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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

身延街道・由比筋 その3


 身延街道・由比筋 
 その3 峠から由比





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 「芭蕉天神宮」参道入り口前から、また先へ走り出す。道は尾根道のようで、なだらかに林間を進む。




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 参道入り口からほどなくして、右手に看板が。「久我大納言石入り口」とある。なんだかわからないが、40mか。まあ、行ってみよう。




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 針葉樹の枯れ葉が降り積もった道は、ふわふわとした踏み心地。




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 これが、「久我大納言石」。石に刻まれた説明文を転載。


  久我大納言石のいわれ

 御醍醐天皇(原文ママ)(一三一八 一三三八)は富士浅間神社を信仰し
 奉幣勅使として久我大納言をつかわした
 大納言は参詣をすませて乗馬で由比へぬける途中大晦日
 の里に着いたとき急に疝痛を患い遂に亡くなられた
 時建武元年村人は遺言を守り遺体の埋葬をした土地に
 天神宮を祀り約六百五十年経過した この石は当時の街
 道沿いにあり馬上より下された横たえられた石
 といわれ石を股いで通ると罰があたり合掌してお参り
 すれば御利益があるといわれてきた

 
 なるほど。もしかしたら、この小道が旧街道だった可能性もありそうだ。無論、石のほうを移動したのかもしれないが。




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 カブ110にもどってさらに先へ。




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 上り坂が終わった。この先はずっと下り坂だったので、ここが峠だろう。




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 下る。




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 右手に、稲荷神社。由来を転載。


  稲荷山縁起由来
 
 今を去ること約三百年前に、佐野家の先祖が駿河の国に
 土着し、劔を捨ててこの地を開発した。
 ある時、夢枕に白狐が現れ、我を祀れば子孫代々を
 守護するとの言葉を残して立ち消えたり
 その場所に行き見れば、子牛程の見目形のうるわしい白
 狐が死んで居り、そこに「ほこら」(社祠)を建て、その
 霊をまつり地名を稲荷山と呼ぶようになれり
 (後略)


 この「佐野家」というお宅についてはわからないが、周囲には立派な墓地が幾つもあり、その全てが「佐野家」のものだった。きっと、このあたりの名家なのだろう。




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 しばらくすると、分岐が。わかりにくいが、左側の坂道が、走ってきた道。右の少々荒れ気味の下り坂が、進むべき道。




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 分岐から100mぐらいで、右手に「鬼子母神社」。詳細不明。




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 下り坂はかなり急になってくる。




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 そして、道は荒れてくる。




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 だんだん不安に。由比の方から登るのはちょっと大変そう。




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 さらに進むと、




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 急に視界が開けて、民家が見えた。




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 ここで、県道76号線と合流。峠から、2、3kmというところか。この県道は、由比川沿いを海まで続いている道。ようやく、山越えの道は終了である。




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 県道を南下。快適、快適。




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 由比川の流れがみえてきた。




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 東海道新幹線をくぐる。




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 「入山入口」の信号機。ここが、旧国道1号線である県道396号線との交差点である。ここも直進。




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 やがて丁字路に突き当たる。




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 この道が旧東海道であり、この周囲が旧由比宿。つまり、ここが身延街道「由比筋」の南の起点である。さあ、ようやくゴールにつきました。




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 「由比本陣公園」前。ここで、今回の街道巡りはおしまい、である。時間は、11時。「岩淵筋」の起点を出発したのが6時半頃だったので、4時間半も走ってしまった。

 「由比筋」の古道を走り終えての印象としては、思ったよりも道がしっかりしていたな、というものだ。ほとんど下調べをしなかった、というよりは、以前しらべてはみたもののほとんど情報が得られないままに、当てずっぽうで走ったので、途中で道がなくなってしまうことも覚悟していたのだが。

 それは多分、「興津筋」や「岩淵筋」のように、現道というしてのりっぱな県道が通されることがなかったので、古来の道がずっと使用されて廃道化を免れた、ということ、そして、峠に立派で由緒ある神社があり、参拝者の通行があるからだろう、と思われる。「身延街道」としては、最も早く廃れてしまった道筋ではあるけれども、今なお、現役の峠道なのである。

