザーチェア大全』 島崎信・山永耕平・西川栄明著
 誠文堂新光社 ISBN978-4-416-61307-8

 
 はい、調子にのってまた本を買ってしまいました。ようやく引越しを終えて、家財道具を増やすことよりも片付けることを優先し、ただでさえ少なかった貯金が限りなくゼロに近づきつつあるなかで、お金を使うことも極力控えるべきこの時期に、またしても訳のわからぬ買い物をしてしまった私に、我が心優しき妻もさすがに不機嫌を通り越して呆れ顔のご様子。

 しかし、アンティークチェアを最初にほしがったのは君じゃないかと開きなおるぐうたら亭主は、新居についてまだまだ検討して決めていかなければならない細かいことだとか手続きだとかが山ほどあるというのに、休日の昼間から寝っ転がってこの4500円もするでっかい本をニタニタしながら眺めているのである。

 その名の通り、一冊まるまるウィンザーチェアについて書かれた非常にマニアックな本である。先日、アンティークショップで、お店の方にいろいろとイギリスの古い椅子についてお話を伺ってから、何だか急に椅子について強い興味を抱いてしまったことについては少し前の記事に書いたが、中でもこのウィンザーチェアというものに、現在私、夢中なのである。




win4_convert_20180707223705.jpeg

 先日購入した四脚のアンティークチェアのうち、この二脚がウィンザーチェアと呼ばれるものになる。ピンクの方が娘のもの、黒いのが私の椅子である。一見、まるで違う椅子のようであるが、この二脚には共通点があり、その共通点が、ウィンザーチェアと呼ばれる椅子の特徴をなす、と考えてよさそうである。

 先日取り上げた鍵和田務著『椅子のフォークロア』においては、ウィンザーチェアを、アイバン・スパークなる研究家の言を引用する形で、

 「厚い木製の座板を基盤として、椅子の脚・貫・背棒などすべての部材が、直接座板に接合された椅子である」

 と、説明している。これだけでも、実際にウィンザーチェアをみてみれば、なるほどと理解できる。




win5_convert_20180707223721.jpeg

win6_convert_20180707223741.jpeg

 つまり、こういうことであるが、本書『ウィンザーチェア大全』においては、その冒頭で、「ウィンザーチェアとは何か」という表題の元に箇条書きにしてそれを説明しており、さらに我々の理解を容易にしてくれている。曰く、


 ウィンザーチェアとは
 17世紀後半頃にイギリスで生まれた木製椅子

 [起源]
 古くからイギリス各地でろくろ職人や農民などによって造られてきた、ヴァナキュラーチェア(その地方特有の椅子)などのカントリーチェア。

 [基本構造]
 尻形の窪みをつけた分厚い木製の座板に、挽き物(主に旋盤加工された部材)の脚や背棒などが直接差し込まれた椅子。
 →背には笠木や背棒などが取り付けられる。
 →肘置きが設置されることもある。
 →補強のために、脚がには貫が施されることが多い。

 [種類]
 コムバックタイプ(櫛型)とボウバックタイプ(弓形)の2種類が基本形。
 →この2つの形を基に、時代や地域によって様々なタイプの椅子へと派生していく。



 すなわちウィンザーチェアとは、誰か名のある家具デザイナーが生み出したものではなく、地方の職人がそれぞれに作っていた椅子が、次第にその形を成をなす形で生まれたものである。

 なので、一見細い背棒などの印象から細密な造りがなされているかのようなのだが、実はその構造は実に単純で、ようするに板に穴をあけて、そこに脚だの背もたれだのになる木の棒を差し込んだだけの造りなので、ネジや釘などの金具は基本的には使用されておらず、部品数も少なくて木材の使用量もとても少ない。私が惹かれたのは、道具としての完成度の高さと、この素朴さとの絶妙なコントラスト、なのかもしれない。

