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乱読乱文多謝 静岡史跡探訪ver.

スーパーカブと、史跡と、ときどき読書感想文

身延街道・甲駿国境から身延 その4

身延街道・甲駿国境から身延
 その4 南部宿






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 国道52号線沿いにある、道の駅「とみさわ」の少し手前で、左に逸れる脇道に入る。




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 150mほど進むと、




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 福士川という川を渡る橋がみえてくるので、手前の川沿いの道に左折で入る。




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そのまま川の南岸を進むと、




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 Y字の分岐にぶつかる。




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 そのY字路の左手に弁天神社。西行峠を越えた身延街道は、山中からこの辺りへ抜けていたらしい。




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 そしてそのまま、現在こうして橋の掛かっている辺りで、福士川を渡っていたようである。これでようやく、旧街道に戻れた訳だ。




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 橋を渡った先で、県道801号線にぶつかるので、それを右折。




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 すぐに、山の方へと逸れる脇道があるので、それを左折。




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 こんな細い坂道。これが旧道で、目印は、この像。……なんだこれ。




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 坂道の途中に、古そうな石像。詳細不明。




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 旧道らしい道が続き、




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 やがてまた下り坂に。




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 集落に出る。




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 十字路。旧道はそのまま直進。




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 なんだか急にあやしげな道に。ちょっと不安になるが、進む。




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 上り坂。濡れている上に、落ち葉が降り積もっていて、とても滑りやすいので、慎重にすすむと、




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 ん? なんだか変なところに出た。




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 これは、開通したばかりの中部横断道路という高速道路だ。旧道はこの新しい道路につぶされてしまったのかと、ちょっと心配になる。




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 だが、竹林の中へと道は続いていた。




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 これまた旧道らしい旧道だ。写真ではわかりにくいが、結構な下り坂。




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 さらに下る。




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 平地に出た。視界は開けたが、道は未舗装路になった。




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 しかしその未舗装路なそんなに長くは続かなかった。畑のなかの十字路に出る。なんとなく、真っ直ぐ進みたくなるが、旧道はここを左折。




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 道はまた中部横断道の高架の方へ。今度こそ、旧道はつぶされてしまったか、と思ったが、




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 高架にぶつかるすぐ手前で、右方向へ続いていた。




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 高架下を、北へ続く旧道。もう少し高速道路がずれていたら、旧身延街道は永遠に失われてしまうところだった。




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 百合の花。




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 やがてT字路にぶつかるので、左折。




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 その曲がり角あたりに。




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 道はまたしても、高架の手前で右へ。




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 しばらくこんな感じに続いていく。




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 その道沿いから、ちょっと離れた田んぼのなかに「双体道祖神」。像も灯籠も新しいものだが、男女の像が寄り添う形の道祖神、というもの自体は、とても古い歴史を持っている。




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 「八幡一宮諏訪神社」を左手に見ながらさらに直進。




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 T字路にぶつかる。旧街道は、本来はここを左の方向へ伸びていたようだが、もうその道は失われているようだ。すくなくとも、カブで走れそうな道はなくなっているので、しかたなく、右折。




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 すぐにまた広い道にぶつかるので、こんどは左折。




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 すると、道はまた国道52号線に出てしまうので、国道を北へ。




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 国道を走ること1kmほど。




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 右への脇道があらわれるので、そちらへ。このあたり、旧道は失われている区間が多いが、少なくともこの辺りから、かつての街道は山を降りて富士川沿いの方へと伸びており、この道が一番、その道筋に近い。




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 左手に、八幡神社。神社の存在は、かつての街道がこの辺りに通っていたことの可能性を感じさせる。




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 道は続いていくが、旧道の面影はみられない。




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 富士川の対岸へと架かる橋と、その周辺に街並みがみえてくる。

 この辺りに、かつて南部宿という宿場があった。南部は、南部氏の発祥の地である。南部氏は甲斐源氏加賀美氏の分流で、初代は南部三郎光行(1165-1236)。道沿いに、そうした歴史を感じさせるようなものは見当たらない。静岡県教育委員会文化課編『身延街道』の、南部宿の節を転載。