 これで、静岡県内の旧身延街道は、一応、走破したということになる。だが身延街道は、むしろ山梨県内の区間が主だというべき街道である。一応、静岡県内を守備範囲とはしているが、そんなに遠くでもないので、身延の久遠寺ぐらいまでなら走ってみてもいいかな、と思っている。ま、行くとしたら暖かくなってからになりそうだが。それでは、また。



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身延街道・岩淵筋


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身延街道・由比筋 その2


 身延街道・由比筋
 その2 内房から芭蕉天神宮


 


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 身延街道、「岩淵筋」と「由比筋」の分岐点である内房。かつて、甲相駿の三国同盟を破棄して駿河侵攻を開始した武田信玄が、越境後にまず陣を張った所である。この内房にある「祥禅寺」というお寺の前を流れる「廻沢川」という清流の対岸を、川沿いを山間へ向かう小道。これが、「由比筋」の北の起点になる。ここから山を越えて、海岸線の旧東海道由比宿を目指す訳である。




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 地図で確認。さあ、出発。




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 道の脇に、小さな社と、




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 「秋葉常夜燈」の、脚のみ。この道が、旧街道の道筋と考えてよい証拠にはなるかもしれない。




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 道はやがて廻沢川沿いをはなれ、山を登り始め、しばらくはこんな感じで続いていく。




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 最初の別れ道。右へ。




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 さらに登って、




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 スタートから、1.5kmぐらいのところに、何やら。別れ道か、と思ったが、




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 反対側から見たところ。道のまんなかに小山がある。グーグルマップには「ひょうたん島」とあった。詳細はわからぬ。




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 先へ。次第に道は平坦になっていく。




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 「ひょうたん島」から500mほどで、「芭蕉天神宮」の参道入り口。かたわらの由緒書を転載。

 
   芭蕉天神宮 由緒

  祭神 右大臣菅原道真公(九〇三年没)
     右大臣久我長通公(一三三四年没)

 この道由比より甲州信州に至る塩の道です
 明治大正時代は参謀本部の通達道路として
 清水群役所と内房役所に結ばれておりました
 時は後醍醐天皇の御代建武の改革を図る
 記録書を設けて国の政治を行いました
 其の時の三役の一人が久我長通公で天皇から
 重要されました
 天皇は鎌倉幕府の横暴を許さず新田義貞に
 命じて倒幕に成功を納めました
 後醍醐天皇は兼ねてより富士宮浅間大社を
 深く信仰しており戦勝報告に大納言久我長通
 公を勅使として派遣されました
 富士宮浅間大社代二十一代宮司富士時国氏に
 奉幣式を執り行ない富士下島郷の水田を
 浅間神社神領として奉納されました
 一三三四年旧九月三日と印されています
 任務を終えた久我大納言は白馬に跨り帰途に
 つくも大晦日部落に至り持病の仙痛脱傷の
 発作を起こしました付人里人八方に手を配り
 看護のかいもなく亡くなられました其の時
 久我大納言は付人里人に対し「余は菅原天神
 を敬う此の地に祠を建て余も共に祀ってくれ」
 と遺言されました。時に旧九月九日でした
 天皇政治の大立物重臣として国中より惜しま
 れ大社殿が建立され大祭日には国鉄に祭典列
 車の運行も記録されて居ります

 

 なかなか興味深い。読み取れるのは、この山越えの道が少なくとも「建武の新政」の頃には勅令を負った貴人に利用されていたのであり、そしてまた、かなり最近まで「公式の」役割を担っていた、ということだろう。




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 せっかくなので、神社にお参りしていこう。参道を250mほど。




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 やがて大鳥居の前に。




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 その大鳥居の脇に、「白髭神社」。




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 そして、「芭蕉天神宮」拝殿。




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 本殿。




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 華美ではないが、非常に手のこんだ彫り物で飾られ、見応えがある。

 山上の社の静けさのなかに、しばしの休憩をはさみつつ、次回に続く。



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身延街道・由比筋 その1


 身延街道・由比筋
 その1 その概要と歴史



 久々の旧街道めぐりとして、旧身延街道の「岩淵筋」を走り終えた私であったが、国道52号線をそのまま南下すれば帰宅できるにもかかわらず、再び、「岩淵筋」の途上にあった内房の集落に向かった。そして、