 いずれにせよ、こういう本はその読後感想なんかを書き連ねてもつまらないし、実際の椅子を眺めてみるのが一番なので、以下、私の椅子をみてみようと思う。




win1_convert_20180707223624.jpg
 
 形としては、「スクロール・バック(scroll-back)」と呼ばれるものになる。上記「分厚い木製の座板に云々」という、ウィンザーチェアの「定義」から外れるものではない。が、「スティック」などと呼ばれる細い棒を何本も立てて背もたれを形作る、上掲のピンク色の椅子のような「ボウ・バック」タイプの物と比するならば、どちらかというとこの「スクロール・バック」タイプは、変わり種的な形だとはいえるかもしれない(引用文にでてきた「コム・バック」も、基本的にはスティックによって背もたれを形作る)。ただ、決して希少なタイプだ、という訳でもないが。

 このタイプが登場したのは 19世紀に入ってからで、イギリスの産業革命最盛期とその時期が重なる。ウィンザーチェアの生産も、職人の仕事場での手仕事から工場での大量生産に移行し、工業製品としての性格を強めていくなかで生まれたこの「スクロール・バック』タイプは、従来品よりもデザインが「簡略化」されたものだ、と見ることは可能かもしれない。この私の椅子自体は、1890年代から1900年代ぐらいのものだという。




win2_convert_20180707223604.jpeg

 「スクロール・バック」という呼び名の由来となった、背柱の先端の形状。




win3_convert_20180707223649.jpeg

 笠木。かなり年季がはいっている部分。




win11_convert_20180707224518.jpeg

 このセンターステイの形状も特徴的。ベルトのバックルをモチーフにしているという。




win7_convert_20180707223755.jpeg

 背柱は、ゆるやかなS字にカーブしている。この曲線が、座り心地の向上にかなり貢献している。




win8_convert_20180707223809.jpg

 座板。これまたかなり年季がはいってます。座面はあまり面積がない。この「スクロールバック・チェア」、元々は婦人用の椅子として生まれたらしいが、座面が小振りなのはそのあたりに理由があるのかもしれない。




win9_convert_20180707223837.jpg

 座板裏側。背柱が座面を貫通している。制作過程において、背柱は長めに作り、座板から下にとび出した分については削り取るという手順をとっているようであるが、座板のほうまで削ってしまってある一方、削り取るべき背柱のあまりが少し残っている。キレイに仕上げようという意思は、どうやら当時の職人には稀薄だったようである。




win10_convert_20180707223852.jpeg

 脚、各部。七本の挽き物の組み合わせである。今、手づくりの挽き物でこんな椅子を作ればけっこうなお値段になるのだろうが、当時はきっと、ろくろ作業で量産できる挽き物は、手っ取り早くてありふれた材料だったのだろう。そういえば、この挽き物の形にも時代によって流行があるとかで、ここをみても作られた時代がわかるんだ、というよなことをアンティークショップの方が言っていた気がするが……もっとちゃんと聞いとけばよかった。

 全体に、後世の工業機械によるライン生産品とは、根本において違ったものであることは、私のような素人にも感じ取れるものがある。ハイウィッカム、という街で多く作られたことから、ウィッカムチェア、などとも呼ばれるというこの椅子、その百年をこえる半生のなかで、一体幾人の人間たちのお尻を支えてきたのか。城跡や宿場跡と同じく、これもまた、小さくはあれど「史跡」のひとつといい得るのかもしれない。

 いや、私としては敢えて「生き証人」とでも呼びたい思いだ。それだけの慕わしさを、この古い小さな椅子は確かに持っている。教科書に載るような歴史上の有名人物ではない、当たり前の庶民たちの暮らしこそが、人類史というものの年表のほとんど全てを埋め尽くすような、当たり前の姿だとみるならば、こうしたつまらない椅子のようなものこそは、その当たり前の姿そのものといえるのだからだ。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村