 万沢宿から三里、本馬一七一文、軽尻一一七文、人足八三文、下山宿へ四里十五町、本馬二五八文、軽尻一七一文、人足一二九文。南部宿の初見は永禄十二年(一五六九年)八月十六日武田晴信禁制で、中世から発達していた宿駅であることがわかる。




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 この先、特に何ということもなく道は続いていって、





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 また国道52号線に出てしまう。仕方がないので国道を北上、というところで、次回に続く。


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身延街道・甲駿国境から身延 その3


 身延街道・甲駿国境から身延
 その3 西行峠





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 今回のツーリングのコース。
 
 万沢宿を抜けて、旧身延街道はしばらく国道52号線と重なって北上する。




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 そして1.5kmほどいったところでみえてくるのが、この「切久保洞門」である。この辺り、富士川西岸に沿って伸びている52号線であるから、川岸までせまる山塊のために所々こうして洞門を築いて道路を守る必要がある訳だ。しかし往時は無論こんな建造物を築くことはできなかったので、川沿いに道を通せるほどの平地がなかったならば山を越えて道を通す他はなかった。

 この切久保洞門のある辺りでも例外ではなく、旧街道は本来この辺りから川沿いを離れて山中に入り、峠を目指す形で伸びていた。残念ながら、その旧街道は今は廃れてしまっているが、しかし、この峠道にまつわる伝説は、それを由来とする地名とともに今も残っている。洞門の手前、案内看板に従って左折し、「西行公園」を目指す。




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 その曲がり角に大きな釜。




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 登り坂を数百m進むと、




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 左手に駐車場がある。ここを、右手のガードレールのほうへ鋭角的に右折。




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 荒れているが、舗装自体はそんなに傷んではいない道を、さらに数百m。




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 すると遊具が現れる。ここが、「西行公園」である。現地の解説文を転載。


  「風になびく富士の煙の空に消えて 
  ゆくへも知らぬわが思ひかな」

 この歌は西行法師が文治ニ年(1186年、平家が壇ノ浦の戦いに敗れた翌年)68才の時、京から東国行脚の折駿河よりこの地に入り、噴煙がたなびいている富士山を見て詠んだもので西行晩年の傑作であります。
 (中略)
 この西行法師ゆかりの西行峠は、かつての甲駿往還であり身延道であります。文永11年(1274年)5月に日蓮上人が身延山へ入山する時この峠を越えており、万治2年(1659年)8月に草深元治上人が西行峠の素晴らしさを漢詩に残しています。戦国時代に甲州武田軍の駿河攻めや武田勝頼追討の徳川軍もこの峠を越えています。
 (後略)



 西行がこの峠を訪れた際の伝承は様々残っているようだ。例えば、歌については無論自信のある西行が、この辺りまで旅をしてきたところで、行き会った子供に山で何をしてきたのか聞くと、その子供は「冬青く 夏枯れ草を刈りにいく」と歌で応えたので、子供までがこんなに見事な歌をたしなむことを知って、驚き畏れて道を引き返した、といった類いのものである。しかし残念ながら、西行が甲州に来た、という史料的な確証はないようだ。

 こうした民間伝承の類いが、いかに「あてにならないもの」であるかのひとつの例証として、この西行峠の事例を眺めるのも無論不当とはいえないけれども、ここで少し視点を変えて、かのジャンバティスタ・ヴィーコの言葉に耳を傾けてみるのもちょっと面白いだろう。


 イアンプリコスが『エジプト人の秘密』のなかで、エジプト人は人間の文明生活に必要なもしくは有用な発見はすべてヘルメス・トリスメギストゥスの功に帰した、というのはまことに至言である。
 (中略)
 太古の人間たちは、事物について知的な概念をつくりうる能力がなかったので、自然に詩的象徴人物を考えだすことが必要になったことを示す。詩的象徴人物というのは、空想的類概念もしくは空想的普遍者ともいうべきもので、すべての特殊な種に属するものを、一定のモデルとか理想的肖像のような、それぞれの似通った類型に還元したものである。
  