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 またこの「祥禅寺」の門前にやってきた。ここに、「岩淵筋」と「由比筋」との分岐点があるのだ。どういうことかというと、





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 「岩淵筋」のスタート前に掲載した地図を再び。ご覧の通り、静岡県内、すなわち旧駿河の国を通る身延街道には、みっつのルートがあるのだ。すなわち、「興津筋」、「由比筋」、「岩淵筋」である。

 「興津筋」は、東海道の興津宿を起点としていた。江戸幕府のもと、道中奉行の管轄下にあって公式の脇往還とされていたのはこのルートであったようで、当時の正式名称は「駿甲脇往還」、現在の「身延街道」であるところの国道52号線も、この「興津筋」とだいたい重なる。このルートは、小島、宍原を経由して駿甲国境に至る。

 前回記事で走った「岩淵筋」は、東海道の富士川渡船場の西の船着き場でもある岩淵を起点として、松野、内房を経由して、駿甲国境で「興津筋」と合流する。

 そして、真ん中の「由比筋」である。東海道の由比宿を発して、そのまま内房に至る山越えのルートである。歴史的には、まずこのルートが主に使用され、その後に、他の2ルートがこれに替わって発展した、ということのようだ。

 甲斐国内においては一筋に伸びている身延街道であるのに、どうして、駿河国内においてはこんなことになっているのか。この身延街道の歴史を概観してみると、どうやらその理由が見えてきそうだ。「興津筋」、あるいは「岩淵筋」のときの記事内容と少々かぶる部分もあるが、その歴史を今一度振り返ってみる。

 富士川河口から興津川河口に至る駿河湾岸と、甲府とを結ぶこの道がいつ頃から通じていたのか、それは定かではないけれども、最初に街道としての整備が進んだのは、上述のように真ん中の「由比筋」であった。その様子が史料的にはっきりしてくるのは、中世、戦国期に入ってからのようである。これはすなわち、軍事的必要性が、街道の発展を促したことを意味する。天文二十一年(1552年)に、今川義元の娘が、武田信玄の当時の嫡男義信に輿入れした際にも、この由比筋を通って駿河から甲府を目指したようだが、特筆すべきは、やはりその後の永禄十一年(1586年)に、駿河への侵攻を開始した信玄の軍勢が、この道を通ったことだろう。  

 私は静岡の人間なので、身延街道というとどうしても静岡から山梨へと向かう道としてみてしまうが、山梨から静岡へと南下することを想定してこの街道をいわば「逆から」みると、信玄がこのルートを選ぶのは自然であるように思える。

 甲府から駿河への道のりは、とにかくずっと山中を抜けてこなければならない。しかし武装した大集団が山道を連なって歩くことは簡単なことではなかっただろう。できればなるべく早く、海岸線の歩きやすい東海道に出たいと考えるはずではなかろうか。身延街道を南下してきて駿甲国境に至ったところで、さて最も短い距離で海岸線に至ることができるのはどのルートか、と考えて地図を眺めるならば、これは間違いなく「由比筋」なのである。

 無論、由比の東に蒲原城があったので「岩淵筋」からではこの城が障害になること等の戦術的な理由、あるいは、信玄が事前に今川方の諸将に寝返り工作をしていたので、それを前提として展開される戦略的理由も、進軍ルート選定を左右しただろう。ただ、甲相駿の三国同盟を破棄しての駿河侵略だったのだから、北条の後詰めは当然予想される訳で、信玄が最短、最速のルートを選んだことは想像できるのではないだろうか。

 いずれにせよ、その後駿河中部を勢力下においた信玄は、本国と駿河との連絡のために身延街道に伝馬制を整備した。直接的にこの街道沿線の支配を采配したのは江尻城主となった穴山信君(梅雪)であったが、この信君は武田氏滅亡後も織田氏に臣従してそのまま領地を安堵されたため、身延街道もまた「由比筋」を本道としたまま整備が進んでいくこととなった。

 しかし天正十年(1582年)の「本能寺の変」によって日本の歴史が大きく動いたとき、身延街道にも直接的で大きな影響が及んだ。その当時信君は、信長に謁見するために西国におり、事件のドサクサのなかで命を落としてしまったのである。これを機に、「由比筋」は衰退していく。