スポンサーサイト

PageTop

沼津御用邸記念公園見学 後編


 沼津御用邸記念公園見学 後編

 
 前回、「西附属邸」の全体を観てきたが、いよいよ、その中枢部ともいうべき場所をみてみましょう。



IMG_2488_convert_20180630080101.jpg

 まずは。「御座所」。リビングルームである。




IMG_2492_convert_20180630080129.jpg

 別角度から。




IMG_2465_convert_20180630075511.jpg

 こちらは「御食堂」。




IMG_2474_convert_20180630075622.jpg

 背もたれの菊の御紋がはっきりと、ここに座るべきお方がいかなるお方であるのか、そして他者は決して座ることを許されないのだ、ということを物語っている。




IMG_2466_convert_20180630075534.jpg

 そして、「謁見所」。この部屋の厳かさは圧巻である。ここは皇室のご静養のための施設であり、よってこの部屋も正式な御公務の場ではないのだけれど、それでも立ち入り難い雰囲気に満ちている。




IMG_2467_convert_20180630075557.jpg

 その雰囲気を醸成するのは、何よりも、この玉座であろう。別の場所にあったこの椅子についての解説文によると、


 馬蹄形の背もたれで、肘かけと挽物を使った直脚がついている完全な洋風のクラシック(ヴィクトリアン)様式であるのに対して、造りは全くの和風の伝統技法を用いている。


 のだそうで、木部はケヤキ材に梨子地漆仕上げをし、「金の高蒔絵で菊紋80個あまりを散らし、背枠の上中央と両端には御紋章を埋め込んでいる」という。座面や背もたれに張られているのは「濃紫色の西陣織」。制作されたのは明治十一年ごろで、今なお、「歌会始などの主な行事のときには、天皇皇后両陛下がお使いになっています」とのこと。すなわち、現役の玉座なのである。

 以前、『椅子のフォークロア』という本について記事にした(こちら。「椅子のフォークロア」」。その本に、椅子というものは、「座る」という生活上の利便ではなく、そこに座る者の地位や役割などを示す象徴的なものとしてまず生まれたのだ、とあった。そうした意味では、この椅子は椅子というものの最も原初的な姿というか、本来あるべき機能を最も端的にあらわしている、といえよう。

 明治二十六年七月の、当時の皇太子殿下(後の大正天皇)の最初の行啓を端緒に、沼津御用邸には多くの皇室の方々が滞在した。ことに昭和天皇は幼少の砌より長期滞在が多く、歴代の陛下のなかではもっともそのご利用日数が多い。地元の同年輩の子供と相撲を取ったりなどということもあったようだ。

 しかし第二次世界大戦下の昭和二十年七月、沼津大空襲によって本邸は消失する。戦後になっても本邸が再建されることはなく、西附属邸が本邸の役割を引き継いだ。そして昭和四十四年十二月六日に沼津御用邸は廃止、翌年に「沼津御用邸記念公園」となり、現在に至る。

 さて、沼津御用邸公園の見学は、このあたりでおしまいとしましょう。ではまた。

にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村

PageTop

沼津御用邸記念公園見学 前編


 沼津御用邸記念公園見学 前編


 マイホーム新築に伴う諸手続きだの引越しのごたごたによる多忙だの何だので、相変わらずのネタ切れ状態に加え、新居のインターネット接続の工事までが諸事情によって大幅に遅れ、休日はガラクタの片付けだの買い物だのに追われてちっともブログの更新ができない状況のなか、何とか記事をでっちあげるために、なんと、ゴールデンウィークの出来事などという古いネタを、恥知らずにも引っ張りだしてみることにしました。もうね、お金はどんどん失われていくし、ナリフリなんてかまっていられません(笑)

 今年のゴールデンウィークは、ちょいと家族で一泊旅行などに出掛けた。静岡市の自宅から、まずは箱根峠の西側にある、歩いて渡る吊り橋としては日本一長い(400m)という「三島スカイウォーク」に行き、箱根峠経由で熱海へ降りて海辺で遊んでまた南下し、網代の民宿に宿泊、翌朝に伊豆半島の付け根を横断する形で「伊豆三津シーパラダイス」に行ってイルカのショーなんかを観て帰ってきた。旅行というのも気が引けるような、所謂「安近短」のドライブである。