(『新しい学』第一巻第二部四二節 ジャンバティスタ・ヴィーコ著 責任編集者・清水幾太郎  中央公論社 世界の名著33)


 無論西行は実在の人物であり、古代人の空想の産物でも、神話的的文化英雄でもない。だがそれでも、こうしたことは人びとの言い伝えの中で行われるのである。例えば伊豆半島の由来譚がどれもこれも頼朝に関連づけられるように、ここでは歌に関わるある伝承が、有名な歌人に結びつけられた。それはきっと我々が思うよりも普遍的な現象なのであり、深く研究したなら、もしかしたら予想外の面白いことがみつかるのかもしれない。だが、ここであまりこんなことに深入りしてもいられないので、公園を歩いてみよう。




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 石碑群。




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 石祠に、石仏が二体。




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 こちらにも。




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 建物が。なんの建物だろうか。




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 その東側の脇に、「甲駿往還」(身延街道の別名)の旧道入り口があった。ちょっと歩いてみようか、と思ったが、




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 この有様をみて、やめちゃった(笑) 道は下っているようである。ではこの辺りが「西行峠」だろうか。




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 建物西側にも、登っていく道があった。




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 その先には、広場があり、




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 『風になびく——」の西行の歌碑がある。




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 そこからの景色。高架道路は、最近新東名高速道路の清水ジャンクションからこの辺りまで開通したばかりの、中部横断道路。いわば「最新の身延街道」である。




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 では、先へ進もう。国道52号線に戻り、北へ。この「切久保洞門」に入る。



 
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 私、実はこの洞門が大好きなのである。こうした大きな建築物の、合理性に富んだ人工美というものは、場合によっては自然美をも越え得ると、私は思っている。




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 洞門の先、道は富沢の街へと向かっていく。というところで、次回に続く。



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身延街道・甲駿国境から身延 その2

 身延街道・甲駿国境から身延
 その2 万沢宿






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 とりあえず、今回のコースを地図で確認。まだスタートしたばっかりだ。

 東海道の興津宿から分岐した、身延街道興津筋を北上する旅人は、駿州北端の宿場である宍原宿を出て、山間の難道「長峯三里」において越境、そして甲斐国南端の宿場である万沢宿を目指すことになる。




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 白鳥山への寄り道から、国道52号へ戻る。今度は、身延街道の旧道を探さなければならない。




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 国道を少し北へ行くと、左折レーンが現れるので、そこを左へ。




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 眼下にちいさな街が広がる。これが、万沢の街である。まずは街の南端を目指す。宍原宿から、幾つかの山と国境を越えて、旧街道がこの万沢に辿り着く、その場所を探すのである。




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 すぐにみつかった。写真奥が南、すなわち駿河の宍原宿方向である。どうやら、「長峯三里」を越えてきた身延街道は、この谷間を抜けて、万沢の集落に辿り着く、ということのようだ。




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 その谷間から、北方向を向いたところ。カブは右を向いているが、旧街道は写真左方向へ続いていく。




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 しばらく進むと、




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 集落がみえてくる。




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 別れ道。ここは右へ。




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 しばらく行くと、道の右側に、丸石を祀る「道祖神」と、




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 道標。ただ「丸いだけの石」を祀る、こうした類いの信仰について、かの碩学ミルチャ・エリアーデはこう書いている。ちょっと長いが、とても興味深い内容なので、引用してしまおう。