 信玄の駿河侵攻以来、諸勢力の係争の舞台となっていた駿河中部も、戦国の世が終焉に向かう中で平穏を取り戻し、街道を取り巻く環境も変化した。かつて信玄が、甲府から駿府をめざして軍を進めた街道だったが、日蓮宗の流行が全国に広まるにつれ、今度は、東海道を歩いてきた巡礼者たちが、身延山をめざすこととなった。今度はつまり、街道を静岡から山梨の方に眼を向けてみる必要がある訳だ。

 例えば江戸からやってきた巡礼客は、富士川を渡った後、わざわざ由比まで行こうとは思わないだろう。富士川沿いをそのまま甲府へと向かう「岩淵筋」が目の前にあるのだから。また西国からやってきて、興津宿に辿り着いた巡礼も、由比まで行こうとはしないだろう。興津川の手前で、そのまま北上すれば、やはり甲府に行けるのである。街道の担う主な役割の変化によって、「由比筋」が廃れ、他のふた筋が発展するのは自然なことだったのである。

 ということで、今度はこの「身延街道・由比筋」を、「岩淵筋」との分岐点である内房から由比へ、北から南へとカブ110で走ってみよう、というわけである。ただ、その正確な旧街道の道筋にははっきりとはわからない。かつての街道沿いにあったであろう場所を経由しつつ、内房と由比とを結ぶ道は現在も通じている。それが現在走ることができる、旧街道に最も近い道筋であろう、と考た訳である。




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 では、出発しよう。「祥禅寺」の門前を流れる廻沢川という清流の対岸あたりにから、川沿いを山間に向かうこの道を行く。「芭蕉天神宮」への案内看板があるが、とりあえずは、この神社を目指す訳である。というところで、次回へ続く。



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身延街道・岩淵筋 その4


 身延街道・岩淵筋
 その4 内房





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 コース確認。




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 松野の街から、台山峠を越えてきた旧身延街道は、この「祥禅寺」から内房の街に入っていく。この内房という場所は、永禄十一年(1568年)末に駿河侵攻を開始した武田信玄が、越境後まず陣を張った場所である。当時の身延街道は、内房からそのまま南へ由比を目指す「由比筋」が主であり、信玄の軍勢もここからまっすぐ由比に向かったようである。そう、ここは二本の身延街道の分岐点でもあるのだ。




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 門前を西へ50m、道はすぐに丁字にぶつかる。




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 その丁字路の脇に、石碑や観音像など。




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 丁字を右折、北へ向かい、駐在所の先の、




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 この脇道を右折。こちらが旧街道。




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 田んぼのなかを進む。




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 ここも右折。




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 山陰に入ると、空気が一気に冷たくなる。




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 やがて稲瀬川沿いに出るので、その先の橋を渡る。


 

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 するとみえてくるつきあたり。これが県道75号線なので、ここを右折。




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 ただ本来、旧身延街道は、県道の西側にみえるこの山中を通っていたのである。しかしその道はみつけられそうもなかったので、仕方なく県道を走る。




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 今回参考にした書籍『身延街道』の付録の地図上においても、この辺りの街道は複雑に分岐していて、歴史的にもあまりはっきりとは道筋が定まっていなかった印象を受ける。全体としての方向でいうならば、道はこの先山中を目指し、興津筋と合流した上で越境、甲州の万沢に入るのであるが、富士川沿いをそのまま万沢方面に向かう道筋もあったようである。身延街道は、東海道などとは違う脇往還にすぎないので、道の整備もそれほど整わず、災害等でその道筋を変えることが多かったのではなかろうか。




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 「北尾崎」の交差点を左折して、県道190号線にはいる。




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 トンネルをくぐって、




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 道は川沿いを行く。この川は「境川」である。そう、もう駿甲国境に近づきつつあるのだ。




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 川の向こうに、神社があった。この辺りから、山中を通り抜けてきた旧街道と、県道190号線との道筋が重なっているようである。




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 水がきれい。




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 そして見えてくる信号機、「駿甲橋北」。これが、国道52号線との交差点である。




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 県境。駿河はここまで。この先は甲斐の国である。




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 52号を北へ200mぐらい。この石碑群のあたりで、今回辿った身延街道の「岩淵筋」は、東海道興津宿から北へ伸びてきた「興津筋」と合流、ここからは一本にまとまって、身延山を目指す、という訳である。ということで、今回はここがゴール、おつかれさまでした。