 天気もよく、混雑も思ったより大したことがなかった。




IMG_2262_convert_20180630074730.jpg

 「三島スカイウォーク」と、




IMG_2260_convert_20180630074705.jpg

 そこからの富士山の眺め。霞みやすい春に、これほどキレイに富士山が見えることは珍しい。前日までの嵐のような悪天候が幸いしたか。




IMG_2275_convert_20180630074754.jpg

 こちらは熱海の海岸。




IMG_2361_convert_20180630074816.jpg

 シーパラダイスのイルカの曲芸。

 最後、ちょっと時間に余裕があったので、どこかもうひとつ寄ろうか、ということで、帰路の国道414 号線沿いにある、「沼津御用邸記念公園」を観てきた、という次第である。




goyokai1_convert_20180630094206.png

 場所はこのあたり。




IMG_2417_convert_20180630081248.jpg

 公園入り口。




IMG_2544_convert_20180630081336.jpg

 その脇の案内看板。かなりの広さがある。正確にはわからないが、横幅で800mぐらいはありそうである。図の左から、「東附属邸」、「本邸跡』」、「西附属邸」のみっつのエリアに分けられる。「東附属邸」は、現在も文化施設として使用されているそうで、この日は何かに使っているとうことで見学はできなかった。「本邸」は、残念ながら戦災によって失われている。よって今回は、「西付属邸」のみを観てきた。「本邸跡」には歴史資料館などもあったのであるが、子供等が飽きてしまったので、寄って来れなかった。残念。




IMG_2540_convert_20180630084129.jpg

 「西附属邸」玄関。ここから入る訳だが、その前に、以下沼津市の公式webサイト等を参考に、歴史的背景などを。

 「沼津御用邸」は、当時は皇太子であった大正天皇の御静養地として造営された。「本邸」造営開始は明治二十五年(1893年)末、竣工は翌二十六年の七月である。それ以前からこの辺りは明治政府高官等の別荘地であったことと、明治二十二年の東海道線開通によって東京の皇居からの連絡が良くなったことが、この地が選定された理由のようである。この「本邸」はその後増築を繰り返され、最終的には、附属建築物を含む建築面積が約5000平米の壮麗な御殿として、明治三十三年ごろほぼ完成されたという。

 「東附属邸」は明治三十六年、赤坂離宮東宮大夫官舎を移築する形で、皇孫殿下(すなわち後の昭和天皇)の御学問所として造営された。さらに明治三十八年には、本邸西側にあった川村純義伯爵の別荘が買い上げられ、こちらもまた皇孫殿下の御用邸とされた。この建物の建築時期は自体は明治二十三年ごろとされる。これに増築を施して大正十一年に完成、今現在に観られる形となったのが、「西御用邸」である。