 近代西洋人は聖なるもののいろいろな顕現様式に直面して或る不安を感ずる。すなわち或る種の人間にとって聖なるものが石や木の中に顕われ得る、ということが理解し難いのである。しかしわれわれはまもなく、それが石そのものの崇拝、あるいは樹木そのものの信仰を意味するのではないことを知るであろう。聖なる石、聖なる木は石としてあるいは木として崇拝されるのではない――それらが崇拝されるのは、それが聖体示現であるからであり、もはや石や木ではなく、かの聖なるもの、<全く別なもの>である何かを示しているからである。
 どんなに原始的なものでも聖体示現はすべて背理を示すということは、いかほど強調してもしすぎることはない。聖なるものを啓示することによって、事物は或る<全く別のもの>となるが、しかしその後も依然としてその事物であることに変わりはない。というもの、それはその後も宇宙的環境世界に関与しているからである。聖なる石といえども依然として一個の石である。つまり見かけは(精確に言えば、世俗の観点からは)それを他のすべての石から区別する何物もない。しかし石が聖なるものとして啓示される人びとにとっては、眼前の石の現実が超自然な現実に変わる。言い換えれば、宗教的経験をもつ人間にとっては、全自然が宇宙的神聖性として啓示され得る。そのとき、宇宙は全体が聖体示現となるのである。

 (『聖と俗 宗教的なるものの本質について』 ミルチャ・エリアーデ著
   風間敏夫訳    叢書・ウニベルシタス14)


 ここで気をつけるべきなのは、現代の日本人である我々は、かつて路傍に丸石を祀った日本人よりは、ここで言われているところの「現代西洋人」のほうに近しい、ということである。我々は最早、ここに祀られたのが、なぜ「この石」であって他の石ではないのか、なぜあの神社の御神木はあの木であって他の木ではないのか、その理由を知らない。我々は自ら思うよりもはるかに、西洋的価値観に染められている。否、価値観に留まらず、思考方法や、精神、心の構造といった、根本的な部分から。

 しかし一方において、その不可侵性だけは慣習的あるいは無意識的に尊重し、未だこうして祀られた石をそのまま残し、祀り続けているのもまた我々日本人である。この合理性と非合理性との奇妙な共存こそは、私は日本人の強みであり、ある観点からは弱点であり、すなわち我々の特色であると思っている。それをこの先我々が生かすのか殺すのかは、わからないけれども。




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 川沿いで、広い道にぶつかる。




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 川を渡った先に、ガソリンスタンドがあるが、




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 ここが「万沢の口留番所」のあった場所。現地の説明文を転載。

 町史跡 
 万沢口留番所跡
  昭和四十九年六月十日指定

 甲斐の国ニ十四関の一つで、甲駿二州の咽喉として重要な位置にあった。天正十年三月には徳川家康がこの番所を通過している。
 吉田家代々関守を勤め、下役は村役であった。
 番所は、桁行四間、梁間ニ間、関門両袖一丈ニ尺、高さ一丈四尺、桁行一丈七尺、明九尺であったが、明治五年五月、全く取り払われるに至った。



 つまり、ここからが、かつて万沢宿のあった辺り、ということになろうか。甲斐国南端、駿河国に向けて突き出した形の万沢宿であるから、国境警備、という観点からは極めて重要な場所であったことだろう。

 静岡県教育委員会文化課編集『身延街道』の、万沢宿の箇所を転載。


 甲斐国南端の宿。天正八年(一五八〇)の穴山信君伝馬手形に「……内房、萬沢、南部……」とあって、中世から栄えた宿である。南部宿から三里、本馬一七一文、軽尻一一七文、人足八三文。ここから駿州宍原へ継ぐが(『国史』)、古時は前述のように内房へと継いでいた。小規模なために本陣はなかったが、身延山参りの旅人で賑わった。当時を偲ばせる屋号に、身延屋・鍛冶屋・万屋・油屋・紺屋・駿河屋・大坂屋・東酒屋・西酒屋等がある。昭和初期の身延鉄道が開通するまでは賑わいをみせたが、以後急速にさびれてしまった。




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 万沢の街の中を進む。史跡らしきものはみつけられず。




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 やがてみえてくる標識。まさにこんな形に道は続いていく。




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 こんな感じ。




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 そのカーブの先に、「広福寺」。




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 お寺の先、この横断歩道のところで左の脇道へ。こちらが旧街道。