 今回、「岩淵筋」を走ってみての印象はといえば、「興津筋」よりもさらに、旧街道の面影は失われているな、ということである。「その1」にも書いたが、地元民である我々ですら、「身延街道」といえばそれは「興津筋」のことであり、「岩淵筋」もまた旧身延街道だとは思っていない、というのが現実なので、これも仕方のないことなのかもしれない。ただ、これはまぎれもなく歴史ある古道だ、と思える場所も少なからずあった。こんな過疎グログの記事ではあるが、そうした場所が残されていくためのささやかな助力にでもなれば、嬉しく思う。

 ということで、今回はこれにて終了。このまま国道52号線を南下すれば、静岡市内の自宅に帰れる、のであるが、私、そうはせず、またしても来た道である県道190号線を戻り、内房を目指すのである。その詳細については、次回に乞うご期待、ということで、ひとまずはここでおわかれです。では。




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身延街道・岩淵筋 その3


 身延街道・岩淵筋
 その3 松野





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 ルート確認。

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 道は松野の街に入っていく。旧身延街道は、現在のこの通りよりも右(東)寄りを走っていたようなので、




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 旧県道の20mほど東側を並行して伸びる裏道を走ってみる。が、その曲がりくねった様子に古道の面影を感じつつも、道標等の古道たるを確信させる痕跡はみつけられず。




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 そしてその裏路地は、「松野まちづくりセンター」なる公共施設に突き当たってしまった。この交差点を左に行けばまた旧県道に戻るが、右へ曲がって、さらに旧街道の痕跡を探してみる。




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 すると、次の交差点の角に何やらみつけた。




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 道標のようである。




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 その角から北へのびるこの細道が、すると旧身延街道であるということか。




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 うん、いかにもそれっぽい道ではある。




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 富士山はいよいよ間近く聳える。




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 先程の道標から150mくらいで、道はまた突き当たり……かと思ったら、正面の電柱の横にさらに北に伸びる道があった。




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 こんな感じ。




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 が、その裏路地もここで終了。左折して旧県道に戻る。




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「富士川第二中学校」の横を過ぎて、




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 さらに北へ。




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 常夜燈。詳細不明。




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 松野の街の北はずれに近づいたとところで、左へY字に分岐する道があらわれる。こちらが旧街道。




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 その道の突き当たりに、「妙松寺」。



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 門前の様子。




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 お寺の前を左折し、左に回り込む道を辿ると、墓地の横を山の方に入っていく道がある。これが旧街道。




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 が、墓地の先で舗装路は終わり。仕方ない、またカブを停めて歩いてみよう。




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 この先、旧街道は台山峠越えの山道に入っていく。




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 ……はずなのだが、すぐに道はあやしくなり、




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 カブを降りて100mと行かずに、完全に道を見失った。この薮の向こうに、もしかしたら道があるのかもしれないけれど、抜けるのは無理そうなのであきらめて引き返す。あるいは、廃道になってしまっているのか。

 


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 妙松寺の前を抜けて、




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 林間の道を迂回。




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 やがてみえてきたのは集落か、と思ったら、農場のようだった。さらに進む。




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 農場を過ぎたところで、どうやら道は地図上の旧街道と重なった。迂回終了、と思ったら、今度は路肩崩壊による通行止めの看板。しかし、まだしばらくはカブで走れそうなので、行けるところまで行ってみることにしよう。




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 舗装はしてあるが、落ち葉だの枯れ枝だので路面は荒れている。




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 そして、看板にあった通り、2km程で完全に通行止め。引き返す。

 またしても迂回、ということになるが、ここはかなり大きく迂回することになる。松野の街まで戻り、旧県道から県道10号線に出て、さらに15kmあまりはしって県道75号線を南下、なのだが、こんな迂回路はつまらないので、




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 そのあたりからの富士山の写真でも眺めていただきましょう(笑)




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 そして辿り着いたのが、この「祥禅寺」。本来は写真の道を、奥のほうからこちらへ、この内房の街の入り口にあるお寺を目指して走ってくるつもりだったのだ。では、ここから再スタート、というところで、次回に続く。



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