三菱G4M2E一式陸上攻撃機二四型丁 今回は、これまでで一番大きなキット。

ハセガワの1/72一式陸上攻撃機二四型丁。

同じスケールの零戦と。でかいなあ(笑)
今までに作った双発機と比べてもこの大きさ。モスキートと比較。
一式陸上攻撃機は、その名の通り「陸上攻撃機」である。これは日本海軍に特有の機種であり、「陸上」の飛行場から発して敵を「攻撃」するための飛行機、という意味であって、「陸上の敵を攻撃する」、という意味ではない。海軍の飛行機なので、艦上機と区別する意味でわざわざ「陸上」とついている訳だ。そして日本海軍の場合、急降下爆撃ができる飛行機を「爆撃機」、水平爆撃や雷撃を行うのが「攻撃機」と呼び分けていたので、この一式陸攻は「攻撃機」ということになる、ということらしい。
そしてまた、上述のようにこの飛行機は海軍機なので、その本来の攻撃目標は敵艦船、ということになる。だから、形は似ているけれど「戦略爆撃機」ではない。日本海軍は、第一次世界大戦後に締結されたワシントン条約及びロンドン条約という軍縮条約によって、航空母艦の保有が制限されているなかで、仮想敵国であるアメリカ等の艦隊に対抗するために、陸上基地から長距離を飛ばして、艦載機と共に数に優る敵艦船に攻撃を加えることを目的として、この「陸上攻撃機」なるものを開発した、というのが通説のようである。だからこの一式陸攻は、米英の戦略爆撃機とは違う機種だ、ということになる。
昭和十二年、海軍は九六式陸上攻撃機の後継機として「十二試陸上攻撃機」の開発を三菱に指示、三菱は本庄季郎を主任者として設計を開始した。ちなみにこの本庄季郎は、宮崎駿の『風立ちぬ』の主人公二郎の同僚であり親友である本庄のモデルとなった人である。
海軍は、偵察荷重状態での最大航続距離4185km、魚雷もしくは爆弾800kgをのせた攻撃荷重状態での最大航続距離3704kmという常識はずれな数値を要求、本庄はそれに、徹底した空気抵抗の低減を求めてその特徴的な葉巻型の機体を採用し、さらに主翼の構造に油密性をもたせてそのまま燃料タンクとするインテグラルタンクの採用によって大容量の燃料搭載量を確保すること等で応え、十二試陸攻は1941年4月に一式陸上攻撃機として正式採用された。その年の7月には早くも中国戦線において初陣を飾った一式陸攻であったが、その戦歴の初期において特筆すべきはやはり「マレー沖海戦」であろう。
太平洋戦争開戦直後の1941年12月10日、英領マレー半島の防衛のために展開していた英国艦隊に対し、日本海は九六式陸攻および一式陸攻からなる陸上攻撃機部隊による航空攻撃を実施、英国海軍の誇る新鋭戦艦たる「プリンス・オブ・ウェールズ」、および巡洋戦艦「レパルス」を撃沈する、という大戦果をあげたのがこの「マレー沖海戦」であった。画期的であったのは、航空機による作戦行動中の戦艦撃沈はこれが世界初であり、それまでの「戦艦を撃沈できるのは戦艦のみ」という常識を覆してしまったということで、つまり、航空戦力こそが戦争の行方を左右する、という新しい時代の幕を、一式陸攻は開けたといい得る訳だ。
ただ、好調なのは最初だけで、その後の戦績がだんだん悪化していくことは、零戦と同じ、というか全ての日本軍機に共通の既定路線のようで、これはつまり戦局が連合国軍側に傾いていったのだから、そうなる他に有り様はないのだということなのだろう。前述のインテグラルタンクが原因で、被弾時に出火しやすいという弱点があった、とはよくいわれるところだ。この定説を疑う向きもあるようだが、いずれにせよ太平洋戦線の制空権を敵戦闘機に次々と奪われていく状況下にあっては、たとえ一式陸攻にB17爆撃機並みの撃たれ強さがあったとしても、米軍機の「カモ」にされたことに違いはなかったのではなかろうか。
その象徴的な出来事が、例の「海軍甲事件」であろう。1943年4月、前線視察中の連合艦隊司令官山本五十六大将が搭乗する一式陸攻が、米戦闘機P38に撃墜された。暗号電文が傍受、解読され、山本の行動が米軍に筒抜けになっていた、といういわば戦略的な不利があったとはいえ、9機の零戦が護衛についていながらP38の急襲を防ぎきれなかったのは、結局戦術的な部分でも航空戦力の差が出た、ということの証左だと私は思う。
そして最終的には、一式陸攻も特攻任務に就く事になった。今回つくった「二四型丁」は、特攻兵機「桜花」の母機となったタイプである。ロケット推進の高速機にパイロットを乗せて操縦させ、そのまま敵艦に突っ込むという、「人間ミサイル」というべきこの特攻機を機体下にぶらさげて、敵艦近くまで飛んでいくというのが、この機体に課せられた任務だった。しかし、重い「桜花」を積んで運動性能が著しく低下した一式陸攻は、文字通り米軍機の格好の標的にされ、その多くは敵艦隊に近づく前に「桜花」諸共撃墜されてしまったようである。
一式陸攻の姿は実に美しく、それ故にか、その悲劇的運命が日本人の心の琴線に触れるのは確かだろう。このあたりは零戦に通じるものがあるが、しかし、あまりに美化し過ぎてしまうことは慎まなくてはなるまい。その最期はやはり、敗軍の兵器の姿だとしてもあまりに「異常」だからだ。こうしてプラモをつくって楽しむ一方において、その実際がいかなるものであったのが、私は忘れるべきでないと思っています。