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 坂を登っていく。




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 左に、万沢小学校。本来、旧街道は小学校の向こう側に回り込んでいたようだが、今はその道は失われているようなので、真っ直ぐ進む。




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 さらに進んで、




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 ここを真っ直ぐ進むのが旧街道なのだが、




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 「車は通り抜けできません」と書いてある。カブなら、ダイジョウブかな。




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 ちょっとどきどきしながら、この細道に進む。うん、一応、走れそうだ。




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 やがて広い道に出て、




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 さらに、国道52号線に合流する。




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 その合流点に、「越渡の道祖神」と、




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 「蓮久時」。こうみえてこれ、お寺である。一見、神社みたいだが、鳥居がない。境内に幾つかの石碑等。




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 さて、万沢宿も終わり、街道をさらに北へ、というところで、次回に続く。


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身延街道・甲駿国境から身延 その1


 身延街道・甲駿国境から身延
 その1  白鳥山砦



 久しぶりに、「スーパーカブで行く早朝お散歩史跡めぐりツーリング」に出掛けてきました。昨年の11月末に、旧身延街道の岩淵筋、及び由比筋を走って以来、実に八ヶ月半ぶりである。最近はなんだか木工DIYにばかり夢中になってしまっていたが、カブの自賠責の更新があり、その際にオイル交換と、さらには前後のタイヤの交換までしてしまったので、なんだがカブで出掛けたくなってしまったのだ。




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 で、やってきたのはここ。身延街道の、静岡県と山梨県の県境、つまり、駿河と甲斐の国境付近である。前回岩淵筋を走ったときのゴール地点がここであり、その前に興津筋を走ったときのゴールもここだった。すなわちここは、三筋ある駿河国内の身延街道がひとつにまとまり、国境を越えて甲斐国に入る、その場所なのである。




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 地図でみると、こんな感じ。




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 で、今回はこんな感じで走る。国境から、旧身延街道を辿り、身延山を目指す。このブログでは初めて、甲州を走ることになる訳だ。




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 あ、今回もこの静岡県教育委員会文化課編集の『身延街道』、及びのその付録の地図を参考に走りました。身延街道の成り立ちの等、詳細は過去記事をご参照ください(こちら。「身延街道(興津ー境川)」。「身延街道・岩淵筋」。「身延街道・由比筋」。)。




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 そのスタート地点のそば近くを流れる境川。江戸幕府のもと正式な脇往還として管理されていた興津筋を、南から甲州に向けて歩いてきた旅人は、宍原宿の先で「長峯三里」と呼ばれる難所に入る。険しい山越えのその途中、この場所で境川を越えて甲斐に入る訳である。




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 では、出発。時間は、朝の5時すぎ。しかし、旧街道は山の中を通っている。その旧道は多分、廃道か、それに近い状態にあると思われ、カブで走るのは不可能である。なので出だしから、国道52号線(つまり現身延街道)を迂回することになる。




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 スタートから数百m走ると、




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 トンネルがみえてくるが、ここで早速ちょっと寄り道。トンネル右側の脇道へと斜めに入っていく。




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 しばらくは綺麗な道が続き、




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 ゴルフ場の脇を通って、




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 その先で少し道が悪くなるがメゲずに進むこと2、3km。




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 やがてみえてきた公園兼駐車場にカブを乗り入れる。ここは、「白鳥山森林公園」という。




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 景色は悪くない。靄がかかって見通しは悪かったが、それもまたちょっと幻想的でキレイなものである。




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 ここから、カブをおいて山道を歩く。「車両進入禁止」の看板のある方の道へ。


 

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 けっこう険しい。早速息切れする私。




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 しかし距離は大したことはない。五分ぐらい歩けば、山頂がみえてくる。