 それでは、建物を見学していきましょう。




IMG_2429_convert_20180630074902.jpg

IMG_2433_convert_20180630075012.jpg

IMG_2443_convert_20180630075209.jpg

IMG_2456_convert_20180630075318.jpg

IMG_2460_convert_20180630075346.jpg

IMG_2463_convert_20180630075436.jpg
 
IMG_2483_convert_20180630075854.jpg

IMG_2484_convert_20180630075938.jpg

IMG_2504_convert_20180630080222.jpg

IMG_2529_convert_20180630080621.jpg

IMG_2538_convert_20180630080650.jpg

 まずは、外観。増築が繰り返されたためか、かなり複雑な形。




IMG_2431_convert_20180630074926.jpg

IMG_2435_convert_20180630075038.jpg

IMG_2461_convert_20180630075412.jpg

IMG_2481_convert_20180630075741.jpg

IMG_2482_convert_20180630075826.jpg

IMG_2524_convert_20180630080455.jpg

 内部の様子、様々。全体に、それほど「豪華絢爛」な印象は受けない。しかし、実に上品である。




IMG_2494_convert_20180630091221.jpg

 ここなどは天皇陛下の御寝室なのであるが、襖に柄ひとつある訳でもない。ただ、静謐だけが部屋を満たし、そしてそれだけが至上の装飾となっているようだ。
 



IMG_2428_convert_20180630074838.jpg

IMG_2432_convert_20180630074950.jpg

IMG_2446_convert_20180630075234.jpg

IMG_2436_convert_20180630075103.jpg

IMG_2437_convert_20180630075125.jpg

IMG_2449_convert_20180630075253.jpg

IMG_2476_convert_20180630075649.jpg

IMG_2485_convert_20180630080005.jpg

IMG_2507_convert_20180630080327.jpg

IMG_2517_convert_20180630080353.jpg

IMG_2523_convert_20180630080430.jpg

 細部。これも、華美な装飾とは無縁である。ただ無論、これらは当時の最新設備、であろう。少なくとも、一般家庭に見られるようなものではなかったはずだ。




IMG_2480_convert_20180630075716.jpg

 これは空調のスイッチだろうか。「MADE IN U.S.A」の文字。こうしたものは、当時は全て外国製だったのだろう。則ち、超高級品だったということだ。

 


IMG_2438_convert_20180630075145.jpg

 扇風機に、ストーブ。「電気ストーブ」などというものは、きっと庶民には何のことやらわからなかっただろう。

 というところで、後半に続く。


にほんブログ村 歴史ブログへ
にほんブログ村
にほんブログ村 バイクブログ カブ系へ
にほんブログ村

PageTop

せっかくなので、書棚も


 せっかくなので、書棚も


 自宅を新築するに際して、大型の書棚をつくってもらった。書斎みたいな部屋があればよいのだが、そんな贅沢ができるほどの余裕などあるはずもなく、かといってこれまで使っていた本棚をどこかへ置くとなるともう、寝室しかない状態なのだが、やはり、寝室に背の高い本棚を置くのは地震による転倒が怖い。ということで、二階の廊下をちょっと広めにしてもらって、そこに最初から作り付けてもらうのが最良、ということになったのだ。

 


tana1_convert_20180630072100.jpg
 
 じゃーん。本邦初公開、私の書棚である。




tana2_convert_20180630072128.jpg

 別角度から。




tana3_convert_20180630072149.jpg

 一体何冊あるのかわからないが、何とか、ぎりぎり収まった。しかし、今後また本が増えたらどうしよう? さらにいうなら、実は私の蔵書は、文庫本がやたらに多いのである。その文庫本の山は、未だ段ボール箱につめられたまま、クローゼットに押し込んであるのだが、それを収める場所が現状ではどこにもないのである。どうやら、本棚をさらに追加で作らなければならないようだ。まだまだ、新生活は落ち着きを得られないということか……。

PageTop

ダイニングテーブルお披露目


 ダイニングテーブルお披露目


 え、長らく更新せぬままごぶさたしておりました。ここ数ヶ月、家のことと引越しのことに関わる何やらかにやらに忙殺され、さらにはまたしても新居へのインターネット接続工事が諸事情で遅れ、ブログの更新もままならなず、なんと、4月21日の記事を最後にこの過疎ブログを放置、という状態が続いておりましたが、ようやく、環境が整いました。

 しかし、ブログ記事になりそうなネタなどまるでない。カブで史跡めぐりもしていなければ、本も読んでいない。そこで、以前アンティークチェアを買ったときにちらっと書いた、ダイニングテーブルについてちょっと書いてみることにした。




dai1_convert_20180629201403.jpg

こちらが、そのアンティークのダイニングテーブルである。1930年代の英国製、素材はオーク材である。




dai3_convert_20180629201302.jpg

 脚はこんな感じ。例のアンティークチェアが並んでます。




dai2_convert_20180629201423.jpg

 天板。オーク材は木目がキレイ。




dai4_convert_20180629201448.jpg

 こんな感じ。

 この、じゅうななまんえんという、私のような貧乏人にとってはとんでもなく高価なテーブルが、今なお我が家では最も高価な家具である。たぶんこの先、これより高価な家具を買うことはないはずである。もう、他はどうなろうとも、このテーブルだけは大事にしなければならない、いわば家宝なのである。

 ということで、だんだん落ち着いてきたところで、そろそろ、史跡めぐりにもでかけようと思っている。以前のようにほそぼそと更新を続けていくつもりですので、ひとつ、よろしくおねがいします。

PageTop