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 山頂に、案内看板。「狼煙台跡」。その説明書きを転載。


 狼煙台跡

 甲斐国志(一八一四)によれば「白鳥の砦」の條に「永禄十二年(一五六九)信玄駿州攻撃ノ時此ノ山ニ物見ヲ架ス」とあって、山中には陣場・鞍掛・馬ノ背・太鼓打場・千駄窪等の地名がある。又、天保十二年(一八四一)にできた「駿国雑誌」にも白鳥山城として、「庵原郡内房村ニアリ、今廃セリ(中略)今猶城跡有リ」と記されている。
 狼煙台は、戦国時代武田流戦術の一つとして駿河の情勢を白鳥山を基点として。府中(甲府)つつじケ崎の居城まで狼煙で連絡する場所として設置された。
 周囲を土塁でめぐらせ戦後しばらくまであった。
                             富沢町



 永禄十二年に開始された武田信玄による駿河侵攻については、このブログにおいても過去に幾度か触れてきたが、信玄は身延街道を通って越境し、今川氏真のいる駿府を目指した。その際にこの山頂に狼煙台をつくった、ということだが、山国である甲斐においては、狼煙というものは連絡手段としては実に理にかなった方法であったことだろう。これから本格的に駿河を手中に収めようという信玄が、まずここに狼煙台を作った、というのは、彼の決意のほどが知れるようで興味深い。




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 こんなものもあった。「恋人の聖地」の石碑と、鐘。伊豆の恋人岬みたいなものをここに作ろうとしたようだが、なんというか、なぜこんなものが成功すると思えるのか、私としては実に理解し難い。




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 こんなものも。こちらは、面白い。ここからみえる山々の名前を記してある。方向的には、南アルプス連山の3000m級の山々がみられるはずなのだが、




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 残念、夜明けとともに靄がひろがり、視界は最悪であった。しかたがない、街道に戻ろう。というところで、次回に続く。


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小さな台を自家塗装する


 小さな台を自家塗装する


 先日、掃出し窓の下にステップを作ったが、そのときに出たあまり材で、もうひとつ、ちいさな台を作ったので、それを塗装してみる。




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 これ。幅30cmぐらいの小さなもの。素材は杉。今回は、ただ塗るだけでなく、使用感のあるダメージ塗装に挑戦してみます。まずは、外での使用を考えているので、防虫・防腐剤の入ったステイン(ウォールナット色)を下地代わりに塗る。




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 こんな感じ。




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 塗り終えたら、次にミルクペイントの「クリームバニラ」を塗る。これは本来、屋内用の塗料なので、多分外で使ったら痛みが早いだろうけれど、塗料を新調するのももったいないので、余っていたこれを使ってしまおう。




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 まずは裏側の目立たないところで試し塗り。こんな感じで塗ったら、




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 すぐに布で拭き取ってしまう。




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 そんな作業をすると、こんな感じの仕上がりになる。




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 脚や裏面も塗って、




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 全体に塗り終えたところ。塗装が長年の使用によってはげ落ちた感じを表現する訳だ。




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 さらに、紙ヤスリで角の塗料を落としたりなどすると、




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 さらにそれらしくなってくる。だが、真っ白だとちょっと寂しい気がしたので、




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 以前IKEAの椅子を塗装したときに使った、カインズで買ってきたこれを塗ってみることにする。




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 塗装方法は同じ。塗って、拭き取る。




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 うーん、今度はちょっと青すぎた(笑)




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 仕方がないので、上からまたホワイトを塗り重ねて、青を控え目にする。




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 最後に、ミルクペイントの「アンティークメディウム」。ようは茶色い塗料なのだが、これを筆先にちょっとだけ付けて、汚れや塗装はがれを表現する。




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 こんな感じに仕上がった。思ったよりいい感じになったんじゃないかな(笑)




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 これをどこで使うのかというと、この玄関先である。インターフォンの下に置いてあるが、小さい子用の踏み台、ではない。買い物袋等の荷物を持ち帰ったときに、玄関の鍵をあけるためにちょっと荷物を置く台がほしいと、嫁さんからリクエストがあったので、それに応えてみたのでした。

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